第21話
2人のおかげで学校内の噂は消えているかもしれない。
それでもあたしはまだ洋館にいた。
食べなくてもいいから、あまり外にも出ていない。
このまま学校へ行かないという選択肢もあるんじゃないかと思い始めていた。
そうすれば周囲を巻き込むこともないし、洋人君の記憶からあたしを消す必要もない。
きっとこれが一番いい選択なんだと思う。
そう考えるようになってから、あたしは絵画の部屋でキャンバスに向かうようになっていた。
頭の中に記憶している洋人君の姿を目の前にキャンバスに投影していく。
あたしが絵を描き始めてから、もう何十年だ。
記憶の中にあるだけの洋人君の姿でも、生き写しのように描くことができる。
長く生きている間にあれもこれも習得してしまったが、それらはすべて日の目を浴びることはない。
どれだけ才能を伸ばしてみても、不老不死ということがバレてはならないからだ。
あの画家はまた生きている、今何歳だ。
あの作家はまだ生きている、今何歳だ。
そんな風に世間が騒ぎはじめたら、もうおしまいだ。
だからあたしが描いた作品は絶対に世に出ることはない。
あたし自身が強くそれを望んだとしてもだ。
それからあたしは夢中になって洋人君の絵を描いた。
キャンバスの中の洋人君はこちらへ笑顔を向けてくれて、その笑顔はあたしだけの特別なものだった。
1枚描けたら、また1枚。
草原で寝転ぶ洋人君。
海で遊ぶ洋人君。
あたしが見てみたいと思った洋人君を次々と絵にしていく。
気がつけば何日も眠っていなくて、食事もろくにとっていなかった。
さすがに体が痛くなってきたなと思った日のことだった。
再び庭先で足音がしたのだ。
あたしはテーブルの上に筆を置き、部屋の窓から庭をのぞいた。
また真夏たちが来たのか、それとも美鈴さんたちか……。
そう思っていると、男性の学生服が見えてあたしは瞬きをした。
ズボン姿の人物に驚いて目を細めて確認してみると、それが洋人君であることがわかった。
わかると同時にその場にしゃがみこんで身を隠していた。
どうして洋人君がここに!?
焦りと混乱で背中に汗が流れていく。
あたしは深呼吸をして自分の気持ちを落ち着けた。
洋人君がここに来るはずがない。
あたしはきっと、洋人君のことを考えすぎて厳格まで見えるようになったんだ。
きっと、そうだ。
そう思った次の瞬間、玄関がノックされたのだ。
その音に驚いて悲鳴を上げそうになってしまった。
この屋敷にノック音が響いたことなんて今まで1度もない。
初めてのことだった。
あたしは恐る恐る1階へと降りていく。
屋敷内も、そして外も静まり返っている。
広い玄関へ視線を向けると、またノック音が聞こえてきた。
あたしは階段の途中で足を止めてしまった。
あの向こうに洋人君がいると思うと、心臓が早鐘を打ち始める。
洋人君はあの噂を気にしてここに来てくれたんだと思う。
ここで出てしまえば、あの噂が本当だったと教えることになってしまう。
絶対に出ることはできない。
それでも気になって、あたしは階段の途中で座り様子を見守ることにした。
ノック音は時々聞こえてきて、そして静かになる。
しかし足音が聞こえてこないから帰ってはいないことがわかった。
玄関の前で根気強く、いるかいないかわからない住人を待っている洋人君の姿が脳裏に浮かんできて、軽くした唇をかみ締めた。
もうあたしのことなんて気にしないで、早く帰って。
その願いが通じたのか、急に窓の外が暗くなった。
そっと外をのぞいてみるとポツポツと雨が降り始めたのがわかった。
あたしはホッとして息を吐き出した。
こんな森の中で雨が降り始めたら、さすがの洋人君も帰るだろう。
そう思い、再び階段に腰をおろす。
雨は一気に勢いを増して外の音をかき消してしまう。
森に降り注ぐ雨は生物たちの命の源だった。
あたしは目を閉じて雨音を聞くのが好きだった。
鳥や野生動物たちが逃げ帰っていく音が、雨に混ざって聞こえてくる。
10分ほどそうしていただろうか、コンコンと、またノック音が聞こえてきた気がしてあたしは目をあけた。
明らかに自然の音とは違うそれに目を見張り、玄関ドアへ視線を向ける。
まさか、まだいるの?
あたしの心が通じたかのように「誰かいませんか?」という声が聞こえてきた。
それは間違いなく洋人君の声であたしは息を飲んだ。
同時に雨粒が大きくなったようで、洋人君の声を掻き消してしまう。
それでも無視していればいい。
このまま出なければ問題ない。
そう理解しているのに、あたしはフラリと立ち上がり玄関へ向かっていたのだ。
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