第7話、童心
「 お母さん! そっち、そっち! あ~、そこに止まってるぅ~! 」
川沿いにある、畑続きの野原。
膝位に伸びた夏草をかき分け、涼子と千早は、網を片手にトンボを追い廻していた。
「 えいっ! 」
へっぴり腰で、網を振り回す涼子。
「 捕れた? お母さん、捕れた? 」
「 入ってる、入ってる、千早っ! 早く、虫かご持って来て! 」
虫かごを、肩から袈裟掛けに下げた千早が、涼子の横に、ちょこんと座る。
涼子が言った。
「 大きいわよ? オニヤンマね! ほらっ 」
網の中から取り出したトンボを、千早の顔の前に出して見せる涼子。
「 おに・・ やんま・・? わあ~、凄い、凄い~っ! 大っきな目~! 」
体長、7センチくらいはあるだろうか。 羽を摘ままれた涼子の指先で、手足を動かしている。
「 この大きな目はね、複眼と言って、沢山の小さな目が集まって出来ているのよ? 」
「 へえぇ~・・ いっぺんに見たら、ワケ分からないね! 木にぶつかっちゃうかも 」
涼子の説明に、無邪気に答える千早。
虫かごに入れたオニヤンマは、しばらくバタついていたが、やがて虫かごの網に掴まり、動かなくなった。
しげしげと、それを眺めながら千早は言った。
「 ・・すっごいねえぇ~、お母さ~ん! 大きな羽根、4つもあって、すっごいキレイだねえぇ~・・・! あ! 赤いのが、飛んでるう~! 」
2人の横を、すいっと横切ったトンボを指差し、千早が言った。
「 赤トンボね! どっかに、止まらないかなあ・・・! 」
額に浮いた汗をハンカチで拭きながら、赤トンボの行く先を目で追う、涼子。
「 見て、見てっ、お母さん! 青いのがいるっ・・! キレーだよっ? ほら、ほらっ、あそこ! 」
傍らの、出揃わないススキの穂先に、体に青い色の筋が入ったトンボが止まっている。
「 シオカラトンボよ。 ・・よ~し、見てらっしゃい・・・! 」
腰をかがめ、そろそろと近付く涼子。 ゆっくりと、網を構える。
千早は、ワクワクしながら涼子を見守った。
「 ・・えいっ! 」
振り下ろされる、網。
「 入った、入った! 千早っ! 」
「 わああ~! お母さん、天才~! 見せて、見せてぇ~! 」
狂喜する、千早。
ギンヤンマ、ナツアカネ・・・
千早の虫かごは、トンボでいっぱいになった。
「 ほ~ら、見てごらん? アブラゼミの抜け殻よ? 」
水車小屋から、少し山に入った所にある楠木の大木に付いていた抜け殻を摘み、涼子が言った。
「 見せて~、見せて~! 」
両足で、ピョンピョン跳ねながら言う千早。
涼子が手渡すと、目を丸くしながら、千早は言った。
「 ・・よくデキてるねえ~、お母さ~ん・・・! おもちゃみたいだねえぇ~! ちゃんと、足まであるよ? コレ 」
涼子は言った。
「 セミはね、7年も土の中で暮らすのよ? やっと出て来て、空を飛べるのは1週間くらいで、あとは、死んじゃうの 」
「 ふ~ん・・・ お空を飛ぶと、疲れるのかな? 」
涼子は、笑いながら答えた。
「 そうかもね。 でも、思いっきり鳴いて空を飛べたんだから、満足なんじゃない? 」
抜け殻を摘み、横から見たり、縦にして見たりしながら、千早は言った。
「 これ、脱ぐ時・・・ 痛いのかな? 」
再び笑いながら、涼子は答えた。
「 痛いワケ、無いでしょ? 『 早く、飛びた~い! 』って、ウキウキしながら脱皮するのよ? きっと 」
「 ふ~ん、そうかぁ~・・・! 」
妙に納得した様子の、千早。
農道脇に生えていたススキの葉を1枚取り、それを小さく、幾重にも丸める。 出来上がった葉っぱの筒の一方を、軽く指先で潰し、そこを口にくわえて吹く。
『 ビーッ、ブイーッ! 』
「 わあ~、面白ぉ~い! あたしにも、やらせてぇ~! 」
「 千早の息の力で、鳴るかなあ・・・ 」
草笛を千早に渡す、涼子。
「 小さい頃、大婆さまに教えてもらったのよ? 」
千早は、早速、口にくわえ、見よう見真似で息を入れてみる。
『 フー! フー・・! 』
息が出るだけだ。
涼子は言った。
「 唇で、葉っぱを押さえるのよ、千早。 息の入り口を狭くするの。 そうすると、葉っぱが振動して・・ 」
『 プピー! 』
「 鳴ったっ! お母さん、鳴ったよっ! 」
目を輝かせ、嬉しそうな千早。
『 ピー、ピー、プピー! 』
「 そうそう! 上手よ? 千早。 良く鳴るじゃない! 」
涼子に誉められ、有頂天で、盛んに鳴らし続ける千早。 息切れをして、ハアハア言っている。
涼子は、笑いながら言った。
「 吹き過ぎよ、千早。 頭、クラクラするわよ? 」
涼子は、あと2つ、草笛を作ると、それを同時にくわえ、鳴らして見せた。
『 ビョー! ブビョー! 』
「 音が2つ、鳴ってるぅ~! 」
「 葉っぱによって、音が違うのよ? 」
「 あたしも、作るぅ~! 」
早速、ススキの葉を取ろうとする千早。 涼子が、たしなめた。
「 気を付けて取るのよ? ススキの葉は、フチがギザギザになってて、指、切っちゃうから。 ・・ほら、ほら! 足元、気を付けて。 そんなトコに乗らないの! グラグラして危ないでしょ? 」
畑との境にあった木の囲いに乗り、葉を取ろうとした千早を、涼子が注意する。
涼子は、気が付いた。
いつもだったら、『 やめなさい、怒られるでしょ? 』と、注意していたはずだ。
危ないから、注意する・・・ それが、本来の趣旨だ。
近所で、子供たちが建築資材を仮り置きしてある所で遊んでいると、顔見知りの主婦たちは、一様に『 怒られるわよ? 』と叱る。 本当は、『 危ないでしょ? 』が、正解のはずだ。
( みんな・・ どこか本質を忘れちゃっているのかしら・・・ その中でも、私は最たるものだったのかもしれない )
気付かせてくれたのは、何だったのだろう。
のんびりした時間? 豊かな自然? それとも、無邪気な千早の存在・・・?
答えは、分からない。
・・・いや、答えの源を求める必要は無いだろう。
理屈では無いのだ。
大切なモノに対する執着といたわりがあれば、それは自ずと、ごく自然に、言葉となって出て来るものなのだ。 一辺倒な考え方や、自分に固守した、こだわりだけを持って接すると、当たり前の事も見えなくなって来る。 そして、どこか不自然な・・・ 理不尽とも言える感情が葛藤となり、自我に苦しむ事になるのだ・・・
千早と共に、童心に帰って自然と戯れた今、涼子は、心に懲り固まっていた痞え( つかえ )が、微塵も無く消え去っている事に気が付いた。
見えない出口を見つけるのは、簡単なコトだったのだ。
( そうよ・・・! 出口なんて、元々、どこにも無かったのよ・・! )
自分で虚偽の壁を作り、その中で、勝手にもがいていたに過ぎない。
元々、虚像だった、心の壁・・・
その虚像に気付いた今、解放されたが如く、心の周りに分厚く取り巻いていた壁は、いつの間にか消滅していたのだ。
( 私は・・ 自分で、自分の首を締めていただけなんだわ・・・! )
草笛を鳴らす千早を見つめながら、涼子は、そんな事を考えていた。
「 ねえ、ねえ! 用水の水で、先っちょを濡らすと、良く鳴るよ! あたし、アタマいいでしょ~? 」
自慢気に言う千早。
涼子はニッコリ笑うと、千早を抱き上げ、両手で抱き締めた。
( こんなに可愛い、大切な千早が・・ 私には、いる・・・! )
千早に頬擦りしながら、涼子は言った。
「 お母さんね・・・ 千早のコト、大好きだよ・・・! 」
千早も、ぎゅっと涼子にしがみつくと、言った。
「 あたしもだよ? お母さん、大好きっ! 」
千早の、自分を呼ぶ『 お母さん 』という響き・・・ 何という、嬉しい響きであろう・・・!
また、涙が出て来た、涼子。
こんなに、可愛い千早を・・ いままで、どうして放ったらかしていたのだろう。
もちろん、仕事も大事だ。 期待されるならば、それに応えるのも大切な事である。
でも、それ以上に大切なモノに気が付いた涼子。
「 お母さんにだっこしてもらうの、久し振り~! あっ、アゲハチョウだぁ~! 」
草笛を鳴らしながら、涼子の胸の中で、はしゃぐ千早。
「 ・・だっこなんて・・・ これから・・ いくらでもしてあげる・・・! 」
消え入りそうな、涼子の声。 はしゃぐ千早には、聞こえていないようだ。
目に映る水田のイネ、限り無く蒼い空、湧き立つ入道雲、セミの声・・・
いつもと変わらぬ、白く乾いた農道が、穏やかな曲線を描きつつ、段々畑の間を登っている。
涼子は、千早を抱き締めたまま、白く乾いた夏の田舎道を、宛ても無く歩いた。
千早に気付かれないよう、何度も、涙を指先で拭いながら・・・
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