幸運は気まぐれ(四)

 いよいよ本命、というわけではないだろうが青田の意気込みに応えるように志藤はもう一つタッパーを開けた。食い上戸の自覚は無かったがビールだけで付き合うのも何やら口寂しい。青田が後から持ってきたタッパーには手を出さずに、別のタッパーを開ける。

 中に収まっていたのは「ジャガイモとベーコンの炒め物」。それに黒胡椒がたっぷり。それを確認しながら「俺たちは何故、順番にタッパーを開けているのだろう?」と志藤は益体の無い疑問に取り込まれそうになる。しかしそのまま、それを小鉢に分けてまずは青田に差し出した。

「どうも――それでですね。どこから始めましょうか。先輩はどこまで知っていたんです?」

「打ち合わせでは、お前がボトルを入れ替えるって話だったな。注射器については半端に知っていたが……お前の話がとにかく中途半端というかまだら過ぎるんだよ」

 そして志藤は自分の分の炒め物を小鉢に取り分ける。

「そこは先輩を信頼してのことですよ。つまり注射器がある事は当然知っていた。それを拾い集める事態になることも」

「逆に言うと、それぐらいしか知らん。いや、入れ替えは知っていたが……やっぱり斑なんだよなぁ」

 ため息をつきながら志藤は炒め物を口元に運ぶ。そしてほとんど同時にビールを口に含んだ。

「……それなら先輩が知っている部分をオミットするよりも、その辺りは気にしないで説明した方が早いようですね」

 そう答える青田も缶酎ハイで喉を湿らせた。志藤もビールを喉で味わいながら、その提案に頷く。

「それで良いよ」

「では――まず入れ替えを永瀬さんに見破られた件ですが、これは当たり前にこちらの仕掛けです。俺としては傷ぐらいで良いだろうと考えていたんですが、やけに凝ったものを用意してくれましてね」

 青田のコネの力が仕事をしたらしい。

「継ぎ目がわかるようなキャップが実際にあるらしくてですね。そのほうが良いだろうと。永瀬さんが何やら向きを整え始めたときは、ほくそ笑んでいました」

 青田の声から感情が消えて行く。内容とは裏腹に。

「そこで、わかりやすく入れ替えというズルをして見せました。その後は説明するまでもないですね。永瀬さんは調子に乗って勝ち誇り、自分が毒だと思っている――思い込まされているボトルを飲むように俺に命令しました。それが自分自身の『運』をないがしろにする行為だとは気付かずに」

「そこだ」

 志藤が短く声を挟んだ。

「『運』については触らないことにしてだ。あの時点で、お前がどのボトルかわからなければ、話がおかしくなる。俺も色々パターンを考えたんだが……」

「おかしくなりませんよ。先輩はあの時点で何か小細工があって、俺が危険なボトルを知っているに違いないと考えているから、おかしいように思えてしまう。つまり――俺は何も知らなかった。それが真相」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 志藤は改めて青田の行動を俯瞰した。

 ――永瀬が選んで入れ替える。シャッフルする。この時点で青田は危険なボトルがどれなのかわからなくなっている……ということは――

「ズルして入れ替えたボトルが、危険なものかどうかもわからないのか」

「そうです。永瀬さん側のボトルのどれが安全なのかも。ズルを見破ってくれなければ、そのほうが確率的には危険でしたね」

「確率! ここに来て確率か!」

 志藤は堪えきれず笑い出してしまった。一方で青田は姿勢良くグビグビと缶酎ハイを呷る。やがて志藤の笑いの発作が収まり、改めて青田に向かって身を乗り出した。

「そこまではわかった。それで危険なボトルに入っていたのは毒じゃ無いんだな? 一体何だ?」

「……危険なことに変わりはありませんよ」

 珍しく言い淀む青田。先ほど一気に呷ったのはアルコールの助けを借りようとしていたのかも知れない。しかし志藤は追及の手を緩めなかった。

「だから!」

「……パクチーです。正確にはパクチーエキス。希釈はしましたが俺にとっては毒に等しい」

 志藤は動きを止めた。言葉も止めた。その馬鹿らしい――それだけに深刻な告白に、志藤はもはや「俯瞰」も出来ない。ただ出来る事は――思い切りよく笑い出すことだけ。そうやって笑う内に志藤は「俯瞰」させることを回復した。そして思い出す。青田に「不自然な死」の顛末を伝えたときに、最初に永瀬が生春巻きを食べたことから始めたのかもしれないと。青田に接触するためのタブーとして。話の導入として。

 もしそうなら青田が、毒の代わりとしてパクチーを思いついたのは……

「毒に等しくても、毒ではありませんから」

 志藤のそんな様子を見てどこまで察したのか。青田が憮然とした面持ちで説明を続ける。 

「永瀬さんを騙せるほどに深刻な様子になっても、それは決して毒では無いのです」

 今更、自分に言い聞かせるように青田はそう告げた。ようやく笑いが収まってきた志藤が改めて気付く。

「うん? 待てよ。あの時、俺も口にしたよな。それをお前は演技中という理由で止めなかったが、パクチー入りでも、そもそも俺を止められないだろう? それで俺は毒じゃ無くてパクチーが入っていることに気付いて……でも永瀬さんには毒と思わせなければならないわけだから……」

 一体、青田がどういう算段だったのか見失う志藤。それに対して今度は青田が笑みを見せる。

「そんな事……」

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