大名古屋万博物語

名瀬口にぼし

大名古屋万博物語

1.西三河の朝1

 一九八八年九月、名古屋オリンピック開催。


 二〇〇五年三月、愛知万博、通称大名古屋万博開幕。


 バブル崩壊をものともせず、名古屋は世界都市・大名古屋として日本で一番の繁栄を極めていた。


 ◆


 二〇〇五年四月八日、金曜日の午前十時過ぎ。


『続いてのニュースは、開幕から二週間がたった大名古屋万博についてです』


 最近父親がボーナスで買い換えたリビングの薄型テレビから、女性アナウンサーの爽やかな声がする。


 透一はダイニングキッチンで焼いたトーストとバナナを一人で食べながら、パジャマでニュース番組を見ていた。母親も父親も仕事に出掛け、高校生の妹も学校へ行ったが、大学三年生の透一の朝には余裕がある。


『四月一日より飲食物の持ち込みが緩和された会場では、多くの家族連れの来場者が昼食に弁当を持参しています』


 薄型テレビの液晶に、保育園児くらいの女の子が唐揚げを頬張りおいしいと言っている様子が映る。


 万博とはオリンピックの文化版のようなもので、世界中の国や企業が技術や伝統を展示する一大イベントのことである。二〇〇五年の今、愛知県ではその万博が行われている。


 万博には大勢の人びとが集まるため、当初大名古屋万博は食中毒やテロの防止対策として飲食物の持ち込みを禁止していた。しかし「家族でお弁当、食べたいでしょ」という総理大臣の鶴の一声で、家庭調理の弁当に限り持込みが許可されたのだ。


「そういえば遊園地には、世界観を壊さないために弁当持ち込み不可のところがあったよな」


 トーストを飲み込み、ニュースの感想をつぶやく。一人っ子というわけではないが、透一は独り言が多い性分である。


『開幕前には四月五日時点で百万人を超えるとされていた入場者数は想定を下回り、会場は一部の人気パビリオンを除き閑散としていました』


 最後に入場者数について述べ、ニュースは芸能情報へと話題を移した。


「閑散は言い過ぎじゃんね。確かに思ったより、バイトは暇だけど」


 トーストとバナナを食べ終えた透一は、リモコンでテレビの電源を切った。


 なぜ万博のニュースだけはきちんと見ているのかというと、それは透一が万博会場のレストランでバイトをしているからだ。


 食べた食器を片付け、顔を洗って着替える。


 今日も午後からシフトが入っていた。


 ◆


 黒地のオーバー・シャツを着てカーキのチノパンを履いた透一は、マンションのエントランスを出て駅へ向かった。


 最寄り駅の刈谷駅は、自宅から徒歩十分のところにある。

 透一はそこからJR東海道線快速・大垣行に乗り、まずは金山へ行く。刈谷駅から万博の長久手会場までは乗り換えが三回もあり、やや遠い。


 ラッシュ時を過ぎた車内はすいていたので、透一は背負っていたリュックサックを抱えて窓際の席に座った。


 車窓のガラスに映るぎりぎりイケメンに入れてもらえるかもしれないあっさりした顔立ちの黒髪の男の姿が、透一の外見スペックである。顔自体は可もなく不可もないが、それなりに背は高いことには救われていた。


 窓の外を覗くと、何の変哲もない住宅地の風景が春の日差しに照らされ流れていくのが見える。


 透一の住んでいる刈谷市は、西三河に位置する街だ。


 県外の人には伝わりづらいが、愛知県は東を三河地方、西を尾張地方に分けることができる。織田信長がいたのが尾張、徳川家康がいたのが三河だ。

 三河の人間は名古屋弁ではなく三河弁を話すし、食文化もところどころに違いがある。

 透一は生まれも育ちも西三河であるので、名古屋の大学に通ってはいても名古屋が出身地であるという感覚はなかった。


(何もないけど、豊かな土地ではあるよな。三河は)


 座席にもたれて目を閉じ、透一は半ば眠りながら地元について考えた。


 三河、特に車産業で有名な豊田市がある西三河は、田舎ではあるが工場が多く過疎化もあまり見られない。名古屋が世界都市として繁栄しているのも、ひとえに西三河の発展があってのことだった。


 透一は大企業の関連会社に勤めるサラリーマンの息子として、ほどほどに裕福に暮らしてきた。大企業の恩恵を日々感じながら過ごしているせいか、透一は国や権力に対してそれほど反発を覚えることがなかった。


(大名古屋は万博開催で今が絶好調って感じだし、愛知にいると日本の不景気とかよくわからなくなってくる……)


 無論、愛知県にも貧乏な人はいるだろう。


 しかし透一が電車の車両の中でうたた寝をして感じるのは、静かだが貧しくはない生ぬるさだけだった。

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