第6話、我が子
「 水童しは、ナニも悪さはせんから心配無い。 放っておけ、涼子ちゃん 」
畑で採って来た野菜を、軒先で仕分けながら、ヤエは言った。
それを手伝いつつ、涼子が言った。
「 でも、気味が悪くて・・・! あの子、頭が、おかしくなっちゃったんじゃないのかしら・・! 千早、『 そこにいる 』って言うんだけど、誰もいないんですよ? 」
ヤエは、ナスのヘタを包丁で切り落としながら答えた。
「 子供にしか見えんのじゃ。 仕方あるまいて。 大人は、まず警戒して物事を見るからのう・・・ 」
ヤエは、『 みずわらし 』の存在を信じているかのような言い方である。
涼子は、そんな迷信より、千早の身が心配になって来た。 どうやら千早は、また、沢に行ったようであるが・・・ 足を滑らせ、頭を打つ危険だってある。 迷信への気味悪さに加え、現実的な情況にも、不安が募って来た涼子。
ヤエが尋ねた。
「 チーちゃんは、また、沢に出かけたんか? 」
「 ええ、多分・・・ 」
玉ねぎを、藁で束ねながら涼子は答えた。
「 ほうか 」
ヤエが、ナスのヘタを、トンと切り落とす。
涼子は言った。
「 その・・ 『 みなかみ君 』って、着物を着ているらしいんだけど・・・ 浴衣みたいなのとは、ちょっと違うらしいんです 」
「 ・・ほう。 どんな着物じゃ? 」
包丁の手を止め、ヤエが尋ねる。
涼子は言った。
「 千早が言う事ですので、あまりアテにはならないんですが・・ 何か、丸首で・・ 背中に、菊の花のような飾りが二つあるそうです 」
ヤエは、しばらく考えてから答えた。
「 そりゃ、水干じゃ 」
「 ・・すい・・ かん・・・? 」
「 昔の、お公家様の着物じゃよ。 菊閉じ、と言う飾りでな。 相撲の、行司の着物の背中にもあるぞえ? 」
ヤエに言われて、大相撲を思い出してみる涼子。 そう言えば、そんな飾りがあったような気もする。
ヤエは続けた。
「 男の子の晴れ着、として使われておった着物じゃよ 」
「 ・・・・・ 」
やはり、水童しなのだろうか・・・?
涼子は、更に不安になって来た。
何か分からないが、得体の知れないモノが、千早の身近にいるのだ・・・!
玉ねぎを束ねながらも、心、ここに有らず、と言ったような表情をしている涼子。
ヤエは、そんな涼子の顔をしばらく見ていたが、やがて言った。
「 いい顔じゃ、涼子ちゃん 」
「 え? 」
次の、ナスのヘタを切りながら、ヤエは、再び言った。
「 母親の顔じゃ 」
「 ・・・・・ 」
意味がよく分からない涼子。
しかし・・・ 考えてみれば、千早の身を心配した事など、あまり無い。 勉強の出来を心配したり、塾の選択に悩んだ事は度々あったが、身を心配した事など、心当たりが無いのだ。 せいぜい、外出する時に、車に気を付けるようにと言っていた程度である。
( 今まで・・ じっくりと、あの子と話す事も無かったわね・・・ )
涼子が自宅に帰って来ると、既に、千早は寝ている事が多い。 朝、朝食を取っている時に言葉を交わす程度の日が、ほとんどである。
母親としての存在意義が、あまりに希薄だった事を後悔する涼子。
後悔心と共に、ムクムクと沸き立つように起こって来る不安・・・ そして、千早には見える『 みなかみ 』と言う少年の存在・・・!
涼子は、高まる不安を押さえ切れなくなって来ていた。
( 散々、放ったらかしにしておいて・・ 今更ながら、千早の身を心配するなんて・・・私って、母親失格ね・・・! )
自分で、何でも出来るようにと、あえて世話をしなかった涼子。 会話も、助言くらいで済ませていた。
ある意味、それも親子愛であろう。
しかし、それが日常となり、自分の仕事が忙しいのを理由に、段々と、千早と言葉を交わさなくなって来ていたのだ。 最近は、会話する事さえ億劫に感じて来ていたのが、正直な気持ちだ。 そんな事より、仕事の方が優先だと・・・
子供との会話が、少なくなって来ていた現状は、涼子にも分かっていた。 それが、あまり良くない事である事も・・・
ただ、自分の忙しい生活にかこつけ、『 何とかなるだろう 』と言うような発想に逃げていたのだ。
『 本当に、このままで良いのだろうか? 』
今まで、仕事優先の意志とは別に、心の片隅で、いつも無意識に自問自答していた涼子。そんな自分の心情を、今、再認識する。
・・・答えの出ない、苛立ちと焦り・・・
ヤエは、そんな涼子の心の葛藤を、どことなく察していたのだろう。
無言のままの涼子に、ヤエは言った。
「 チーちゃんと、話しをするんじゃ。 あの子にとって大切なのは、母親の存在じゃ。 甘えたい盛りなんじゃ。 いつまでも、そんな年頃じゃないぞえ? いつかは、涼子ちゃんの元を離れる。 厳しくしつけるのは、それからでも遅くは無いぞえ? 」
「 ・・・・・ 」
ヤエの言葉には、人生の重みが感じられた。
確かに、そうだ。
早くに、母親を亡くした涼子。 その寂しさは、誰よりも理解出来る。
( ・・お母さんに、逢いたかった・・! 誰よりも、そう思っていたのは自分なのに・・・ いつから私は、勝手に決め付けた解釈を信じ、千早と向き合い始めていたの? )
子供の頃、心底、母に甘えたいと思っていたのは自分だった。 こんな寂しい想いは、自分の子には絶対させない。 そう思っていたのに・・・!
( あの子を・・ 千早を、抱きしめなきゃ・・・! 今、しないと・・ もう、私の手の届かない所に行ってしまうかもしれない・・・! )
涼子は、いても立ってもいられない衝動に駆られた。
( 千早・・! 私の、千早・・・! )
そんな時、無邪気な千早の声が聞こえた。
「 ただ~いまぁ~! 」
千早の声に、弾かれたように振り向く涼子。
スボンとTシャツを片手に、また下着姿で、千早が帰って来ていた。
「 ・・千早っ・・! 」
迷子の我が子を、見付けた時のような口調で、涼子は叫んだ。
「 また泳いじゃった! えへへっ・・ 」
前髪から、雫をポタポタと垂らしながら、千早は言った。
思わず、濡れた千早の体を抱き締める涼子。
・・・抱き締めた千早の体は、小さかった。
こんなに・・・ こんなに、小さかったのだ。 こんなに・・・!
涼子は、千早の首筋に頬擦りしながら、搾り出すような声で言った。
「 ・・早く・・ 着替えなさい。 ピンクのシャツ、縫っておいたから・・・ 」
「 ホント? わ~い! あのシャツ、お気に入りだったんだ! 」
「 安物・・ じゃない・・・ 」
「 だって、一緒に、お買い物に行った時に、お母さんが買ってくれたんだもん。 ・・お母さん? ナンで、泣いてるの? 」
指先で、涙を拭いながら、涼子は言った。
「 ・・・玉ねぎが・・ 目にしみたのよ・・・! さあ、早く着替えて。 体、冷え切ってるじゃない。 風邪ひくわよ? 」
「 は~い 」
ヤエは、笑っていた。
昼食を、卵焼きや、そうめんで軽く済ませると、千早は虫かごを取り出し、今日を含めた、ここ3日間の『 成果 』を、涼子に披露し始めた。
「 コレが、カミキリ虫でね~ コレが、ショウリョウバッタだよ? ・・あれ? テントウ虫もいたのにな? ドコ行った? お~い、テントウ虫さ~ん・・ あ、いたいた! こんな隅っこにいた! ほら見て、お母さん! 」
虫かごの隅を指し、涼子に見せる千早。
千早は、何でも涼子に見せたがる。 多分、それを機に、母親と、話がしたいのだろう。 珍しいものを見つけ、それを見せる事により、母親から誉められたいのだ。
『 よく見つけたねえ~! 凄いよ~? 』
子供にとっての、その言葉は、自分を最高に絶賛する言葉である。 また、親から認められ、特別に与えられた勲章にも等しい。
涼子は言った。
「 ナナホシテントウ虫ね。 黒い点が、7つあるでしょ? 数によって、名前が違うのよ? 」
「 へええ~・・! じゃ、1個っていうのも、あるの? 」
涼子も、その辺りはよく分からない。
「 さあ? お母さんも、見た事ないわねえ~ 帰ったら、図鑑で調べてごらん? 」
「 うん! でも、まだ帰りたくな~い 」
虫かごの中を覗き込みながら、千早が言う。
悪戯っぽく笑いながら、涼子は言った。
「 お友だちの、綾ちゃんたちと・・ 遊びたくなって来てるんじゃないの~? 」
「 そんなコト、無いよ! だって、ここにいた方が、お母さんと、たくさんお話し出来るもん! 」
千早の言葉に、涼子はドキッとした。
「 千早・・・! 」
声を詰まらせながら、涼子は、千早を抱き締めた。
虫かごを持ったままの千早が、涼子の背中越しにポツリと言った。
「 お母さん・・ あたし、トンボさん欲しいの 」
涙が出て来た、涼子。
千早に気付かれないように、そっと指先で拭い、千早の肩を両手で掴んで離すと、あどけない千早の顔を見ながら言った。
「 ・・よしっ・・! お昼寝して・・ 涼しくなったら、採りに行こうか! 」
ワクワクしながら、目を輝かせる千早。
「 うんっ! 行こ、行こっ! 」
その日の、昼下がり。
畳敷きの広い居間で、仲良く昼寝する、涼子と千早の姿があった。
枕を頭に、横向きに寝ている涼子。 その涼子の腕を枕に、虫かごを抱いたまま眠る、千早・・・
時折り鳴る、風鈴。 蝉時雨も、いつになく、優しく聞こえるようだ・・・
そんな姿を、ヤエは、微笑みながら見ていた。
「 親子じゃのう・・・ 」
スイカを、井戸に放り込む。
「 どれ・・ ワシも、一眠りするかね 」
そう呟きながら、居間に上がった、ヤエ。
しばらくすると、静かな寝息を立て始めた。
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