第25話
「俺は千奈を尊敬するよ。相手から自分の記憶を消すなんて、俺にはできそうにないし」
優しいことを言われると目の奥がジンッと熱くなってくる。
「誰でもできるようになるよ」
必死で涙をこらえて答える。
あたしは気分を変えるためにアルバムを一枚めくった。
その表紙に足元に落下する色あせた封筒。
「なんだこれ?」
洋人君が拾い上げて、あたしは息を飲んだ。
「ごめん、それは――」
言いながら手を伸ばしたけれど、一足遅かった。
洋人君はその封筒を開けて、中の写真を取り出していたのだ。
セピア色に色あせた写っているのはあたしと、そして……。
「これ、俺のじいちゃんだ」
洋人君の言葉にあたしは頭の中が真っ白になった。
じいちゃん……?
洋人君はまじまじと写真を見つめている。
「うん、間違いない。じいちゃんだ。この写真も見たことがある」
「え……?」
そんなはずはないと言いかけて、口をつぐむ。
「じいちゃん、この写真をずっと大切にしてたんだ。隣の人は誰って聞いたけれど忘れたとしか答えてくれなかったけれど、そっか。これ、千奈だったんだな」
「待って……写真、大事にしてたの?」
それはあたしと洋介君との写真だった。
公園で階段から落ちそうになったあたしを助けてくれた洋介君。
不老不死だと伝えても信じてくれなかった洋介君。
それでも信じてもらいたくて、思わず手首なんか切って……それっきりになってしまった。
「あぁ。だから昔の恋人の話をするのが恥ずかしいんだろうなぁと思ってた」
あたしは左右に首を振った。
「そんなはずない。あたしは洋介君の記憶だって消したんだから」
「そっか。それじゃ、どうしてそんなに大切にしてたんだろうな?」
中には敏感な人がいて、記憶の改ざんを行っても薄っすらとあたしのことを覚えている人もいる。
洋介君もきっとそういう人のひとりだったんだろう。
だから写真を捨てることができなかったんだ。
「俺、この写真を見たときにこの人に恋をしたんだ。まだ幼稚園の頃だったけれど、なんて可愛い人なんだろうと思って。そっか、これ千奈だったんだな」
洋人君が頬を染め、嬉しそうに言う。
「恋?」
「そうだよ。だからどうしてもじいちゃんからこの人のことを聞き出したかったんだ。それが、こんな風にして出会えるなんて奇跡だよ!」
洋人君はあたしの手を握り締め、目をかがやかせて言う。
奇跡……。
確かに、あたしは洋介君の孫が洋人君だなんて知らなかった。
どこか似ているとは感じていたけれど、ただそれだけ。
同じ血筋の人を好きになるなんて、とても珍しいことかもしれない。
兄弟ならともかく、おじいさんと孫だなんて……。
「ごめんなさい。あたしがちゃんと記憶を消せていなかったから、そんな風に写真を残して痛んだと思う」
「いや、それは違うよ」
「え?」
「じいちゃんは本当に写真の中の千奈のことを忘れていたんだと思う。それでも捨てられず、時々写真を眺めていたんだ」
「どうしてそんなことをするの? あたしのことを忘れていたのなら、写真だって捨ててしまえばいいのに」
あたしの言葉に洋人君は首を振った。
「なんていうのかなこういうのって理屈じゃないんだと思うんだ。記憶は消されても心に残るっていうかさ」
心に残る……。
あんな別れ方をしてしまったのに、洋介君はあたしのことを心にとどめておいてくれたのだろうか。
あたしは無意識のうちに左手首をきつく握り締めていた。
古い傷がかすかに痛む。
血を見たときの洋介君の表情を思い出し、胸の奥がうずくようだった。
「記憶が消えてもすべてが消えてしまうわけじゃない。それを、俺のじいちゃんは教えてくれてるんだよ」
「どういう意味?」
「俺たちは何度でも出会って、何でも恋をしようって言ってるんだ!」
洋人君はそう言うと勢いよく立ち上がり、そのままの勢いであたしのことをお姫様抱っこしてきたのだ。
突然持ち上げられ、慌てて洋人君の首に両手を回す。
「なにするの!?」
こんな風に抱っこされることなんて生まれて初めての経験だった。
洋人君と密着している体が熱を持ち始め、顔を直視することもできなくなる。
男女がこういう風に戯れている姿はテレビとか、本の中では何度もみたことがあった。
でも、実際にやられるのと見ているだけでは大違いだった。
本を読んだり、音楽を聴くだけじゃ足らなくなり、自分の足で海外へ向かったときと同じようなものだった。
ここまで緊張で体がこわばってしまうなんて、あたしは知らなかった。
「やっぱり俺たち付き合おう!」
「ほ、本気!?」
お姫様抱っこをされたまま、聞き返す。
洋人君は大きくうなづいた。
「もちろんだ! 千奈が不老不死で、記憶を改ざんする力があったって、俺の気持ちは変わらない!」
いつの間にか窓の外は明るくなり始めていた。
雨は小粒になり、もうすぐやみそうだ。
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