あかねさす(五)

 志藤に「奇矯」と断言されてしまったことによって青田はヘソを曲げたのか、その後、一向に「犯人」の名を口にしようとはしなかった。ただ見えている事象を並べて、ある人物を「犯人」だと決め打ちしてしまうと、どうしたわけかある程度形になってしまうと主張。それは「臨床的な結果論」――つまりは「連続殺人」についても同様で……

「被害者の共通点も見えてくる可能性があります」

「そこまでか――いや、その前に犯人は……」

「ですがやはり難物なのは大元になった『不自然な死』でしてね」

 どう足掻いても青田は犯人の名前を口にしないつもりらしい。志藤はそれに辟易していたが、同時にこうも俯瞰していた。――恐らく青田はもう策を巡らせ始めていると。しかし、その策をこの場で巡らせてそれにどんな意味があるのか。しかし次に青田が口にした言葉は全てを裏切るように――道義的であった。

「そもそも確証も無いのに、人を『犯人』扱いしてしまうことは問題がありますね」

「おい」

 たまらず志藤が声を上げるが、別に青田が道義的に振る舞うことに文句があるわけでは無い。問題はその先。道義的に振る舞うと、それに付随する事柄が非常に厄介であるのだ。何しろここから先、志藤に予測される未来は――

「先輩。まずは虎谷さんにもう一度会ってください。共通点が確実であれば最終的に『不自然な死』を形成した命を落とした方々の名前も漏らすでしょう」

 ――青田の使いっ走りだ。先回りでそういうことを行ってきたつもりだったが、青田の指示があれば話はもっと簡単になったのかも知れない。

「ごねるようなら『羽當はとう屋』の件と思わせぶりに囁けば問題無いでしょう。上手くすれば大手柄になるわけですからね。そこまではごねることは無いと思いますが」

 いや簡単にはなるかも知れないが加速度的に事態が剣呑な方向に向かって行く。そしてその先鋒は志藤なのだ。志藤は何よりもまず先にそれを本能的に回避しようとしていたのかもしれない。そんな志藤の本能の正しさを証明するかのように青田はさらに続けた。

「今回の藤田さんの『不自然な死』の作り方に関しては腹案があります。注射器がいるなぁ。となると武部さんか。先輩連絡お願いします。取りに行くのは俺がします」

「ちょっと待て。毒は経口だったんだぞ」

「ええ。別に毒を注射しようという話ではありませんから。俺の腹案では注射器になっただけで実際は注射器使われていない可能性もあります」

「そう……なのか? いやそれよりもまず」

「考えてみれば虎谷さんばかりに手柄を立てさせる必要も無いですね。こちらもしっかりと立ち回りましょう。編集の永瀬さんにも連絡を」

「いや、確かにそれは必要だとは思うが。永瀬さんもお前に会いたがっていたし」

「出版に当たっての手続きはやはり専門家にまかせるべきでしょうしね。『餅は餅屋』なんてことわざを持ち出す必要もない程に当たり前の話」

 ――そうなると本気で出版までこぎ着けるつもりらしい。

 志藤としてもそう考えざるを得ない。そこまで生活に……いやただ単に「仕事をした」という実績が欲しいのか、と志藤はさらに俯瞰した。もちろん志藤を励まそうという意図に嘘があったわけでは無いだろう、とも俯瞰している。

「こうやって段取りを決めていくと『犯人』については、やはり出し渋った方がよいようですね」

 だが、この青田の発言は看過できない。志藤は睨め上げるように青田に目を向けたが、それで大人しくなるような後輩では無いのだ。逆に目を爛々と輝かせて志藤を見つめ返すと、続けてこんな事を言い出した。

「これから先輩はあれこれ動き回るわけですが……」

「ちょっと待て、これ以上にか?」

 虎谷に会い、永瀬との「打ち合わせ」の段取り、以前青田に世話になった武部という医者に連絡した上で、その先には出版に向けてのあれこれが出現しているに違いない。藤田絡みで今も動き回っている最中とも言えるのだから、志藤が声を上げるのも仕方の無い所だろう。だが青田は堂々と道理を引っ込めた。

「俺の『被害者』と言うことになれば、話を持って行きやすいでしょう? 先輩を助けるために俺は――」

「無茶振りをする、と。相も変わらず口が減らないな」

 青田の言葉を強引に志藤が遮った。しかしそれを聞いた青田の表情から感情が消える。

「――せめて口が達者と。実際、この件に決着を付けるために必要な事は証拠でも推理でも無く『口』であるかも知れない」

「『口』? それは言葉ってことか?」

 その志藤の問い掛けに、再び青田は斜めに上を見上げた。元々、縁側に腰掛ける志藤を視界に収めるように青田は腰を下ろしていた。そしてその姿勢は今も変わってはいない。つまりその視線は縁側から内庭、そして雲の垂れ込める空へ――

「晴れましたか」

 そう呟いた青田の視線の先で、ついに雲が分かたれた。その合間に現れたのは真っ赤に染まった夕焼けの赤。一日中空を覆っていた雲を引き裂くためには、これほどの鋭い「赤」が必要だった。――そう錯覚させるほどに「赤」は瞳を灼く。


「――いえ。やはり『口』ですね」


 そんな「赤」の中で青田は断言する。瞳孔に「赤」を反射させて。

 志藤はそんな光景を「俯瞰」して考えてしまった。ひょっとすると闇を打ち払うために、とんでもないものに手を出した――そんな警句じみた言葉が志藤の脳裏に湧き上がる。だが結局は……

(そう結局は――)


 その後、二人は連れだって駅前へと歩いて行く事となった。今から夕食の準備をするのは、いかにも億劫だったからだ。そして道すがら二人は何を食べるかというおよそ原始的な事柄で口論になり、案の定と言うべきか青田が勝利を収めた。

「それでは天ぷらで」

 果たして口が奢った青田がどこに向かおうとしているのか。奈知子が家計から小遣いを渡してくれた事に感謝する志藤。結局、智者は何処にでもいるということだ。

(……そういうことだな)

 と、志藤がそう結論づけたのは諦観によるものか――はたまた「俯瞰」か。

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