第13話 胸騒ぎ

 覚悟はしていたがここまでとは。ルーファンは呼吸を整え、冷静さを装いながら周囲を見る。しかし見るに堪えない姿となった若き兵士達、そして本来なら自身を見捨てでも〈聖地〉へ向かうべきだったソリスの亡骸にようやく目が留まった。震えそうになる体で近づき、ゆっくりと彼女の死体に触れる。生気が感じられない程に固く、そして冷たかった。


 破壊された頭部を触っていると、彼女の血がベッタリと掌に付着する。人間の肉体にここまで近づいて調べる事など今までなかった。死体というものに対して忌避感を抱いていたが、そんな事は最早どうでもいい。こうして触り、揺すってやれば起きるかもしれない。平常心の欠片も無い判断ではあったが、ルーファンは希望を捨てきれずにいた。


 亡骸を腕に抱き、唇を震わしながら何かを問いかけようとするが言葉が出ない。今更無駄だと分かっていたが、やらずにはいられなかった。しかし言葉よりも先に出て来たのは涙である。守れなかったという無念、力が及ばずに打ちのめされたという屈辱、義父との約束を果たせなかった不甲斐なさ…全てが一挙に眼窩へ押し寄せ、涙となって頬を伝い、死体や自分の腕に滴っていく。


「…気は済んだ?もう誰もいない。少なくともここには」


 そんな彼に対し、死んだ人間の心配をしてる場合ではないとサラザールが無慈悲に現実を突きつける。ルーファンはすぐにでも彼女に掴みかかりたい衝動に駆られたが、間もなく近くで死んでいるリミグロン兵を見かけ、別の不安を脳裏に引き起こした。


「父上……」


 そう、この場所にまで来たという事は、レンテウスや防衛部隊が受け持っている城下町や宮殿にまで被害が及んでいる可能性がある。血も涙も持ち合わせて無さそうなサラザールの態度はとにかく、この場に留まっている事が危険であるという点は同意するしかなかった。幸い、今の自分には力がある。


 身を護る術があるという安心感は、ルーファンに闘志と活力を呼び起こさせた。まずは宮殿と城下町へ向かおう。とにかく今は情報を集めなければならない。全てが無事に済んだら必ず埋葬してやる。それまで待っていて欲しいとルーファンは静かにソリスの体を置いた。


「安全な場所に隠れててくれ」


 ルーファンはサラザールへ言った。


「この場所は危険だろ」

「どうかしら。連中の狙いはあなたよ。少なくとも今はね」

「どうしてそんな事が分かる?」

「そこら辺にいる連中を倒してから話を聞いた。どうやら、魔力を探知する術を彼らは持っている。さっきも言った通り、今この島で魔力を宿しているのはあなただけ…ああ、忘れてた。一応私もね」


 不思議そうに見つめて来るルーファンにサラザールは答えて階段に座り込む。自分以外に見つけた生存者という事もあって、勝手に動かれては困ると思ったルーファンは彼女に近づいた。


「君も魔法を使えるのか?」


 後ろから彼女を見つつルーファンは聞いた。


「魔法という程でも無い。それに生憎だけど、あなたと比べて戦う力はほとんど無い…でも魔力を持っている以上、囮くらいにはなれる筈。極力魔法を使わずに城下町や宮殿へ向かえるかしら?」


 サラザールは振り向きざまに言い返す。


「出来ない事はないが…君はどうするつもりだ?」

「囮になる。あなたが動けるようになった時の影響で、この辺りに大量の魔力が放出された。魔力を探知できるのなら、異変の正体を探しにここへ向かう可能性が高い。〈聖地〉に対して連中が異常に執着してる事は分かってる。きっと大所帯で来るでしょうね…あなたはその間に向かえば良い」


 ルーファンは困惑した。抜け道を使って宮殿へ向かえば良いのだろうが、そうなれば彼女の身は危うくなってしまうだろう。そもそも信頼できる相手と決まったわけではない。妙に達観した態度なども含めて不信感が募っているのは勿論だが、戦いの最中に囮を買って出るなど死なせてくれと言っている様なものである。いかに怪しいとはいえ、見殺しにする様なマネは出来ない。


「無茶だ。殺されてしまうぞ。周りを見れば分かるだろう。彼らは抵抗しようがしまいが関係ない。この島にいる以上、平等に獲物として扱われるだけだ」


 ルーファンはすぐに拒んだ。


「易々とは殺されない…安心して。これでもちゃんと考えてるつもりよ」

「そこまでして俺に協力をする理由は何だ?」

「…それが私の使命だから」


 彼女の答えはさらに混乱を助長させた。この女は何を言っているのだろうか?義父や自分の下にこんな従者がいた記憶はない。それ以前に謎が多すぎる。その上で自身への手助けが使命とは、増々不安要素を積み重ねられていくだけだった。


「君は一体… ?」


 ルーファンは思わず呟き、慄く様に彼女を見ていた。


「時間が無いわ。早くした方が良い」


 サラザールはそれを無視し、尚も彼を急かした。間もなく遠くで馬の嘶き声がした。まだ生き残っているらしい。


「ほら、早くしないと走って移動する羽目になるわよ。それともここで、どれだけの規模で来るかも分からない敵を迎え撃つ気?」


 焦らせようとしているのか、彼女はさらに煽ろうとする。


「…分かった。くれぐれも気を付けてくれ。気分が変わったのなら逃げてくれても構わない」

「まあ、考えておく」


 散々迷ったルーファンだったが、敵をある程度引き付けてもらえるのなら都合が良いと考え、彼女に引き受けてもらう事にした。自分が意識を失っている間に彼女が守っていてくれたというのが事実ならば、決して戦えないというわけではないのだろう。それを信じる事にした。そのまま階段を駆け下りていくルーファンをサラザールは見送り、少ししてから洞窟の方へと目を向ける。


「変に探られても困るし…ね」


 そう言って歩き出した彼女は、その辺に佇んでいた岩を掴んで持ち上げた。そして洞窟の方へ運んで乱暴に置き始める。それ以外にも倒壊した大木なども運んでいき、洞窟を完全に塞いでしまった。どう見ても崩落した様にしか見えないが、突破しようと思えば出来るだろう。しかし、この場に自分が残ってから、彼らに対して「もう目的は達成できない」と告げれば恐らく諦めようとする筈である。


 手をはたきながらどこかで休もうと思っていた時、偶然ソリスの遺体に視線が向いた。辺りに散らばった仲間の中から、あれほど大事そうに抱えあげて泣き顔を浮かべるほどだ。きっと深いルーファンとは関係を持っていたのだろう。サラザールはとっくに理解していた。そのまま彼女の死体に近づき、腹部辺りを優しく触る。少しすると死体を中心に黒い渦巻が地面に現れ、やがて死体を底なし沼の様に引き摺り込んでいった。


「埋葬したいだろうしね…たぶん」


 そんな事を口走ってから、サラザールはどこかで休もうと辺りをうろつき始めた。




 ――――破壊された監視所の敷地内で縄に繋がれていた馬を見つけたルーファンは、それを駆って抜け道を進み続けていた。とにかく今は急がなければならないと、乱暴に手綱を操りながら宮殿の裏手を目指し続ける。追手の事など考えていられなかった。こうなってしまった以上は怯えていた所で何の意味も無い。


 トンネルを進み、ようやくたどり着きそうになったルーファンだったが出口を抜ける前に馬から降りた。もしかしたら待ち伏せされているかもしれないと警戒しつつ、慎重に歩みを進めていく。そしてトンネルを抜け、乱雑に破壊された形跡のある開けっ放しの裏手の門から宮殿へ侵入した。恐らくは既にリミグロンの手中に落ちてしまったのだろうと覚悟をしながら進み、やがて正門が見える位置にある営倉の裏手へと辿り着く。ここまでも含めて敵は見当たらない。恐らくは中で物色に明け暮れているのだろう。


 そのまま周りへ意識を向けつつ、なるべく遮蔽物になりそうな物の近くを通りながらルーファンは正門の裏へと立つ。そのまま少しだけ顔を出して外の様子を窺った。やはり街は火の海になっている。場所によっては既に焼け落ち、消し炭になっている様子も見えた。


「奴らめ…」


 増々怒りが体の内側から込み上げてくる。戦になればこのような事態になる事は珍しくない。分かってはいたが、される側に回るとこうも腹立たしいとは思わなかった。これだけの土地を開拓し、街を築き上げる苦労がどれほどの物か連中は分かっているのだろうか。


 雄叫びや武器同士のぶつかり合う音は聞こえない。戦いは終わっているのだろうか?ルーファンは町の様子を探ろうと、警戒心を緩める事なく慎重に外へ出て行く。門をくぐり、城下町へと続く街道を通るが、恐ろしい程に静かだった。聞こえるのはパチパチという水気のある材木が燃える音や、柱が燃えた事で耐えられなくなった建物の崩落する音ばかりである。


 火の手が回っていない家屋の陰に忍びながら進んでいくルーファンだったが、不意にどこかで騒がしい声が聞こえる。人だ。厳つくも荒々しい声ばかりだったが、妙に和やかな笑い声も響いていた。広場の方からだとルーファンは声のする方角から推測し、引き続き警戒をしながら忍び足で進んで行った。


「犠牲はあったが楽勝だったな!」

「全くだ。よくもまあ、こんな国が今まで生き残れてたもんだよ」


 やはりリミグロンか。微かに聞こえ始めた話し声からルーファンは断定した。やけに間の抜けた話し方からするに、酒盛りの真っただ中といった所だろう。


「何やってんだよ。まともに飛ばす事すら出来ねえのか下手くそ!」

「仕方ねえだろ、こんな古臭いもん使った事ねえんだから!」


 他の場所では何かに興じているのか、愉快そうな声で罵声や言い訳が飛び交っていた。さしずめ宴の催し物といった所かもしれない。ルーファンは商店の裏手に隠れたまま、油断しきっている彼らの行動を音のみで推理する。どうやら完全に勝利を確信しているらしい。後は人数だ。ルーファンは空間に魔方陣で足場を作りながら商店の屋根まで登っていき、身を低く構えながら様子を窺った。


 広場の中央には焚き火と、その周りに木箱が無造作に並べられ、何人かがどこかからくすねたのであろう酒を浴びるように飲んでいた。彼らの周りに屯しているワイバーン達は眠っており、そのうちの何体かはこれまた盗んだのであろう食料を喰らっている。こちらの存在に気づいていないとはいえ、数の多さからして真正面から挑むのは危険な状況であった。その奥には噴水がある筈だが、燃え盛っている巨大な焚き火やワイバーンのせいで良く見えない。


「おい、こいつらもうピクリともしねえ。替え持って来い!」


 再び声がした。先程から何をやっているのだろうかと、ルーファンは目を凝らして宴の最中に行われている催し物の正体を確かめる。笑いながら座って酒を呷るリミグロン兵たちの前には、慣れない手つきで弓矢を握る他の兵士達がいた。的当てか何かだろうかと、ルーファンは目を細めて標的が置かれている木や壁を睨む。瞬間、身の毛がよだつ様な怖気が走る。


 それは服を剥かれ、裸にされたパージット王国の人々であった。的にされている者達の体格から察するに、兵士だけではなく民間人にまで同じような仕打ちをしている事が分かる。比較的若い少年が土だらけになりながら引き摺られ、悲痛な泣き声で許しを請うが、その度に頑強な手甲を纏った拳で殴られた。泣けば泣いた分だけ殴られると悟った少年は、疲れたようにぐったりとして再び引き摺られていく。無数の矢が刺さった死体をどかし、同じように少年を木に縛り付ける。後に連れてこられた老人や女性も同様であった。


 異常な仕打ちに対する怖気が、故郷とそこに住む人々への侮辱に対する憤怒へ変わっていくのをルーファンは感じた。人の皮を被った外道共め。そう思っていた頃には立ち上がって家屋から飛び降り、彼らの元へ駆け出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る