あかねさす(三)

 机上ですら形にならなかった志藤のプロット作成。しかし、それは「不自然な死」にまつわる事象をまとめて青田に伝えるときに随分役に立ったことは望外の喜びと言うべきか。志藤は庭木の葉から落ちてゆく水滴を数えるように訥々と説明を続け、青田は書見台の上のタブレットをフリックしながら、時には何事か入力しながら、志藤の説明を聞き続ける――良すぎる姿勢を維持したままで。

 時間にしてわずか一時間程だろうか。それでも志藤は伝えるべき事は伝え終わった、と判断せざるを得なかった。ここしばらくの苦労がこれほど短い時間で説明出来たことについて、割に合わないと嘆くべきか、自分の手際の良さを誇るべきか。志藤はそれさえも判断出来ないでいた。そして曇天に未だ晴れ間は見えない。

 そして志藤はやり取りの主導権を青田に譲るように視線を向けながら短く尋ねた。

「……で?」

 ――どう思った? という言葉すら不要だろう。元々、青田に「不自然な死」についてどう考えるか? という主旨で訪問することは告げてあるのだから。だからこそ青田は志藤の問いに、まずはこう答える。

「取りあえず『気ままにカーバンクル』を確認してみました」

「ああ……」

 青田が何やらタブレットを操作していたのは、そんな理由があっての事らしい。もっとも、それは志藤自身が行うべき作業ではあるのだろう。だが、志藤は逆に同じネット上のデータということで、続けてこう尋ねた。

「それじゃ『カーバンクル調教法』も確認したのか?」

「いいえ」

 そう答える青田はすでに目線を上げていた。その上、目が爛々と輝いている。そんな青田の様子を見て、志藤は自分の心配が的中したことを悟らざるを得なかった。この段階で青田は何事か掴んでしまっている、と。しかも、ここ数日の自分の苦労を台無しにするような方向で。

(いや――)

 単に謎に興味を持っただけという可能性もある。青田がああいった目つきになった時は謂わば「危険な兆候」であるだけで、何かに「気付いた」とは言えないはずだ。だからこそ志藤は抗うように青田に向けてさらに細かく「確認」していった。

「……それは『カーバンクル調教法』には必要な情報はなかったと言うことか?」

「いいえ。先輩の説明で十分だと思いましたので」

「では、藤田さんの母親に会ったのは……」

「それは間違いなく必要ですよ。そのお話が無ければ――」

 不意に青田が言葉を打ち切った。それはつまり「最初の居酒屋での話」を聞いただけで青田が何かしらの答えを導き出す、その可能性。それを志藤が危惧していたということに、青田は気付いているということになる。だからこそ青田の次の言葉がこういう形になったことは必然でもあった。

「その『不自然な死』についてもわかりませんよ。そんな事が即座にわかる程、俺は奇矯な人間では無いと何度も訴えてきたはずですが――」

 志藤が半眼になってタブレットを載せた書見台をジッと見つめる。何処からどう見ても「奇矯」であるからだ。しかし、それは確かに志藤にとって必要な言葉であったのだろう。志藤がこっそりと一息つく。だがしかし、続けて放たれた青田の言葉は志藤の肺腑を鋭く突いた。

「――さすがにの名前ほどには」

「ちょ、ちょっと待て」

 志藤が慌てて青田を止めた。そして思い出す。この後輩は決して謎を解き明かす「探偵」では無かったと言うことに。つまり、すでに青田の策に囚われてしまっているかも知れない可能性。

 だが犯人の指摘だけなら志藤も自信があった。そして志藤はその犯人の名を青田から炙り出そうと考えてしまう。そのような考えに至ったのは――やはり怖かったのであろう。この後輩が全てを詳らかにして自分を根こそぎ攫って行ってしまうことに。だからこそ足場を確認するかのように、まずは外堀から埋めていった。

「そ、それはあれだな? 犯人は言うべき事を言ってなかったと、そういうことだな?」

 縁側から身をよじって尋ねてくる志藤に向けて、変わらぬ姿勢の青田はこくりと頷いた。

「まさに。先輩もお気づきでしたか」

「あ、ああ……つまり――」

 志藤は尚も慎重に「犯人」と思われるイダ熊の言動と周辺の証言を確認する。予断を引き起こさないために、イダ熊が怪しい、という志藤自身の判断はオミットして説明したが、情報を並べればどう考えてもそういう結果が導き出されるに違いない。いや青田に情報を提供したのは志藤であることに間違いないのだから、いくら気を付けても「イダ熊が犯人」というベクトルが情報に与えられてしまうことは避けようが無い……はず。

 だから、この状況下で別の名前が出てくるはずは無い。志藤は救いを求めるように、祈るように「犯人」の名を口にした。

「――イダ熊だよな? いや、本名はわからないんだから、そこはどうしようもないが……」

「いいえ」

 だが青田は無慈悲に、という表現さえ慈悲心を感じられるほどに、間髪入れずに志藤のを否定した。それは間違いなく志藤が「イダ熊」の名前を出すことを予見していたからこそ出来たこと。つまり志藤の説明にそういったベクトルがある事を青田は承知していたということでもある。

 では志藤に「いいえ」と告げるために青田は……

「先輩」

 青田が目を爛々とさせながら志藤を見据え、こう告げた。

「――はどうされました?」

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