第9話
仕方ないと諦めて昨日のことを話している間に、洋人君が教室に入ってきた。
「千奈、おはよう!」
教室に入ってすぐ、あたしに笑顔と挨拶をくれる。
そんな洋人君にドキッと心臓がはねた。
「お、おはよう」
ぎこちなく返事をして、意識しすぎないように下を向く。
洋人君が自分の席へ向かったことを確認した2人が、また同時に「いい感じじゃん!」と、声をかけてきた。
「な、なに言ってんの。あたしは一番前の席だから声をかけられただけだし」
しどろもどろになりながら説明するが、2人のニヤけた顔は変わらない。
「もしかして、このまま付き合っちゃったりして?」
「いいなぁ。あたしも彼氏ほしい」
「ちょっと、適当なことばかり言わないでよ」
洋人君に聞こえてしまわないか冷や冷やしていたとき、2人のクラスメートがあたしたちに近づいてきた。
「ねぇ浅海さん。ちょっと聞きたいことがあるんだけどいい?」
そう言ったのは長身な沖田美鈴さんだ。
美鈴さんは長い髪の毛をポニーテールでまとめていて、少し釣り目で怖いイメージがある。
そんな美鈴さんの隣にいるのは田辺雅子さん。
雅子さんは背が小さくてたれ目のため、2人はでこぼこコンビと言われている。
「な、なに?」
2人とはまだ会話をしたことがなかったはずだ。
そう思っていたとき、ふと昨日の記憶がよみがえってきた。
そういえばこの2人昨日サッカーの試合を見に来ていなかった?
他の人たちをあまり意識して見ていなかったけれど、記憶の片隅にこの2人の顔が浮かんでくる。
「そういえば2人とも、昨日サッカーを見に来てた?」
聞くと、2人は同時に目を見交わせなぜか慌てた様子で「行くわけないじゃん」と、否定してきた。
けれど目は泳いでいるし、リアクションはオーバーだし、明らかに嘘をついている。
どうして嘘なんかつく必要があるんだろう?
首をかしげていると、雅子さんはあたしの机を叩いてきた。
バンッと大きな音がして思わず体が震えた。
「そんなことどうでもいいから。それよりあたしたち、浅海さんに確認したいことがあるんだよね」
たれ目だけど迫力のある声で雅子さんが言う。
その顔はどこか怒っているように見えて、たじろいだ。
あたし、なにかしちゃったのかな?
せっかく中学校生活を満喫しようと決めたのに、クラスメートを怒らせてしまったら本末転倒だ。
それに、この表情、あたしは今までも何度か見たことがあった。
あれは何年前のことだったかな?
あたしは日本にいて、何気なく外を散歩していたときのことだった。
ちょうど小学生の下校時刻とかぶっていて、いくつものランドセルがはしゃぎながら帰っていくのを見送った。
あたしはそんな光景を見るのが好きだったのだけれど、突然『返してよ!』と言う声が聞こえてきて振り向いた。
すると、今通り過ぎて行った2人の男の子たちが、1人の男の子のランドセルと奪っていたのだ。
ランドセルを奪われた子は背が小さく、2人からランドセルを奪い返すことができずにいる。
『返してよ! 返してよ!』
それでもジャンプを繰り返して手を伸ばす男の子。
あたしは知らない間に立ち止まり、その光景を見つめていた。
昔は日本でももっとひどいことが日常的に行われていた。
身売りとか、口減らしのために子供を殺すとか。
だからそれに比べればこのくらい可愛いものだ。
でも、目が離せなかった。
2人の男の子はランドセルを開き、さかさまにして中身を道路にぶちまけたのだ。
教科書やノートが散乱し、落下の衝撃で筆箱が開いて中身が転がる。
それを見た瞬間『あっ』と、思わず声を上げてしまっていた。
男の子たちの視線がこちらへ向かう。
こんなことに首を突っ込んでいてはきりがない。
長く生きてきたあたしなら十分に理解していたはずなのに、男の子が1人で文房具を広い集める姿を見ていると、いてもたってもいられなくなってしまった。
一歩前へ踏み出して『そういうの、やめなよ』と、声をかけたのだ。
イジメていた2人の男の子たちは一瞬たじろいだように後ずさりをしたが、すぐにあたしを睨みにつけてきた。
しかし、睨みつけてくるだけで何も言わないのだ。
だからこそ、その目に余計にひきつけられた。
じとっとした目。
粘ついて、相手への嫌悪を感じる目。
それを思い出して、あたしは強く身震いをしていた。
今美鈴さんと雅子さんは、あの子たちと同じような目をあたしへ向けている。
「確認って?」
「あのさぁ――」
雅子さんが口を開いたその時、ホームルーム開始を告げるチャイムが鳴り始め、先生が教室に入ってきた。
雅子さんは途中で口を閉じ、軽く舌打ちする。
「また今度でいいや。行くよ、雅子」
美鈴さんはそう言うと、雅子さんの手を掴んで行ってしまったのだった。
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