第14話 解き放たれた獣

「敵襲、一人だ!」


 気づいたリミグロン兵達が叫ぶ。慌てて銃を掴み取ろうとする者もいるが、酔いが回り過ぎてて体の動きがおぼつかない。またとない幸運だ。何としても彼らだけは助けねばならない。広場を突っ切ろうとしたルーファンの右手から、ワイバーンが羽ばたきもせずに突進してくる。空中に足場を作って引力を生み出し、引っ張られるようにして空中へとルーファンは回避する。使用者以外には影響を与えないという特性故に、ワイバーンが共に引き寄せられるという事は起きない。


 空中で見えない壁を蹴るようにして曲芸の様に翻弄し、的にされている人々の元へ辿り着いた。


来たれカ・トゥーレ !」


 銃を構えているリミグロン兵の一人に対して引き寄せの呪文を唱える。たちまち彼の体は吸い寄せられ、間もなく憑依呪文を使った剣によって胴体を真っ二つにされた。そのまま敵を次々と斬り殺し、ルーファンはまだ生きているらしい人々を解放する。


「今の内だ!行け!」


 ルーファンが叫ぶと、老人が頷いて女性と子供の手を引っ張って連れて行った。直後にワイバーンが背後からルーファンへ飛び掛かって来る。体を翻したはいいが、そのまま押し倒されたルーファンは必死にワイバーンの牙を剣で防ぎ続けた。広場で呑気していたリミグロン兵達も酔いが段々醒めて来たのか、こちらへ向かおうとしていた。


来たれカ・トゥーレ !」


 ルーファンは片腕を敵兵に向けて突き出し、引き寄せの呪文を叫んだ。兵士の一人が強烈な勢いでルーファンの方へと引き寄せられ、その勢いでワイバーンに激突する。当然リミグロン兵は項垂れながら倒れ、ぶつかったワイバーンは大きくよろめいた。


宿れドウェマ・ネト ! 」


 憑依呪文を剣に使い、その黒く染まった刀身でワイバーンの首を一突きにする。動かなくなったワイバーンが倒れこんできたため、慌てて抜け出してからすぐに態勢を整え、気持ちを落ち着けるために呼吸を何度か行う。魔法の使用において、最も重視すべき事が心理状況の安定化だったためである。


 肉体に宿る魔力を操作するにあたって必要なのが集中力であった。たとえどのような事象と対峙し、いかなる激情に駆られようとも魔法を使える態勢だけは欠かさない。パージット王国で兵士として訓練を受けた者達は幼いころから過酷な環境に身を置き、魔法を本能的に扱えるようになるまで訓練を行う。魔方陣による足場の形成、そしてそれを用いた移動を詠唱無しで行えるようになって初めて見習いと認められるのである。


 再びリミグロン側からの銃撃が襲って来た。ルーファンは防御呪文を使ってそれらを防ぎ、次々と彼らを打ち倒していく。魔法さえ使えればこちらの物だという余裕が心の中で生まれたが、それと同時に魔力を宿している存在がもうこの国にはいないというサラザールの発言が気がかりだった。レンテウスはどこだろうか?


「…あれは?」


 どこかから足音や掛け声が聞こえ、応援が来てしまったかと舌打ちをした時だった。広場の中央から左端にある噴水の前に、何かを取り付けている棒が刺さっていた。火の勢いに隠れ、切羽詰まった状況の中で飛び出してしまったせいで確認をしっかり行えていなかったルーファンは、周囲を警戒しながら走って近づいていく。地面に突き刺さっている棒の先端には、何か丸みを帯びた物が串刺しにされていた。そして、その下は赤黒く染まっており、距離が縮まるにつれて鼻に入って来る臭いが強くなる。そしてルーファンに残酷な答えが待っている事を告げていた。


 頭の中に浮かび始めた最悪の予想を必死に掻き消すため、ルーファンは必死に呼吸を整えた。頼む。せめて義父だけは生きていてくれと、ひとりよがりな願いまで湧き起こる始末である。


「…父上」


 だが、その棒に刺さっていた物体の正体を見たルーファンは静かに呟いた。心の内で理性や感情を必死に縛り付けていた紐が切れ、力が抜けた様にルーファンは跪く。剣を握る力が失われていき、遂には放してしまった。虚ろな目をして、マヌケに口を半開きにしている首たちが団子のように串に刺され、憩いの場であった噴水の前で見世物にされている。そんな生首たちの列の真ん中で、無様な切り傷を顔中に作っている壮年の男は他ならぬレンテウスであった。


「一体何があった⁉」


 遠くで声が聞こえる。リミグロンの連中だ。死体を見つけて狼狽えているが、やがて犯人探しを始めるだろう。自分に危機が迫っている事を知ったルーファンは、静かに立ち上がった。


「おい、あそこに誰かいるぞ ! まさか…」

「やってくれたな、くたばり損ないめ !」

「貴様…よくも !」


 付近を調べていた増援もルーファンの存在に気づいたらしく、口々に仇に違いないと断定して辺りを取り囲もうとし始めた。ルーファンは立ち上がったものの、彼らの方を向こうともしない。ただずっと変わり果てた義父や仲間の姿を見ながら、敵兵達の声を聞いていた。


 やってくれたな、とはどういう意味だろうか。自分の仲間を殺された事に怒っているのか?だとするなら驚いた。彼らに死者を慈しむ事が出来るだけの情が残っていたのか。ルーファンは彼らの持つ怒りが自分に向けられている事を知り、なぜそこまで激昂しているのかと不思議に思う。


 そこまで人を思いやることが出来るなら、人の死に怒り、その元凶へ向かって殺意を向ける事が出来るのなら、なぜ同胞達が斬り殺されたのかを理解しているだろうに。俺がその様な行動をするに至った原因がどこにあるのか、今この瞬間に彼らは一度でも考えたのだろうか。


 自身への不甲斐なさに対する物とは別の怒りがルーファンの中で湧きあがった。勝手に仕掛け、犯し、奪ったにも拘らず、自らが狙われた途端に被害者を気取る彼らのふてぶてしさに対する苛立ちである。この殺戮者共は自分達の行いを客観的に見ようとすらしていない。だからこそぬけぬけと怒れるのだ。自分達が始めた戦いだという事を知るべきだ。お前達が人々に非道な仕打ちをしなければ、奪わなければ……そもそも戦いを始めなければ起こり得なかった出来事である。全て報いが返ってきたに過ぎない。


「…よくも ?」


 ルーファンは静かに呟いた。そしてその声に震えが混じっている事を自覚し、やがて自分の抱いている感情の正体を悟る。喪失に対する悲観と、リミグロンに対する燃え上がる様な憎悪の二つが入り混じった事で生まれた果てる事の無いであろう怨嗟であった。顔が歪み、柄を握りしめていた手に再び力が戻る。


「うあああああああああああああ‼」


 突発的に発したその大地を震わすような叫びは、行き場のない思いを吐き出させると同時に、彼の中にあった理性の枷が外れた事を報せる。ひたすらに力を駆使して暴力を振るいたいという戦士としての本懐、必死に抑えつけていたその衝動はルーファンの感情が爆発した事で解放された。代償を払わせてやるという決意を抱いたルーファンは、人に見せびらかすことが無いであろう心の奥底で歓喜した。彼らの愚行が自らの行いに大義名分を持たせてくれたと。


 もう加減や情けを見せる必要などない。奴らは殺されて当然の蛮族である。血で血を洗う戦いに身を置く事で奴らを滅ぼせるというなら、俺は喜んで渦中に放り込まれてやろう。その中でひたすらに荒れ狂い続ける修羅になってやる。


「何だ⁉」


 リミグロン兵の一人が叫んだ。一斉に攻撃を行おうとした直後、叫んでいたルーファンの肉体から大量の黒い闇が、さながら噴火しているかのような勢いで噴き出した。辺りは闇によって染められ、黒い空と大地に変わり果てていく。太陽さえも覆い隠し、兵士達は視界が闇に支配された事を感じ取った。首を回すが何も見えず、藻掻く事さえできない。その中で一人、また一人と悲鳴を上げていく。


 誰がやられているのかさえ分からない。次は自分なのかと怯える彼らだったが、不意に爆発が聞こえたかと思った矢先に視界が晴れた。島に残る反乱因子を徹底的に滅ぼすために、飛行船が空襲を始めたのだ。ルーファンは爆風の衝撃で付近の壁に叩きつけられていた。僅かの間に見えていたあの暗い空間は、彼の魔法によるものだろうか。いずれにせよあのままでは全滅していたと、生き残ったリミグロン兵達は味方の死体を見ながら思った。


 トドメを刺すべきか、拘束して上官の判断を仰ぐか迷った彼らだったが、その一瞬の躊躇いが大きな過ちだった。ルーファンはすぐさま立ち上がり、血走った目で睨みつけながら剣を引き摺った。


「い、生きてるぞ…!全員、攻撃の――」


 攻撃の準備をしろと言いかけた仲間がルーファンの呪文によって引き寄せられ、間もなく頭から剣で真っ二つにされた。口や額から血を流し、同胞の返り血で染まった表情を変える事無くルーファンは走り出す。その強靭さや悪運もさることながら、強い殺意が窺える鬼の形相は、リミグロン兵達に虎の尾を踏みつけてしまった事をハッキリと自覚させた。

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