幸運は気まぐれ(五)
「そんな事、先輩は上手くやるに決まっているでしょう? 俺は先輩の『俯瞰』の能力を買っているんです。それに咄嗟の判断力も。パクチーと俺の様子を『俯瞰』した先輩は、即座に状況を察して芝居を壊さないように振る舞ってくれるに違いないと――簡単に言うなら俺は先輩を信頼してるんです」
そんな明け透けな後輩の賞賛に、志藤は目を
「……いや、俺は……」
「先輩は自己評価が低すぎるんですよ。時々『俯瞰』が上手く働かないことがあるでしょう? それは先輩の自己評価の低さが齟齬を生みだしているからです。先輩、ご自身を見つめ直してください」
青田がいつもの台詞を、付き合いの長い志藤に送る。だがそれでも志藤は自分を「俯瞰」しなかった。いやそれどころか……
「だけど俺は……」
「ああ、出版社から評価されない事ですか?」
尚も戸惑う志藤の心情を青田は的確に見抜く。その上で唇の端を歪めてこう言い放った。
「出版社の評価など、まったく意味を成しません。あれほどに作家に対して歪な関係が形成されているのに、それに気付きもしないで自らを上位に置いて悦に入るなど醜悪の極み。出版社こそ『己を見つめ直せ』ですよ」
「あ、あのな、出版社が全部そんなわけが――現に碧心社だって……」
さすがに志藤が止めに入ると、青田はすかさず姿勢を正しこう告げた。
「そうですよ。出版社と言っても、たかだか一カ所からの評価が低かっただけ。気に病む必要はありません。今は厳しくとも何事も潮目というものがありますから」
「……そう……だな」
ここまで後輩に励まされては志藤としても沈んでばかりはいられない。顔を上げる。目の前には姿勢良く炒め物を頬張る後輩の姿。そしてその瞬間、志藤は潮目が変わったのを感じた。自然に行っていた「俯瞰」が青田の「策」の弱点を見出したのだから。
「……あのな、青田」
「何です?」
「お前は毒では無いんだから、いざとなったらパクチーも飲み込めると考えたようだが」
「その通りです。ね? ですから先輩は……」
「それ無理だから」
志藤は青田に向かって、無慈悲にそう告げた。
「え?」
虚を突かれた青田は間抜けな声を発する。
「お前は、自分のパクチー嫌いを『俯瞰』出来ていないよ。どんな状況でも無理なものは無理だから。お前のパクチー嫌いはそれぐらいのレベル」
「なにを……」
「ならこれ、食べてみればいい」
志藤はそう言いながら、青田が後から持ってきたタッパーを開けた。何かの煮物が入っていたが、それよりもすぐにわかるのは……
「そ……その臭いは」
「だから、お前に見せないように隠してあったと思う。それをお前は『旨いものを隠している』と勝手に解釈して、意気揚々と持ってきたんだよ……まぁ、それはいいや。とにかくこれで実地検証も可能だろう? 食べてみろよ」
青田の顔に汗が浮かぶ。自身が追い詰められたことを認めてしまったようだ。しかしそれでも青田は抗ってみせる。よくよく見ればタッパーの中に入っていたのは「手羽先と大根の煮物」であるようだ。それに立ち向かうように青田は箸を持ち、構えてみせるが、襲いかかってくるのはパクチーの香り。箸でどうこう出来るはずも無い――当たり前だが。
そして青田は――
「あ、逃げた」
志藤はわざわざ口に出すことで、青田の敗北を宣言する。その青田は一体どこまで逃げ出したのか。随分遠くから懇願の叫びが聞こえてきた。
「先輩! 蓋を! タッパーの蓋を!!」
「全然ダメじゃないか」
笑いながら志藤はタッパーの蓋を閉める。
まったくこれでは青田が本当にパクチーエキス入りのボトルを選んでいたら、どうなっていたことか? 今だから笑い話で済むが――
志藤は改めて「俯瞰」し、あの瞬間、まさに青田は永瀬の「運」を上回っていた事に気付く。いや「運」の強弱とというよりは、ただ単に「
そして、志藤は思いつく。
この顛末を本にまとめたときに付けるべき
その名は――
――「
了
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