49 おあずけ
揺れるバスの中で、トニアは隣に座るピエレットをちらりと見る。彼女は長時間のドライブに疲れてしまったのか、頭を傾かせて心地よさそうに眠っていた。
前方を見ると、研究者たちは難しい顔をして少しの調査結果に頭を悩ませている様子だった。首を長くして車内全体を見渡した後で、トニアは背もたれに身体を預けて深く息を吐きだす。
膝に置いた鞄に視線を落とし、なるべく音を立てないようにそっと中を探る。
指先がカサッとした肌触りを捉えると、トニアはやけに緊張した面持ちでそれを鞄から取り出した。
「…………持ってきちゃった」
手に取った封筒を顔に近づけ、彼女は自分を責めるように顔を歪ませる。
後ろめたさを引きずると言うのなら、あの部屋に戻しておけばよかっただけのこと。しかしそれをしなかった自分の咄嗟の行動に、トニアは呆れてため息をつく。
今から一時間半くらい前。クジラの館の調査をしていたトニアたちは調査の続行が強制的に不可能になった。館の一階、右奥の部屋で手紙を読んでいたトニアを呼ぶピエレットの声が響き、彼女は慌てて手紙を鞄にしまい込んだ。
ピエレットの足音が近づく前に、出しっぱなしにしていた引き出しを壁に戻し、急いで隣の部屋に移って部屋の扉を閉める。ちょうどそのタイミングでピエレットが顔をひょこっと出してきて、トニアはぎくりと心臓を縮ませながらにっこりと笑ってみせた。
「ど、どうしたの? ピエレット」
ピエレットは殺風景な部屋の中を視線だけでぐるりと見回して、目の前にいるトニアでぴたと動きを止めた。
「調査は一旦中止だって」
「……え?」
残念そうに眉を下げたピエレットにトニアは目を丸くする。
「なんかね、宮廷から連絡が来たみたい。責任者のネルフェットが見つからないから、どうにも返す言葉もなくて」
「え? え? どういうこと?」
ネルフェットのことを恨めしがっているのか、ピエレットはムムムと口を尖らせた。
「とにかく玄関ホールに来て。リーダーが待ってる」
「うん……」
ピエレットに促され、トニアは彼女に続いて中央の玄関ホールまで向かう。その間、トニアは鞄に隠した手紙のことをすっかり忘れてしまっていた。
玄関ホールに着くと、大きな扉の前で調査員たちが集まっているのが見える。リーダーはピエレットとトニアに手を振ると、二人が輪に入るのを待った。
「皆さん、申し訳ないけど今日のところはこれまでね」
「何故ですか? まだ全然進んでないですけど……」
リーダーが腰に手を当てて元気のない声を出すと、一人の研究者が首を傾げる。
「それがね、ここの管理者が許可していないって怒っているみたいで」
「管理者……?」
トニアが思わず言葉をそのまま返すと、リーダーはこくりと頷いて困ったように笑う。
「ここはもともと国が所有している文化財の一つ。だから王子も長官の許諾が取れたから調査を始めるって言ってて、特に問題はないはずなの。まぁ、それはそうなんだけど……ここは特殊で、別に管理者として名乗り出ている人がいてね。どうもね、宮廷のリリオラ・フェイマス氏がここの管理者ってことになってるみたい。彼女が調査のことを聞いてないって、長官に詰め寄ったんですって」
「リリオラさん……が?」
「あら、マビリオさん知っているの? 流石は王子の推薦する未来の建築家ね」
「そっ……そんなことは……!」
リーダーがひょうきんな顔をして楽しそうに笑うので、トニアは周りの温かい視線が居たたまれなくなって手を振って否定しようとした。
「フェイマス氏のことを長官は止められなくて……ちょうどネルフェット王子とも連絡がつかないみたいだから、そのまま言う通りに一旦調査は打ち切ることにした。王子がフェイマス氏と話せば、また後日、機会はあるでしょうけど」
リーダーは少し考えてから自分を囲う研究者たちを励ますように明るくそう続けた。
研究者たちは今日の調査がもう出来ないことにがっかりしているものの、リーダーの言う通り、また機会があるはずだと互いに声をかけて気を取り直していく。
「だから今日は引き上げましょう。皆、片付けしよう!」
手を叩き、リーダーはその場に活気を戻しながら皆に指示を出す。ピエレットも彼らの手伝いに上階に上がり、トニアは皆を見送るリーダーと二人、その場に残った。
「マビリオさん」
皆の姿が消えると、リーダーはトニアの方を向く。
「はっ、はいっ」
トニアははっとして機敏に彼女に返事をした。
「一階の右奥の部屋って、もう見てみたりした?」
「……え?」
トニアはじんわりと、簡単に冷や汗をかいていく。今の彼女には、リーダーの人の良さそうな明るい眼差しが、まるで空を飛び回る鳶のように鋭く見えた。
「どうやらフェイマス氏が一番気にしていたみたいでさ。一階の調査はしてないでしょうね!? って、長官に凄い剣幕で迫ったらしくて」
リーダーはやれやれ、と呆れたように首を小さく振り、ふぅ、と項垂れる。
「ごめんね。折角協力してくれたのに、こんな中途半端なことになって」
「い、いいえ! 私なんて、ただのおこぼれに預かっただけですから……!」
責任を感じているのか寂しそうな顔をするリーダーにトニアはぶんぶんと首を横に振った。
「右奥の部屋は見ていないです! 扉、閉まっていたので、あとにしようと……!」
こんなに容易く、息を吐くように嘘をついてしまうなんて。
トニアは自分を情けなく思いながらもリーダーの負担を増やしたくなくて思わずそう答えた。
「そっか。そうしたら、そう伝えておくね。本当にドタバタしちゃってごめんなさい」
「謝らないでください! 誰も悪くないですから……!」
どちらかと言うと悪人は自分だ。
トニアはチクチクと痛む心臓を誤魔化しながら弱弱しく笑った。
「まぁ、そうねぇ……。まさかずっと管理を放棄してたフェイマス氏がここに来て口を挟むなんて思わなかった。もう、館のことなんて忘れているのかと……」
うーんと考え込むリーダー。トニアはネルフェットがリリオラの許可を取っていなかったことが意外で、彼女の疑問に共感した。
「王子が上手くやってくれることを願うしかないか……。ね、次の機会も、マビリオさんには是非協力して欲しいな」
「えっ?」
にやりといたずらに笑うリーダーをトニアはポカンと見上げる。
「もうすぐ試験だよね? それが終わってからになると思うけど、結果がどうであれ、一度乗り掛かった舟だから、一緒に港まで辿り着きたいんだよね。私は、ね。マビリオさんがどうするのかは自由なんだけど」
リーダーの気さくなお誘いに、トニアはドッキリを仕掛けられていることを疑った。新米ですらない自分に優しくしてくれるリーダー。しかも彼女は憧れの存在。トニアは頬が緩むのを制御できなくて、瞳を輝かせながら元気よく頷く。
「はい……っ! ぜひ、ぜひぜひお願いします……! 本当に、本当に光栄です……! なんてお礼を言えばいいのやら……!」
「あはははは。お礼を言うならネルフェット王子。あとはピエレット、かな。私は素敵な縁を繋いでもらっただけ」
「! はいっ! ふふふ。でも、調査員たちにとってのリーダーは貴女ですから……! やっぱり、貴女にもお礼を言わせてくださいっ!」
ぺこりと頭を下げたトニアに、リーダーはまたこそばゆさを隠すこともなくはにかんで笑った。
「リーダー! 荷物運び終わりますー!」
いつの間にか大荷物を両手に抱えた調査員たちが階段から下りてきていた。
「ありがとう皆!」
リーダーは彼らの方に駆け寄り荷物をいくつか手に取った。一番最後に下りてきたピエレットは、大きな鞄を腕に抱え、あからさまにニヤニヤしながらトニアの隣に並んだ。
「ねぇ。わたしに感謝、してくれるの?」
「えっ」
ほくそ笑むピエレットを見るに、どうやら先ほどのリーダーとの会話を聞かれていたようだ。
トニアは途端に恥ずかしくなり、顔を赤くして不意打ちを食らった顔をする。
「ふふふふふ。いいんだよ、そんな、お礼なんて!」
「で、でも……確かに、感謝は、してるから……」
「いいのいいの。トニアが楽しそうにしているところが見れればそれで十分!」
「え…………?」
つい足を止めたトニアに構うことなく、ピエレットは鼻歌を歌いながらバスの方へと歩いていく。
(もしかして……気を遣ってくれたのかな……?)
彼女の揺れるポニーテールを眺め、トニアは胸がきゅっと絞まるのを感じた。
紋様が出てからというもの、ミハウとの関係に関する悩みも増え、さらにはどこかスッキリせず、すべてに靄が張ってしまったように鈍くなった思考では勉強に身が入らず落ち込んでいたのは確かだ。
模試の結果だけではなく、普段の表情にもそれが出てしまっていたのだろうか。トニアはピエレットの言葉にしない優しさに申し訳なさと嬉しさが溢れていく。
「…………ありがとう、ピエレット」
異国で出会った友人が、どれだけ自分にとって頼もしくて力をくれることか。
トニアはそれを改めて実感し、むずむずとする心が導くままに笑顔をこぼす。ピエレットは直接それを言われることがあまり得意ではないのだろう。照れ屋の彼女を追いかけ、トニアはそのままバスに乗り込んだ。
家に帰ったトニアは、未だに手元にある手紙に頭を悩ませる。
やはり持ち帰るべきではなかった。これではただの窃盗だ。
うんうんと唸り声を上げながら、トニアはベッドの上をごろんごろんと転がった。
咄嗟に鞄に入れてしまったのは、ピエレットの声がして罪悪感が警鐘を鳴らしたことが大きな要因だった。けれどそれ以上に、トニアは意識的にこの手紙に興味を寄せていた。
何より驚いたことに、彼女は館に隠されていた古い手紙の内容をすらすらと読めてしまったのだ。
そこに書かれていた文字は、彼女が慣れ親しんだ、当たり前に馴染んだ言語だったからだ。
でも、クジラの屋敷が出来たのは二百年ほど前とされ、その頃から世界の情勢は混迷を極めていたことは習っている。手紙の日付を見るに、その年にはもう、あの言葉がソグラツィオに届くことなどなかったはず。
机の上に無造作に置いた鞄を見つめ、トニアは深まる謎に眉をひそめた。
クジラの館には獅子がいた。偶然かもしれないが、確かに手紙はそこに隠されていた。ここからトニアが導き出せる答えは限られている。皮肉なことに、調査を打ち切られたことによってその裏付けが彼女の中で確固たるものへと進化していく。
館の管理に名乗り出たリリオラ。彼女は今、間違いなく王室の関係者だ。それにネルフェットや長官が許可したと言うのに、断固として譲ることはなかった。
あの屋敷は、やはり王室に関係した者が住んでいたのだろうか。
聡明そうなリリオラはそれを知っていて、何かを隠したがっていたのかもしれない。
「一階の、右奥の部屋……」
わざわざ名指しで確認するなんて、もう答えを置いているようなものだ。
手紙の内容を思い返し、トニアは鞄と睨み合いながら頭を傾ける。
「リリオラさんは、誰かを守ろうとしているのかな……?」
鞄に手を伸ばし、破ってしまわないように慎重に手紙を取り出した。もう一度文面を目で追いながら、トニアはぼうっと枕に頭を沈める。
「…………ネルフェットに、聞いてみようかな」
脳裏に浮かんでくるのはいつだって彼の姿だった。
「ふふ…………」
この話をしたら、彼はどんな反応をするのだろう。
これまで見せてくれた彼の様々な表情を振り返りながら、トニアは無意識のうちに頬が綻んでいった。
罪の意識に苛まれ、確証のない答えで亡霊のように揺れていた心が、ほかほかと温もりを取り戻す。
身体を起こしたトニアは、机の上で開きっぱなしになっている参考書を見やる。棚の上には、大きな封筒が彼女を見下ろすように置かれていて、彼女は両手で頬を包んで軽く叩いた。
「さぁ……! やるぞ……!」
試験の本番はもうすぐ。それに、まだ課題はすべて解決していない。
トニアは手紙を鞄にしまい、机の前の椅子まで歩いていく。
今日、リーダーとした約束。
その日までに、どうか少しでも良い結末を迎えていますように。
トニアはペンを握りしめ、引き締まった表情で机に向かった。
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