あかねさす(四)
俯瞰――
果たしてそれは志藤の「クセ」だったはずだ。だが「不自然な死」の調査を進めるにあたって……何時からそれを行わなくなっていたのか。それを今、青田に指摘され尚、志藤はそれを「俯瞰」できない。
ほんの一時。まるで身震いするかのように一陣の風が吹いた。その風に煽られて庭木が震え、再び雨が降り出したかのような激しい音が内庭に響く。次いで聞こえてくるのは近くにある保育園から聞こえてくる別れの挨拶。こんな曇天を振り払うような子供達の声。果たしてそれは志藤の蒙を啓いたのか。しかし志藤の側にいる男はそれを待つような男では無い。
「イダ熊が犯人とする想定は無論警察も行っているのでしょう。わかりやすいですし効率から考えても本命からあたるのはむしろ公務員の本能。経費節減のためにね」
青田が説明を開始した。何のための説明かは告げぬままに。自らを「基点」と言わんばかりの姿勢の良さで。
「
「しかし」
反射的に志藤は声を発するが続ける事が出来ない。それは――
「普段の先輩であるならハルミックスの証言に接したとき、必ず反証も同時に俯瞰していた、と俺は思うんですがね。今まさに『俯瞰』の真っ最中ですか? 先輩」
感情の見えぬ声で青田が志藤に尋ねる。しかし志藤は「俯瞰」していたわけではなかった。それでも自分が少しおかしくなっていた事を気付いてはいて、そしてそれを受け入れる事を躊躇っていただけ――その辺りが正確なところだろう。そして青田はさらに志藤に詰め寄る。
「そもそも、おかしな話ですよ」
「……何がだ? 『不自然な死』についてか」
青田の容赦の無さに志藤は辟易しながらも救われた様にも感じていた。
「その『不自然な死』について俺の意見を聞きたいというお話ですよね?」
「そう……だが」
「でしたら先輩。俺に話を聞く前にしなければならないことがあるでしょう?」
青田は、やはりピンと伸びた姿勢のまま志藤を脅迫するように言葉を重ねる。
「――俺への報酬はどういう算段なんですか?」
志藤は思わず目を見開いた。それは青田の指摘に呆れたわけでは無い。青田とはこういう男だと志藤は知っていたからである。むしろ今まで青田に相談を持ちかけるにあたって、それに思い至らなかった自分自身に志藤は驚いたのだ。普通なら青田が要求するのは新たなコネ、ということになるのだが……
「先輩。これって元は執筆のためなんですよね?」
志藤が回答に迷っている間にさらに青田が続けた。
「あ、ああ……」
「では、印税の一割から二割いただくことにしましょう。漫画原作者がそれぐらいだと聞いた覚えがあります。単純に比較できる物では無いでしょうが、他に目安が無い」
「お前なぁ」
思わず志藤は苦笑を浮かべた。青田の言い分の奇妙さを「俯瞰」してしまったからだ。なにしろ印税が本当に入ってくるなんて保証は無いのである。つまりは――そういうことだ。この後輩なりの励まし、とも取れるが、もしかすると、どうにかして出版にこぎ着けるつもりなのかも知れない。
「最近うるさくてですね――俺をヒモだと。あれほど食客だと説明しているのに」
「その説明で何とかなると思っている所が、お前の甘えだよ」
自らの心の内の風雨が収まってゆくのを感じながら、志藤は青田を心理的に突き放した。そして今度は志藤から物理的に距離を詰めた。身体を縁側から居間の畳の上へと移動させる。
「――それでイダ熊では無いとするなら、誰が犯人なんだ? いや、その犯人が『連続殺人』を行っているのかどうかは……」
「先輩。この謎を解くには色々な前提条件が必要になります。いや前提条件の設置が次の前提条件を生みだしてしまうと言った方が正確かな」
青田の視線が斜め上を見上げた。
「『不自然な死は他殺で無ければならない』つまり『犯人は何かの思い込みの元で動いていなければならない』」
「なるほどそういう前提か……」
「そうです。そうなると次は『犯人は自分を神と思っていなければならない』になる」
その青田の言葉を志藤は俯瞰した。当たり前の事言っているように聞こえるが、どうにもそこに違和感があるようにも志藤は感じていた。それに何より――
「連続殺人は? 虎谷さんの勘違いか?」
「実は前提条件を全て是として考えて行くと、その過程に『死』が出現するんですよ。つまり『連続殺人』になったのは結果論ということになってしまう。謂わば臨床的な結果論」
何か酷く冒涜的な言葉を青田が紡いだ様に思えたが――いつものことだ。それに今まで提出された前提条件を是とするなら、その説明を行えば必然的にそれは冒涜的になってしまう。問題はそこから先だ。志藤は直接問いただす。
「青田。その犯人が誰かは見当がついているんだな? つまり警察も気付いていない“誰か”について」
「前提条件を是とした場合ですが」
そう答えた青田だが、珍しく迷うよな表情を見せた。
「ただ……どうもね。俺としてはこれぐらいのこと警察も気付きそうに思うんですが」
「安心しろ。お前は間違いなく『奇矯』だから」
――低く積み重なった黒い雲がようやくのことで流れていこうとしていた。
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