腕時計(8/7改稿)

 私は海の波に煽られている。

 いまの時間を知らせるかのように、濡れた腕時計が命を刻んでる。


 陽が暮れゆく----。



 行き場を本気で無くした私なんて、まだなんとか生きさせようと腕時計は鼓動を動かした。取り付けられたその腕時計、塩水に犯され錆び付き始めながらも、確かな1秒をこれでもかとばかりに動かして、私の寿命を長くしようと試みる。…だってその腕時計、父のお給料で私の腕に辿り着いたから--。

 保険証の発行から約片手、今まで私は社会を棄てていた。社会に適応出来ないひとなんて、社会のゴミだと思って生きてきた。社会適応なんて、いくらしようと試みたところで自己本意だと云われ、私の生きる意味は足元を削るように崩された。私の人生そのものなんて、ただの石ころで邪魔くさい。黒くてゴツゴツしたその性格は誰の手にも重たくて。そんな私を拾い汲み取ってくれた会社で、初めて私は私となる。記念に苦笑いされて渡されたその腕時計、父は「今月の給料分から買ったんだからな」と口を酸っぱくして手渡した。働いていた私にとって、給料が給料である重みを社会で受け取った。人々に支払われたお給料は、人々が物を買って会社利益となる。利益となったそのお金…雇用者を働く福利厚生にまわり税金となる。差し引かれたお金たちが、雇用の賃となってまわりくる。父から貰った腕時計は、どれだけの価値があるのか計りしきれない。私は生きる意味もあり、私は感謝として生きなきゃいけない理由がある。腕時計は私に生きろと告げてくる。作家の端くれにでもなったなら、私はこんなことを書くであろう--

 『見知らぬ誰かが想いを託したかのように、瓶手紙を海に預けて見届ける。それを知らぬ私自身は、手紙の意図を後で知ることなる。あのとき辿り着いた岸に私は来て、今度はあなたに返します。

 そう安くもない腕時計。お金よりも大事なこの命。  永遠にさせた----』

 こんな風に。



 星が散りめく景色は、私の思いもよらなき感情として涙が溢れ出た。幾度と繰り返している気持ちの表現なのに恥もせず初々しく涙がこぼれ落ちた。

 風によって作られた波が、私を海から追い出そうと仕向けてくる。海という世界にも私という人物は要らないと告げて急かしてくる。海の冷たさで声が漏れるほど、眼から痛いが粒が溢れでる。岸に追いやられ流されるほど涙が落ちる音は増していき、岸の奥へと奥へと進むほど乾ききった砂浜は涙を吸って跡付ける。涙で私を示しては、砂の性質で足元を不確かにさせていく…………。


 『私は生きたいだけであって、


  悩みたくない。


  私は死にたいのであって、


  嬉しくない。』



 私が辿り着いたこの場所は、四六時中吹き続ける風によって作られた砂の丘。海が見えなくなった砂丘のど真ん中、そのなかで独り立ち尽くす----。


 肩よりも低い目線で俯むくと、誰かが作った砂の城を見つけ駆け寄った。何かに翻弄されたかのように、その城に不法投棄されたビニール袋と割り箸を使って旗を作り取り付けた。『君はちゃんと生きている』と、見栄え【ばえ】させた。



 「あぁ、この声が聴こえる者たちよ。

  私はなんのためにここに訪れた?

  私は何を想い抱けばいい?

  これから夜になっていく時間を過ごし、落ち着くとでもいうのだろうか?

  私の時計でいうとどのくらいで朝が来る?」

 この時期に見える夏の大三角でどこを目指せという…北斗七星は私を掬いたいのか………


 ---私が立つこの砂丘に何がある?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る