崩壊(二)

 青田は場を圧倒していた。つい先ほどまで膝を付いていたことなど嘘であったかのように――いや、実際に「嘘」だったのではないか? だが嘘であったとするなら一体「どこから」?

 虚々実々こそが「策」の基本であるとするなら、軍師志望者を名乗るこの男はどこから策を巡らせていたのか。しかしそれが余人に知られるようでは、それはすでに「策」では無い。

 軍師を目指す青田は長広舌を一端収めてこう告げた。

「と、サービスはここまで。永瀬さんにも今の状況が良くおわかり頂けたようですし」

「サービス……そうか、そんな話だったか」

 志藤が疲れ切ったように応じる。しかし青田の説明は「サービス」と言えるのだろうか? 例えるなら今までは「曖昧」の中に鋭い刃が隠されていた状態であったのに、青田はそれをむき出しの状態にしてしまったとも言える。危険を回避出来るならば確かに「サービス」ではあるのだろう。しかし……

「さて今度は永瀬さんの番です。さぁ、グッと」

 青田は、しっかりと感情を見せて永瀬を煽る。そう。永瀬には危険を回避する手段は無いのだ。であるならば「サービス」は「サービス」にならない。より効果的に永瀬を追い詰めるために「サービス」は行われたと考えるしかない。

「おや、お飲みにならない?」

 志藤は思わず永瀬に同情しそうになっていた。この後輩を「敵に回す」ということは、どういう事態を引き起こすのか? 率直に言って最悪に近い。そして「最悪」はさらに永瀬を責める。

「貴方は超越者なんでしょう? 俺が先ほど挙げたようにこの場の状況は四つ……いえ三つのパターンですか。その中から一つを選べば良いだけ。楽勝なのでは?」

「それは……」

 ほんの少し前まで余裕の笑みを見せ、青田を見下していた永瀬。しかし今はそれが完全に入れ替わっている。

「『運』は必ず貴方に正解を差し出すのでしょう。それが貴方の主張なのでは?」

「正解があるのなら……正解があるのならな! だけど正解は無いんだろう!?」

 青田に追い詰められた永瀬が叫ぶ。青田はそんな永瀬を見下ろした。敬語を使い続けて自らの余裕を見せつけてきた永瀬は今、青田に完全に見下されている。

「そう。それが永瀬さんの限界。『正解』が設定されていなければ状況を打破することも出来ないんですよ。貴方が勝ち誇っていた能力はその程度のものなんです。『運』が強いだけではね」

 そう言って青田は肩をすくめた。確実に永瀬を馬鹿にするように。

「その『運』も今、俺が上回りました。でなければ、今俺が生きているはずがない。そうなりますよね? 貴方がお得意の『推理』をするなら、そういうことになってしまう。つまり貴方は『策』で俺に負け『運』でも俺に負けたのです。ああ、これは失礼――そう短くまとめた方がよほど『サービス』らしかった」

「ひ、人を馬鹿に……」

「貴方がそれを仰る? 考えてみれば俺こそが『探偵』に相応しいのかも知れません。現に永瀬さんが良からぬ事をしている事実を推理によって導き出したわけですから。では、改めて永瀬さんという存在を推理してみましょう。問題はその『運』ですね。永瀬さんはその『運』の強さで自らの優越性を確認されていたようですが……果たしてそれは正しいのか?」

「な、何を言ってる!?」

「なに、良くあることです。貴方だけが特別なわけではない」

「だから!」

 やはり「最悪」には果てがない。青田がその気になって人を苛むとき、一体どこまでやってしまうつもりなのか。志藤は暗澹たる気持ちになる。しかし、それでも青田が何を言い出すのかは「俯瞰」出来ていた。むしろ青田が何を言い出すのかわからない永瀬が……

「おわかりにならない? よくある言葉にまとめてしまうなら『予断』。こうあるべきだ、という思い込みで事象をねじ曲げて受け止めてしまう。それが貴方がやってきたこと。『自分は運が良い』と都合良く思い込んでいたのではないですか? そうすれば自分の優位性を確認出来ますから」

「実際に儲けを出している!」

「それもまったく勉強せずに始めたわけでは無いのでしょう? 株式取引のことだと思われますが。そこに永瀬さんの作為がなかったと言い切れますか?」

 青田は永瀬の言葉をことごとくすり潰して行く。

「貴方の主張は、都合の良いところを取り出してアピールしているだけ。そんな詐欺の手口がよくありますよね? 貴方は自分自身に詐欺行為を働いていただけ。騙す相手も貴方自身なのですから――何て簡単なお仕事」

「い、いい加減に!」

「そうして永瀬さんが守ってきた『運』の強さも、先ほど無意味になってしまったわけですが」

 青田は容赦しない。

「俺に負ける程度ではね? それはとりもなおさず今まで永瀬さんが小細工を用いて、ご自身の『運』の強さを演出していたという証明になるのでは? つまり今、俺に負けた貴方には――何も無い」

「……それが……」

「もちろん人より優れたものを持っていない、という意味では無いですよ。今までも何度か指摘させて頂きましたが、迂闊すぎるんですよ貴方は。つまり人間として、持っているべき能力も持っていない。実際ご自身の『運』の強さをうそぶきながら、その強さに全てを委ねることは出来ないでいた。だから盛んに小細工をしようとして……全てが失敗する」

「し、失敗など……」

「しているでしょう? この状況が貴方の考える『成功』ですか? それならそれで恐るべき認識能力ですが――間違っています。当たり前に。それでも尚、己のプライドを守りたいのなら飲めば良いでしょう? 貴方の目の前の、そのボトルを」

 青田ははっきりと嘲笑わらいながら永瀬に道を示して見せた。永瀬が決して、その道を選ぶことが出来ないとわかっていながら。だからこそ青田はさらに詰め寄る。

「俺は飲みましたよ。貴方もご存じの通り。貴方が下に見ていたはずの『人間』の俺が。さらに俺はボトルの指定も行いません。どれでもお好きなものをどうぞ。さぁ、ここまでやられて、悔しくは無いのですか?」

「お、おい」

 志藤がさすがに声を掛ける。そんな志藤の声が永瀬を動かす切っ掛けになる可能性もあったが……永瀬は動かない。四本のボトルの前で、ただ立ちすくんでいるだけ。

「ふむ」

 青田がそんな永瀬を見遣りながら、こう告げた。

「――プライドもお持ちでは無い」 

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