砂丘(8/8改稿)
山地圭介、29歳。
彼の人生に社会人という肩書きが付いたものの、社長の前で悪態をついて会社を投げるようにして飛び出した。それだけならまだしも、午前中から熱中症を発症させたまま、会社の敷地内で倒れてしまった。悪態を付いた社長の手配により病院で充分な手当てをしてもらっただろうが、彼が動かした同僚たちの心とパートさんの想い、そして社長の優しさを踏みにいじった。それぞれの心に黒い穴という『心の傷』を山地圭介は作ったのである--
砂丘という場所で…いや、心の世界に居る山地圭介は……曇った空を見詰めながら唇を噛み締めた。そして現実世界の山地圭介は同僚たちに見守れながら、深く眼をつむり身体だけは柔くして待っていた。もしかしたら、こうなる前から彼自身がすでに受け入れていたのかもしれない。
仕事が無くなるのが怖いと思い始めたあの日を境に山地は仕事の業務だけでなく人も愛するようになっていた。過去は過去だけど仲間と協力して事業発展も出来るのなら山地は仕事に人生を注いだ。夏の暑さを仕事の忙しさと感じてしまうほどに、自分が熱中症になるぐらいに身を捧げていた。
そんな山地は熱中症を患い応急手当をしてもらいながら救急車を待っている。
ここで山地と同僚の関係性の話をしよう。
山地はまだ、パートさんたちとの心までは交わせていないが頼まれる仕事は一人前の事を任されるようにまでなっていた。細かい視点での指摘はされるものの、会社を動かすひとりの人間として立場を確立していた。
では、主婦のパートタイマーの人とは別に、サポーター部門として働いているメンバーとではどうだろうか。山地の問題とは別に、同じ部門で働くメンバーとして大きな存在として一目置かれていた。もちろん先輩後輩があるなかですれ違いはあるものの、山地が休みの日には心が静かになってしまうほど大切な存在であった。個人同士の話をするのなら、どんな話が出来るだろうか。
例えば……
卒業仕立てで生意気な発言の多い平部には、優しく接しながらも時に胸ぐらを掴んでしまうぐらい熱くなり。山地の手当てとして水を運んだ。
パートから見放され指示のひとつやふたつで終わる空知に対して、毎日欠かさずにして笑い話をしていた。朝に手にした熱中症マニュアルを見て山地を脱衣をさせ応急手当をした。
即席道具をつくり移動させることに成功した盛岡は体つきがよいために会長の手下として働いている。本来の仕事から外れ開き直ってしまっているが、「立派な仕事じゃんか!大事な仕事だよっ」と山地から微笑み掛けられ自信を持つようになった。
女性同僚には一歩間違えれば恋沙汰になってしまってもおかしくない距離感で会話するものの、どこか一戦を置いて戦力として協力し合ったり。今回は何も出来なかったことに悔やみ、昼前に渡したペットボトルと会話だけが心に残る。
口数の少ない野村には、仕事のことを詳しく訊ね先輩として讃えあげた。
山地にはまだ苦手な人もいるが、会社の一部としてもプライベート的にも幸せな笑顔を見せた。
また、いつも指の爪を咥えて観ている奥野に対しては、危険だけども切れ味の良い花切りバサミを紹介したり出荷している植物リストをプリントアウトをして、彼自身が人を心底で信じられるようになることを期待した。
そんなことをしていた山地は心の潤いは枯渇していき緑が栄えていた場所には瞬く間に砂の丘へと変貌した。そしてみなが知る通りに、山地は心の背景は砂丘へと成り代わり、ひとり心のなかで立ち尽くしていた---。
奥野は熱中症で倒れた山地を見ながら、今日の朝方の事を思い出した。社長が僕たち雇用者に向けて発言をしていたとき、山地が何故だか目頭を抑えて泣いていたという出来事。泣くということは何かしら関連があることだけど社長の話からすると断定するような話ではないように思った。なんなら山地というより、他の人達に向けての大切な話のように思われたのに気がかりだった。しかし彼が流している涙に奥野は未来を奪われている気がする。いつも見せている強気な彼が、いつも慕われながらも注意を受けてもなんとか前を向く彼が、特に人前で弱音を吐かない彼に、涙を流している山地に戸惑いを隠せなかった朝方のことだったーーー。
……山地が落とす涙が水溜まりになり、彼が身動き出来なくなったのなら彼はこれからどんな想いで仕事と向き合うのだろう。社長の話が終わった頃にはけろっと表情を変え何事も無かったかのように、キツすぎるようなゴム手をはめながら、色んな人に笑い掛けたがどんな心情だったんだろう。山地の笑顔は凶器であり、それを真に受ける仲間たちに冷や汗を隠せない。遠くからペットボトルを渡された姿を観ていたが暑さのための水分補給というより、気持ちの押し込みをするかのように飲む姿は正直無理やり感を覚えなんならスポーツドリンクが口からこぼれており尋常ではなかった。彼のいう『大丈夫』は大丈夫ではなく、『君こそ大丈夫?』なのである。奥野は山地に対して、早く病院に連れていかれ、応急処置という名の『静穏【せいおん】』してくれたら良いと思考の血が全身に駆け巡った。
そんな山地はいま、奥野の気持ちをよそに、熱中症での応急処置を盛岡にさせられて、はだけた華奢の身体には掛けられた水がはねかえる。日陰に移されていく彼の顔も憎たらしく救急車を待ち構えている。
奥野は口にする。
「『自分は大丈夫。』と口癖にしておきながら、何の大丈夫でもない。いつも体力とギリギリ勝負していて、誰よりも一番脚を引っ張っている。最低だ。」
きっと誰よりも正当化に近い言葉を言い放つ---。
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かすかにひらいたその瞳で、薄い夏の大三角形を山地は砂丘で見つめてた。
私が欠けたらこの星たちはどうなっていく…
誰かが欠けたらこの三角形はどうなっていく…
私が三角形の意味を知らなかったら、この星たちはどうなっていた…
星の存在すら知らなかったら、私は何を観て素晴らしいと口に出来た……?
山地の想いでと同じ数だけ、砂丘の星たちはきらびやかに光を放っているー……
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