幸運は気まぐれ(一)
一連の騒動からおおよそ二ヶ月後。師走には突入しているが、そこまで慌ただしくなく。あるいは慌ただしさから目を逸らすように、ひたすらに寒波の厳しさを口にする、そんな季節――
志藤は青田の家を訪れていた。正確には志藤夫妻揃って青田宅――おそらく――を訪れており、女性陣は揃って買い物に出かけてしまっている。男性陣は外出を嫌って、こたつで丸くなっていた。ある程度は報告事項、伝達事項があるとはいえ当たり前に緊急では無い。何しろコタツへとモデルチェンジを果たしたテーブルの上に揃っているのは缶ビール。缶酎ハイ。そしてタッパーに入ったままのつまみが数種類。それを取り分けるための小鉢類と箸。有り体に言えば酒盛り状態だ。
――陽もまだ高いのに。
「……結局、二人はどこに行ったんだ?」
「都心とだけ」
「都心かぁ……」
青田の答えを聞きながら志藤は遠い町の噂でも聞いたかのように応じる。志藤は特に工夫もなくネルシャツの上から寒色系のセーター。下半身はコタツに潜り込んでいるが、まず間違いなくチノパンだろう。今は猫背をさらに丸め、缶ビールをちまちま飲むという冒涜的な振る舞いに腐心していた。
「そう言えば先輩のところ、帰省はどうされるんです?」
「普通に帰るよ。同じ町だしな。お前は相変わらずか。勘当中」
「そうですとも」
胸を張って答える青田の格好は薄着と言えるのかも知れない。ノーカラーの着流しのようにも見える利休鼠に翁格子のシャツを着ているだけのように見えるからだ。アンダーに何やら着込んでいる可能性もあるが、追求しても仕方がない。しかし姿勢良くコタツに潜り込むことが物理的に可能なのかどうか。とにかく今のところは姿勢に乱れは見られない。幸いにも――と言うべきか、頭髪に付いては七三に固めてはいなかった。
「そうだ。
缶ビールを傾けながら、突如志藤が報告を始めた。
「碧心社?」
「出版社だよ。大阪のな」
「へぇ……今回の顛末をそのまま本にしても大丈夫と言ってるんですか? もっとも日本の出版社は東京に一極集中し過ぎてますからね。先輩の狙いもその辺りですか?」
「別にノンフィクション書くつもりはないんだけどな。『編集が犯人』は、ずらせないし」
そんな話を永瀬ともしていたと、志藤は無意識のままに思い出していた。しかし青田の思考は別の方向に向いていたようだ。
「しかし何故いきなり……ああそうか。帰省から大阪を思い出して、つまり水ナスですね」
「過程は正しいが、結論の意味がわからない」
しかし青田はそれに構わずスッと立ち上がると、何処かに行ってしまった。いや、何処かもなにも――
「見つけましたよ。冷蔵庫の奥に隠してありました。俺から煮浸しを取り上げたというのに……」
青田は新しいタッパーを持って戻って来た。やはり台所に向かっていたらしい。
「今度は過程がわからないが……」
「わかりますよ。やはり奥さんには逆らえない。そういうことですよね」
志藤は、それに対し何かを言いかけたが止めておく。実際に口止めされていた事でもある。
「出版社と言えば快談社」
持ってきたタッパーを開けることなく青田は缶酎ハイを一口。
「結局どうなったんです? 俺が苦言を呈しましたが」
「お前か」
志藤が変だと思っていた事があるのだが、この後輩が何事かやっていたらしい。
「俺たちも結局、事情聴取ということになったでしょう?」
「それはそうだろうさ」
「で、あれこれ聞かれるものですから快談社のやり口については『まともな大人のやり口では無い』と答えるしかありませんでしたよ。能力の低い編集を担当に付けて作家との関係の自然消滅を画策するなど――互いの立場があるのですから、その辺りをキッチリと作家に告げれば良いんです。それを『悪者』になるのを嫌がって決定的なことを言わずに済ませようとする。控えめに言って――児戯」
青田は体言止めで快談社を斬って捨てた。その青田の評論に永瀬は胸の中で苦笑を浮かべる。そして青田の苦言はまだ終わりではなかった。
「永瀬さんは所謂首斬り係だったのでしょうね。ゆっくりとノコギリで首を斬るようなやり口ですが。そんな事ばかりを引き受けさせていては、自分を守るために自己神格化に走る展開もわからないでもない」
「『運』の強さについても?」
「さすがにそこまでは説明出来ませんよ。説明しようもありませんし。ただまぁ、運が良かった、で物事を片付ける事が出来るのなら、この事態もまた収めなければならないのでしょうね」
青田はタッパーを開けた。今持ってきたタッパーでは無く先に持ってきたもの。どうやらお楽しみは最後にするらしい。この後輩はこれでなかなかに子供っぽいところがある。そんな青田に「児戯」と斬って捨てられた快談社もまた散々に叩かれてはいる。マスコミにもネットでも――そして警察にも。
あれからしばらく後、大城戸から「会いたい」という連絡があり、そのまま大城戸に頭を下げられ、志藤との関係は一端無しにさせて貰う、と申し渡された。志藤はその申し出については了承したものの、大城戸の言動に違和感を感じていたのだが――そういう絡繰りであったか。大城戸、と言うか快談社は強制的に自らを「俯瞰」させられた、と言うことになるのだろう。
「俺は今回の件で、俺が考えていた作家と出版社の関係が随分変わっていることを知りましたよ」
タッパーの中は鯖缶の中身と大根おろし。それにポン酢を加えて何かしら手を加えたものらしい。振りかけられた
「関係性?」
と、青田に尋ねながら。青田は鯖缶の何かしらを取り分けながら、こう断じた。
「そう関係性の話です。俺から見ると、何とも『
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