第15話 執念
気が付けばリミグロン兵達は散り散りになって逃げ出していた。冷静な判断を以てすれば徒党を組んでいた方が良いかもしれないという状況だが、最早そんな事はどうでも良くなっていた。先程、あの男によって作り出された暗く冷たい空間に取り残された事を全員が思い返す。誰も助けに来てくれないあの暗闇で殺されるのを待つのを彼らは恐れた。何をされるのかも分からない中で、ただひたすら耳をつんざく悲鳴の数々が呼び起こされる。間違いなく命を奪われるだけで済むはずがない。
視界を闇に覆われ、孤独な形で始末されることを恐れた敵が逃げる中、ルーファンは体力がごっそりと失われているのを感じる。思えばまともに水や食料も口にしていない。何より先程の不可解な現象によって、僅かに備蓄されていた体力を無駄に消費してしまった。
「逃げられると思うな… !」
それでも尚、ルーファンは追跡を続ける。いかに荒れ果て、焼かれてしまおうと幼いころから馴染み親しんでいる町である。地の利は自分にあると確信していた。すぐにでも倒れて休みたがる体に鞭を打ち、建物の間を飛び交って走りながら逃げ惑うリミグロン兵達を次々と襲撃し、そして殺していった。空中から剣で飛び掛かって頭に突き刺し、足をもつれさせながら逃げ惑う者は背後から斬り捨て、なけなしの勇気で果敢に挑んできた者は、例外なく首や四肢を刎ねた。
「宮殿だ!宮殿へ逃げ込め!」
残っていた者達は口々に言い合いながら必死に逃走を続ける。やがてルーファンが通信用の装置を持っている者から優先して殺害していると一人が気づいた。正面から戦っても太刀打ちが出来ず、ましてや応援を呼び寄せられないのならば味方がいる場所へ逃げるしかない。宮殿の中には調査を行っている者達が幾らかいる筈である。上手くいけば隊長であるオニマとも連絡が取れるかもしれない。彼らはその望みに縋った。
出来る限りは狭い場所を逃げるべきだと考えてはいたが、そんな事はお見通しだと言う様に先回りしていたルーファンによって逃走する兵達の数は次第に減っていく。動く者はまとめて始末せんとする鬼気迫った怪物を背に、何度もずっこけ、他の仲間達を押し倒しながら我先にと全員が宮殿を目指していた。
何より恐ろしいのはその神出鬼没さである。まるで複数人いるかと錯覚させてしまう程に、ルーファンはどこからともなく現れ、確実に始末をしていく。ある時は脆くなった壁を突き破り、ある時は屋根の上から飛び降りて襲撃をしてくる。さらには魔法によって力づくで自分の元に引き寄せ、命乞いや悲鳴に躊躇する事なく殺した。
「すまない…!すまない…!」
背後からの悲鳴に懺悔をしながら兵士達はようやく宮殿へ辿り着いた。宮殿の調査を行っていた班や、そこで待機していた者達は異変を感じていたらしい。武装を携えたまま外の広場で城下の様子を見ていた。やがて、泥や血にまみれながらこちらへ戻って来る僅かな同胞と、彼らの背後から震え上がらずにはいられない程の恐ろしい闇の瘴気を纏って近づくルーファンを目撃する。異常な事が起こっていると直ちに判断した。
「総員、攻撃の準備をしろ!」
こうなれば仕方ない。必死に逃げ帰った仲間の事などお構いなしに、宮殿で待ち構えていたリミグロン兵達は銃で狙いを付ける。あんな歩調ではいずれ奴に追い付かれる。そうなってしまえば門を閉じる時間も無く、役に立たない手負いの輩と共にあの化け物も招き入れてしまう可能性があった。
「撃て!」
お前達の犠牲は無駄にはしないぞと決意し、合図と共に銃から光弾が放たれる。そのまま次々と蜂の巣にされるか、体を破壊される者達の後方でルーファンは呪文を唱えた。
「
防御呪文によって闇の防壁を生み出してから攻撃を凌ぎ、同士討ちの犠牲になった屍を踏みつけてルーファンは歩みを進める。敵の戦略や思惑を考える事などしない。とにかく一匹残らず殺せればよかった。
「ダメだ!一旦退避して連絡を――」
最前列にいた敵兵が声を発すると、ルーファンは即座に反応した。一気に走り出し、銃撃だけでなく近接用の装備を振るって来る敵の攻撃を掻い潜り、男に向かって剣を叩きつける。頭部が袈裟切りにされ、兜や脳の断面が垣間見えたが間もなく噴出した血の洪水によって掻き消される。あっという間に距離を詰められたリミグロン兵達はパニックに陥り、先程自らの手で始末した同胞達と同じように逃げ出す他無かった。
「化け物が!」
銃や近接用に支給されている剣で反撃に出た数人のリミグロン兵は、次々に魔法と剣術の餌食となった。丁寧に育てられた植え込みに血が飛び散り、敷き詰められた石畳とその隙間をも赤黒く滲ませる。張り巡らされた蜘蛛の巣の様に広がっていく血を足で踏みつけ、ルーファンは順番に殺せそうな者から始末していった。
「待ってくれ!俺が話を着けてやる!もう二度とこの国には――」
兜を取って顔を見せつつ、見え透いた話で生かして貰おうとする輩は特に虫唾が走った。殴り倒し、そのまま胸を一突きにしてから次に殺せそうな相手を探す。さながら逃げ惑う蟻を踏みつぶしていく感覚に近かった。「もう十分暴れただろう」と、一度だけ良心が体を締め付けそうな勢いで止めに入ろうとした。しかし、義父とソリスの死にざまが頭をよぎり、どうか止めないでくれと良心を押し殺した。
これは弔いだ。非道な振る舞いをした悪魔達に相応の代償を払わせているだけなのだと必死に正当化した。ルーファンは震えそうになる手に何度も握力を込め、平和な形で終わらせるには余りにも死に過ぎたこの戦いを呪った。なぜ自分は大人しく逃げなかったのだろうかと考えそうになる度、そうして憎悪を呼び起こそうと躍起になってしまう。
殺戮が終わり、損傷の激しい鎧や装束を乱暴に脱ぎ捨てたルーファンは、最後の一人が門へ向かって逃げ出そうとしているの目撃した。この戦いを終わらせるには、最早どちらかが死に絶えるまで続けるしかない。死んでいった者達の無念を一人で勝手に汲み取ったルーファンは、己の怒りで体を強張らせながら追いかけていく。その時、門の向こうから何者かが姿を現した。かなりの体格で背中には大槌に似た得物を携えている。鎧の形状からして、この雑兵たちの親玉だろうとルーファンは読んだ。
「
助けを呼びに向かっていた最後の一人を引き寄せの呪文でこちらへ動かす。そして必死に土や石に縋りつこうとしながら泣き叫ぶ敵兵をルーファンは掴んだ。
「待ってくれ!悪かった!見逃してくれ!」
殺す直前まで敵兵は泣き叫び、ぐずりながら惨めに命乞いをする。なぜこんな事になってしまったのかを省みる事さえしないその保身に徹する態度が、改めてルーファンを苛立たせた。
「…その言葉を、お前に殺された人々が聞いたらどう思うだろうな」
ルーファンの呟きから自分が助けてもらえないと悟った敵兵は絶望し、体が剣で貫かれるのを感じながらその生涯を後悔と共に終える。
「貴様は一体…?」
ルーファンが倒れた敵兵から剣を抜いた時、大男が戦慄を隠さずに言った。名乗るつもりなどは毛頭ない。どうせ貴様もここで死ぬのだから。ルーファンがそのまま次の獲物を見定めて殺しにかかろうとしたが、不意に上空から飛んできた光線によって阻まれる。咄嗟に後方へ躱しはしたが、直後に爆発が起きて吹き飛ばされてしまった。
「隊長!この地域を占領していた部隊がほぼ壊滅しています!撤退の準備を!」
爆発で目が眩んだオニマの背後から側近が現れ、彼に引くべきであると提案した。
「だが奴は!」
オニマが怒鳴り返す。
「あいつだけは殺さねばなるまい!」
「たかが一人です!何も恐れる事はない!島全域を対象に空爆を行います。それで確実に殺せる筈です!」
側近は時間が無いとオニマへ反論し、彼の体を引っ張ろうとする。飛行船から空襲を行う班が大人しく待ってくれるとは限らない。とにかく逃げて身の安全を確保しなければならなかった。納得できないといった態度でオニマは舌打ちをすると、側近が用意していたワイバーンに跨って空へと飛び去る。一瞬、青年の事が気になってか振り向いた瞬間、凄まじい殺気と共に鋭く刺さる視線を感じた。鳥肌が立ち、汗がジワジワと噴き出すのを感じながら飛び去り、次に訪れる頃には死体として再会出来る事を願って帰投した。
「…どこまでも追い詰めてやる」
衝撃で崩れた建物の瓦礫から体を出し、空へ飛び去る敵影を睨みつけてルーファンは呟いた。間もなく、どこかから翼がはためく様な大きな音が聞こえたかと思うと、ドラゴンを彷彿とさせる黒い鱗に覆われた翼を生やしたサラザールが空から勢いよく降り立った。辺りに風を撒き散らしながら翼を広げている彼女の姿を見たルーファンは、敵と対峙していた先程までとは打って変わって困惑が見え隠れしている。
「マズいわね、彼ら…本気でこの島を壊す気よ」
サラザールが空に浮かぶ無数の飛行船を見て言った。
「どこかに隠れるか、島を出ましょう。今すぐに」
「君は…いや…それより、まだ生き残っている者がいるかもしれない」
ルーファンはすかさず言い返そうとするが、彼女はそれよりも早く溜息をついて見当違いである事を告げた。
「…あなたが死ねば、この島に眠っていた闇を司る〈幻神〉の力も完全に失われる。そうなれば今度こそ終わりよ」
「だからといって見捨てる訳には――」
サラザールに対して納得がいかないとルーファンが異論を唱えていた直後、飛行船から光線が放たれ、城下町で大爆発が起こった。爆弾も次々に投下され、島の大地を焼き尽くす勢いで業火が燃え広がっていく。やがて宮殿にも爆撃が命中し、栄華を誇っていたその煌びやかな景観が崩れ去ろうとしていた。
「最悪」
サラザールが叫び、翼をはためかせてルーファンの体を抱く。そのまま空襲や爆発を掻い潜りながら飛び去った。そして暫く飛行した後に、島が遠くに見える小さな無人島の浜辺へとルーファンを落とす。上手く着地が出来ずに浜の上を転がり、顔を海水や砂で汚したルーファンは、故郷が焼け野原になるのを眺めるしかなかった。
――――現在
過去の記憶を思い返していたルーファンは我に返り、ジョナサンを見ながら一言だけ「悪いな」と呟く。そして音を立てないように心掛けながら立ち上がった。やがて外で床が軋む音が聞こえたかと思うと、サラザールが部屋のドアを開けて戻って来る。
「わざわざすまなかったな」
ルーファンは言いながら、気持ち大目に置いてある駄賃を見た。
「あれだけあれば足りるだろう」
「おかげさまで怪しまれたわよ。彼、起きそう?」
サラザールは心配をしつつルーファンが座っていたものとは別の椅子に乗せていた本と、机に会った羅針盤を手に取る。間もなく両手に持っていたその腑たちが闇に覆われ、跡形もなく消失した。
「…便利だな」
ルーファンは羨まし気に彼女を見た。
「まあね。それでどうなの?ついて来られると面倒よ?」
「とりあえずは問題ない。あれだけのいびきを立ててるんなら、きっと大丈夫だ」
ルーファンは泥の様に眠っているジョナサンを目をやって少しだけ笑う。酒場で頼んだ酒の大半を調子に乗って飲み干そうとしていたせいだろう。いかに腕の立つ相棒を買って出てくれようと、行く先々であのような姿を晒されては良い迷惑である。
「さ、行こう」
彼の執念を買っていたのか、ルーファンはいつの日か再会できた暁には詫びとして奢ってやるの悪くないなどと考え、背中に背負っていた剣の具合を確かめてから部屋を出ようとした。その時、どこかから大きな爆発が聞こえる。
「…今のは?」
サラザールは思わず窓の方を見て呟く。窓の向こうでは周辺の建物から人々が慌てて逃げ出しており、間もなく彼らが何者かによって射殺されていくのを目撃した。何かが割れるか、壊されるような音が立て続けに曇った音で外から響き始める。
「宴ってわけでもなさそうだな」
ルーファンは呟き、嫌な予感がするのかサラザールの方を見る。そしてジョナサンを起こそうとした瞬間、壁を突き破る程の爆発が起きた。窓ガラスや砕けた壁の破片から顔を守り、衝撃のあまり床へ転んだルーファンはすぐさま体勢を立て直して剣を抜く。一方で吹き抜けとなってしまった壁からは数人のリミグロン兵が現れ、こちらへ銃を向けていた。
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