58 見つけたくて

 宮廷の研究室では、騒動以降ピエレットが国中から集めた仲間たちと共に缶詰め状態で研究を続けていた。

 どうにかして友人の視力を回復させようと、ピエレットは寝食も忘れて没頭する。

 すっかり目の下には隈ができ、髪を整える暇もない。

 ネルフェットが訪ねてきても、口数も少なくひたすらに手と脳を働かせていた。


 ある日、ネルフェットが流石に心配になって彼女に一日だけでも休みを取るように伝えた。それでもピエレットは、研究所の端でこっそりと石の欠片の分析を続ける。

 その行動がネルフェットに見つかったピエレット。ネルフェットは彼女を無理にでも研究室から出そうとするが、ピエレットは断固として拒否した。

 意固地になるピエレットに、ネルフェットは困り果てる。するとピエレットは、にっこりと笑ってこう言った。


「今、わたし、人生で一番生きてる心地がする。こんなに仲間に囲まれて、好きなことを追求できるんだから……! おまけにそれが、友だちを助けられるかもしれない……!」


 彼女のあまりにも無邪気な笑みに、ネルフェットは思わず口をつぐんだ。

 ピエレットの熱に敵わないことを悟ったネルフェットは、彼女がもっと思うように研究が進められるよう、全力でバックアップ体制を取ることにした。

 協力できることはなんでもして、研究者たちを労い続けた。


 ピエレットたちの努力は、騒動から二か月も経たないうちに実を結ぶ。

 彼女が想定したよりも早く研究が進んだのは、勿論ネルフェットの援助もあったからだろう。しかしそれ以上に、彼女がこれまで蓄積していった努力の数々が彼女自身を助けた。

 ピエレットと仲間たちは、魔法によって奪われたトニアの視界を回復する方法を編み出した。

 完璧なものではなかった。けれど、日常の生活を支障なく送ることは出来るはずだ。

 まだ不完全で、彼女が持っていた視力すべてを取り戻すことはできない。著しく視力は低下したままだと想定され、加えて再発の可能性があるほど不安定な状態。


 それでも、ピエレットたちは諦めかけていた希望を手にした。

 まだまだ研究を終わらせることはできない。

 ピエレットは小瓶の中に閉じ込めた美しい青紫色の液体を電球にかざす。見つけた光に、ピエレットは疲労が溜まった目元を細めて、柔らかに微笑んだ。



 がやがやと賑やかな声と複数の足音が廊下に響く。

 トニアはそれらの音が自分の病室に向かっているものだと分かり、寝ていた身体を起こした。


「失礼しまーす!」


 元気な声が部屋中にいきわたり、トニアは久しぶりに聞いたその声に表情を明るくする。


「トニア! 会いたかったよー!」


 部屋に入るなり、ピエレットはトニアに駆け寄り思い切りハグをした。トニアも彼女が来てくれたことが嬉しくて、泣きそうになりながらも彼女の存在を確かめる。


「お待たせして、本当にごめんね!」

「ん? ……なんのこと?」


 トニアの両手をぎゅっと握りしめるピエレット。トニアはぽかんとして首を傾げた。


「トニア」


 ピエレットがそわそわとした息を弾ませている後ろから、トニアにとっては懐かしい声が聞こえてくる。


「え? ……ジルド?」


 ポスターの中でしか会うことのできなかった兄の声だった。トニアは突然の兄の登場に驚いてわたわたと視線を泳がせる。


「久しぶりだな。トニア。来るのが遅くなって悪い」


 ジルドはトニアの頭をぽんぽんと撫でると、ベッドに腰を掛けてピエレットが離したトニアの手を包み込んだ。


「えっ。着くのは明日じゃなかったの?」


 ダーチャからジルドや他の家族が来ることは聞いていた。けれど、予定とは違う。トニアはジルドがいる方向に向かって身を乗り出す。


「早く来れるようになってな。今日、皆も来る。俺は仕事から直接来たから朝にはついたけど、皆もそろそろ着く頃だ。ダーチャが迎えに行ってる。久しぶりに皆でディナーでも食べよう」

「……! 本当!? 嬉しい……! 絶対行きたい……!」


 ジルドの誘いにトニアはぴょんっと肩を浮かせて飛び上がった。

 妹が心の底から嬉しそうな顔をしているので、ジルドは一安心したように彼女の髪を撫でる。


「あ……そうだ……。で、でもどうしたの……? ピエレットも、ジルドも一緒になって……。他にも、この部屋に人がいるんでしょう?」


 いつもは静寂に包まれている部屋の中に漂ういくつもの気配にトニアは不安そうに眉を下げた。


「な……何か、あったの……?」


 ジルドの手の下でトニアの手が縮こまっていくのが分かる。ジルドは彼女の手を優しく握りしめて、首を横に振った。


「心配するな、トニア。何も起きてない。悪いことは」

「…………じゃあ、どうして?」


 ますます不安になるトニア。得体の知れない出来事はもうたくさんだ。


「ふふふふふ。今日はトニアにお知らせがあります」


 もったいぶって、ピエレットがニヤニヤを隠せずに口を開く。


「な、なに……?」


 ジルドの手を握りしめ、トニアはごくりと息をのみ込んだ。


「これ」


 ピエレットは割れないよう厳重にケースにしまっていた小瓶を取り出しトニアの手に触れさせる。


「こ、これ……?」

「そう。魔物の化石から抽出した成分で、魔法の力を抑える薬を作った。これなら……完璧じゃないんだけど、視力が戻る。多分、すごい弱視になるから、矯正は必須なんだけど……」


 ピエレットは不完全であることを若干悔やみながらも彼女に説明をした。

 トニアはピエレットの口から飛び出た彼女の成果が都合の良い空想の物語のように聞こえ、きょとんとした顔をする。


「これがあれば、トニア……きっと、また見えるようになるよ」


 ピエレットはもう一度彼女に言い聞かせるように自分の研究結果を伝えた。


「う、そ……そんな……そんなこと、ある……の……?」


 トニアの手が震えて冷たくなっていく。ジルドは片手を離して彼女の背中を優しく撫で、気持ちを落ち着けようとした。


「信じられないだろうけど……信じて、欲しい、な」


 ピエレットははにかみながら小瓶をトニアの手に握らせた。

 トニアは手の平に乗った小瓶の感触に、彼女の話が嘘ではないのだと気づく。

 ゆっくりと顔を上げて、ピエレットの声がする方向を見上げた。


「信じているに決まってるでしょ……ピエレット」


 じわじわと全身を巡る喜びの実感に、トニアは瞳を震わせて、ほのかな笑みを彩っていく。


「ありがとう……ピエレット……! あなたは本当に、天才なんだね……!」


 手を伸ばしてピエレットにハグをしようとするので、ピエレットは照れながらも彼女の伸ばした手を迎え入れる。


「ふふふ。まだ不完全だから、これからだよ。わたしだって」


 耳を赤くして、慣れない称賛にピエレットはくすくすと笑った。

 ピエレットの後ろにいた研究者の一人が、ボトルに入った水に薬を溶かして丁寧に混ぜる。

 ピエレットを経由してトニアに渡ったボトルを、彼女は一度深呼吸をしてから口につけた。

 喉を流れていく苦みのある風邪薬のような味。トニアはそれを慎重に体内に流し込んでいく。


 すべて飲み干すと、急激な眠気が彼女を襲う。

 ジルドに寄りかかり、それからトニアは数分の間意識を失った。

 彼女が瞼を開くのを、部屋にいる人間は気持ちを一つにして待つ。願いはただ一つ。彼女の視界に形を取り戻すこと。


「ん…………」


 どき、どきとした緊張感が流れる病室で、トニアの瞼が僅かに動く。

 皆が息を殺して彼女に注目する中、静寂を蹴散らして突如として部屋の扉が勢いよく開く音が飛び込み、皆はぎくりと電流が走ったように身体を強張らせた。


「ピエレット! 置いていくなんて酷いじゃないか!」


 開かれた扉の向こうから弾丸のような声が飛んでくる。


「ね、ネルフェット……。だって、ずっと国王たちと話してて全然終わりそうにないんだもん……」


 ばつが悪い顔をして、ピエレットが寂しそうな顔をしているネルフェットを振り返った。

 今日、トニアに薬を届けることは前から決まっていた。当然ネルフェットも同行する予定だった。

 しかしピエレットが言った通り、彼は他のことにも追われていてなかなか時間が空かない。だからこそ待ちきれないピエレットは一足早く病院を訪れた。

 王子の登場に、研究者たちは申し訳なさそうに肩をすくめた。ピエレットも悪気はあるようで、えへへ、と誤魔化すように笑う。


「まったく……もう少し待ってくれれば……」


 扉を閉め、部屋の様子を改めて見渡したネルフェットはベッドに腰を掛けている端正な体格に目が留まる。

 ジルドは話にだけ聞いていた王子が自分を見て動きを止めたので、何事かと瞬きをした。


「お……お兄様!?」


 目が合った瞬間、ネルフェットは後ずさりをして驚いた声を上げる。ジルドは彼にお兄様と呼ばれたことがよく分からず、訝しげに眉を歪めた。

 実際に見るジルドはポスターなどで見るよりも色気があって逞しい。勇ましさを感じるのに清潔感のある彼のオーラに圧倒され、ネルフェットは先ほどまで募らせていたピエレットへの不満が消え失せた。


「ん……なに……どうしたの……」


 憧れの人を目の前にして固まってしまったネルフェットの声がぴたりと止むと、トニアの小さな声がジルドの腕の中から聞こえてくる。


「トニア……!」


 皆は一斉に彼女の方へと意識を向ける。まだ少し頭が眩むのか、トニアは恐る恐る顔を上げて瞼を開いた。

 ぼんやりとした白い視界の中に、しばらく忘れかけていた物体が揺らぐ影が見える。


「……ネルフェット……?」


 ピエレットの隣で自分のことを見ている彼の姿がうっすらと見えてきて、トニアは自信がなさそうに呟いた。


「……! トニア、見えるのか……?」


 ベッドに手をつき、ネルフェットは身を乗り出してトニアに顔を近づける。

 はっきりとした輪郭を持たなかった彼の姿が、距離が縮まったことによってほのかに輪郭を帯びてきた。彼の穏やかな笑顔をしっかりと認識した途端、張り詰めていた想いが溢れ出してトニアは瞳を潤ませた。

 彼女の瞳を覆っていた膜はもうない。ピエレットの言うように、その視力は微々たるものかもしれない。けれどネルフェットは、彼女が真っ直ぐに自分の瞳を見つめているのが分かり、安堵したように表情を崩す。


「見える……。ネルフェット。……ピエレット、ジルドも……」


 部屋を見回し、トニアは一人一人の顔を瞳に入れていく。離れていると表情は見えずにそこに人がいることが分かるだけだった。しかしトニアは靄がかかったような視界の中でも、大切な友だちと家族を見つけたことに涙を流す。


「ありがとう……ピエレット……皆さん……ありがとうございます……!」


 トニアは薬の効果に歓喜の表情を浮かべる皆に対して頭を下げる。ジルドもトニアのことをぎゅっと抱き寄せ、嬉しそうに微笑んだ。


「やっぱり、矯正は必要だよね。コンタクトレンズとか、眼鏡とか……。また、ちょうどいいものがないか探っていく」

「ありがとうピエレット。ふふ。でも、今のままでも、十分に嬉しいよ」

「だめだめ。研究者の生きがいを奪わないでよねっ」


 ピエレットは人差し指を振って鼻を鳴らした。


「じゃあ皆、さっそく研究の続きに戻ろう!」


 居ても立っても居られないのか、ピエレットは仲間たちに声をかけて足早に部屋を出て行く。

 ジルドも立ち上がり、腕時計を見やる。


「トニア。そろそろ俺も行く。多分、ダーチャが結果を知りたくて痺れを切らしてる頃だ。またディナーで」


 ジルドはトニアの額にキスをした。彼はそれから、頷いたトニアの腕をさすってネルフェットのことをちらりと見る。

 ネルフェットが気を取り直したようにジルドに小さく会釈をすると、ジルドもそれに返して部屋を後にした。

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