崩壊(三)
青田は永瀬の全てを否定してしまった。十重二十重の罠に掛けて。命を賭けることが出来ない――そんな当たり前の判断に対して、自らは「命を賭けた」という実績を青田は見せつける。完全に青田は永瀬を下に見ていた。
そして、それだから、と評すべきなのか。はたまた、それなのに、と言うべきなのか。
青田の攻撃は緩まることはなかった。もはや何も残っていないはずの永瀬に向かってさえ。
「何も無いと言えば永瀬さん。貴方、お仕事の評価も芳しくないようですね」
そんな青田の指摘に、グラリ、と身体を揺らして反応できただけ永瀬を讃えるべきかも知れない。
「これは先輩の聞き込みの成果なんですがね。貴方、当たり前に評判がよろしくないご様子。単に永瀬さんが藤田さんの髪型を知っていたかを確認するだけで、先輩は随分愚痴を聞かされたそうでしてね」
永瀬の目が志藤に向けられる。それに対して巻き込まれた感覚――言ってみれば事後従犯であることを強要されたような――を抱きながら志藤は首を縦に振る。
「貴方、受け持った方々の作品がまったくものにならないそうでして。色々、面白くも無いお話も伺いましたよ。こんな言葉を担当された作家にお掛けにっているそうですね? 確か……『編集は神。自称小説家なんて腐るほどいる。編集は選ぶ側』『何故選ばないのかって? それに理由を要求することが、まず間違い。むしろ選ばせない作家が悪い。理由もわからない作家が悪い』――等々。さすがに自分を超越者と断じる方のお言葉です。いや逆に『運』良く編集という仕事に就いてしまったから自己神格化が進んだのか」
「な、何を……!」
「いえ、貴方がそう主張されるなら、それはそれで構いませんよ。ただ……俺はよくわかりませんが編集というお仕事もまた言葉を扱うお仕事に変わりは無いはず。それなのに先ほど紹介させて頂いた永瀬さんのお言葉。まったく優れたところが見当たりません。本当に文章に接するお仕事なんですか? そこがまず疑問です」
永瀬は唇を噛む。志藤もまた何も言えなくなってした。編集と作家の間には厳とした関係性がある。それぞれの立場の違いはある。それは仕方が無い。だがそれでも片方が片方を下に見て、まともに相手をしないことが果たして許されることなのか?
「建前」を理解しながらも志藤は思わず胸の内で青田を応援していた――どうしようもなく。
「それにですね。編集とは無から有を生み出すわけでは無いのでしょう? 先ほど『正解』を永瀬さんが作り出せなかったように。小説家であれば。何も無いところからでも『正解』を作り出すでしょうね。つまり……貴方は『下』なんですよ。全ての小説家の『下』」
「そ、そんなはずは無い!」
反射的に永瀬は叫ぶ。
「そもそも俺が担当に回された連中はどうしようも無い連中ばかりなんだ。まともに書くこともできない。都合の良い妄想垂れ流すばかりの気持ちの悪い連中より俺が『下』だと?」
「ふん。そんなもの貴方が適当にデタラメ言ってるだけでしょう? 先ほど私が貴方の都合の良さを指摘させていただきましたから、それを流用したと。だが相変わらず残念な能力しかお持ちでは無いから、名前をでっち上げることも出来ない。そんな架空の話は――」
「カワニシとトミノは本当にいた!」
「貴方が優位性を確認した?」
「そうだ! 俺は――」
「俺は?」
青田の表情からいつの間にか感情が消えていた。透明な眼差しでジッと永瀬を見つめている。だからこそ永瀬は己の失敗を悟った。今度こそ――今度こそ言ってはならない言葉を口にしてしまったと。志藤もまた永瀬と同じように驚愕している。そこまでの計画は知らされてはいなかったのだから。しかし驚愕しながらも、同時に「俯瞰」もしていた。永瀬に失言させるための「舞台装置」としての役割が、自分に与えられていたことに。
そして青田はもう一つの「舞台装置」を披露した。それはメモ用紙。青田が何事かを書き記して、箱のネームホルダーに差し込んだ、あのメモ用紙だ。青田は二つ折りにされたメモ用紙を手元で開く。
「先輩が虎谷さん――警察の方に聞き込みを行っていることは度々示したはず。それなのに永瀬さん。あまりに迂闊。そして、これが確認されている『不自然な死』と思われる現象に巻き込まれた方々の名前」
ゲームが始まる前に記されたメモの内容とは――
――
――
二つの名がボールペンでありながら、流麗な達筆で記されている。
「永瀬さん。貴方は何故、この方々の名前を知っていたんですか? そして何故この状況下でお二人の名前を出されたのですか?」
青田は淡々と告げる。永瀬は突きつけられたメモ用紙に記された名前を、信じられないと言った表情で見つめた。そして感情の見えない青田の表情と、そして自らが死に導いた二人の名前を交互に見比べ…………そして慟哭する。
その慟哭から滲み出ている感情は一体なんであったのか。後悔、羞恥、怒り、畏れ。到底、言葉で表現することは不可能であったのだろう。
――そして永瀬自身が理解出来ないことを、如何にして「言葉」にするべきなのか。
三人の命を奪った殺人鬼に、思わずそんな風に同情してしまったのが志藤の「小説家」としての
「……是非ともご自身を見つめ直すことをお勧めします。貴方の迂闊さは途方もない。ここに誘い込まれたことも気付いておられたのに、何故こうなることを予測できないのか――」
「それは無茶だよ、青田さん。相変わらずの手際だが」
突然、「四人目」の声が駐車場に響いた。スロープを登りながら姿を現したのはスーツ姿の虎谷だった。
「足立署の虎谷と言います。永瀬さん、同行お願いしますよ。おわかりでしょうが色々とお伺いしたいことがあります。足立署だけではなく」
「…………」
永瀬は呆然と虎谷を見つめていた。
「これも言うまでもない事かも知れませんが、この駐車場の音声は記録されています。青田さんと志藤さんの指示でね。それに下の階でも直接、やり取りを聞いていた者がこれだけ」
虎谷の宣言通り、さらに数名の人間が姿を現した。足立署の他の捜査員か――あるいは別の署の捜査員か。志藤は「これでまた青田のコネが増える」と他人事のように、そして不謹慎な事を考えてしまう。
そして永瀬は……
「あ、車……」
と、まるで緊急性のない、やはり他人事のような心配事を口にして永瀬は気付いてしまう。車を使わないように指示を出したのは青田であった事に。つまり、こういう状況――自分が抗いようのない任意同行で警察官に捕縛されてしまう事まで完全に青田は読み切っていた事になる。
もはや――
もはや、青田に勝負を挑んだことが自体が間違っていた――
そう悟らざるをえなかった永瀬は膝を屈し、背骨を丸め――そして崩壊した。
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