第5話、注連縄
「 切れちゃったよ~、大婆さまぁ~ 」
再び、無邪気な千早の声で、涼子は目が覚めた。
「 チーちゃん、もっとこうしてな・・ 捻るんじゃ。 そうそう、うまいぞえ? 」
ヤエの声も、聞こえる。
顔をよじり、声のした方を向く涼子。 玄関の土間にしゃがみこみ、千早とヤエが、藁で何かを作っているようだ。
むっくりと上半身を起こし、尋ねる、涼子。
「 千早・・・? なに作ってるの? 」
眠そうに、目を擦っている涼子に、千早は言った。
「 注連縄だよ? 神社に付けるの! 」
「 しめなわ・・・? 」
ヤエが、藁をこよりながら答える。
「 もうすぐ、みずがみ様の夏神事があるんじゃ。 今年は、ワシが作る番なんじゃよ 」
「 水神大社の・・・ 」
土間に下りて来た涼子が、その様子を見ながら、ヤエに尋ねた。
「 そんな大事なものを・・・ 千早に手伝わせていいんですか? 」
ヤエは、笑いながら言った。
「 子供は、無心じゃからのう~ 水神様も、お喜びになるじゃろうて 」
千早が、細くこよった藁を涼子に見せ、自慢気に言った。
「 見て、見て、お母さん! ワラで作ったヒモだよっ? どう? 」
・・・結構、いびつに捻ってある。 こんなものを使用して、いいのだろうか?
心配になった涼子が言った。
「 大婆さま。 ホントに、大丈夫なんですか・・・?」
ヤエは、笑いながら答えた。
「 大丈夫じゃよ。 何本も合わせて縄にするんじゃ。 多少のコブは構わんて 」
縒った藁を束ねながら、ニコニコ顔のヤエ。
「 要は、キモチじゃよ。 ・・おお~ 随分、長く出来たのう~、チーちゃん。 うまいぞえ? 」
「 へっへ~! 」
得意顔の、千早。
ヤエは、立ち上がると言った。
「 さて、締め込むとするかね。 丁度、人足も1人、増えた事だしのう・・・! 」
3人がかりで、こよった藁の束を編み込む。
もちろん、涼子にも初めての経験である。 ヤエの指導の下、段々と、注連縄が出来上がっていく。
「 へええ~・・! 注連縄って、こうやって作るんですね。 それらしく、出来て来ましたよ? 」
感心する涼子。
「 昔は、草鞋( わらじ )もカゴも、作りよったモンじゃ 」
2メートルくらいの長さの、注連縄が出来上がった。
その中心と、30センチくらい離した両側の所から、藁が数本、垂れている。
ヤエが言った。
「 この垂れておるワラには、意味があるんじゃ。 向かって左から、3本。 真ん中が、5本。 ・・一番右が、7本じゃ。 子供神事の、七五三にも由来する説があるそうじゃぞ? 」
「 へええ~・・! なるほど。 知りませんでした 」
いたく感心する、涼子。
ヤエは、あらかじめ作っておいた、たんざく状の白い紙を2つ、その間に付けた。 紙四手と呼ばれるものだ。 神社の境内で良く見かける、あれだ。
「 出来たねぇ~! 大婆さま~! 」
嬉しそうな、千早。
「 うむ、うむ・・ 3人でやったから、早よう出来たのう~ 」
ヤエも、仕上がりに満足のようだ。
・・・立派に出来ている。
とても、素人の女性と、8歳の子供が協力して作ったものとは思えない。
「 早速、明日の朝一番に、付けに行くかのう 」
「 あたしも行くよ、大婆さま! 」
「 よし、よし 」
無邪気に言う千早の頭を、嬉しそうに撫でる、ヤエ。
涼子も笑っていた。
陽が大きく西に傾き、赤く染まった夕日をバックに、カラスが飛んで行く。
ムクムクと沸き立った入道雲が、その縁取りを金色に輝かせている。
美しき、田舎の夕暮れ・・・
杉林の方からは、ヒグラシのかん高い鳴き声が、幾分、物悲しげに、山間にこだましている。 どことなく飛来したコウモリが、母屋の屋根の上辺りを飛び回り、庭の脇の草むらからは、虫たちの鳴き声が聞こえ始めていた・・・
また、風呂に入らずに、寝てしまった千早。
蚊帳の中で寝ている千早を見ながら、涼子が言った。
「 夕方、びしょ濡れで帰って来たんですよ? この子・・・ 」
かまどのある台所で、野菜を塩漬けにしながら、ヤエが答えた。
「 水神様の沢で、遊んどったんじゃろ? あそこは浅いし、ナニも危ないトコは無い。 遊ばせておけ 」
「 でも、お風呂くらい入れないと・・・ 」
大きなカメの上に漬物石を乗せ、塩の付いた手を、流し台の水で洗いながら、ヤエは答えた。
「 清水で、泳いで遊んどったんなら、どこも汚れやせんわい。 放っておけ。 逆に、ご利益があるかも知れんて 」
苦笑いしながら居間に戻り、昨夜、ヤエから教えてもらった裁縫を始める涼子。
ヤエも、台所から居間に上がって来た。
「 どっくら・・ しょっと 」
涼子が、肘の破れた千早のシャツに、針を通しながら言った。
「 千早と同じくらいの歳の男の子と、遊んでいるんですって 」
「 この村の子かえ? 」
涼子の傍らに座り、濡れた手を割烹着の裾で拭きながら、ヤエが聞いた。
「 神社の子らしいですよ? みなかみ、って言う名前だそうです 」
ヤエは、天井を見上げ、不思議そうに答えた。
「 ・・・はて? 水神様ンとこは、榊さんじゃがのう・・・? 夏休みで、孫でも来とるんかいの? 」
「 着物を、着てるそうですよ? 宮司さんの、親戚のお子さんなんじゃないかしら 」
「 ・・・・・ 」
無言のヤエ。 何か、じっと思案をしているようだ。
やがて、静かに言った。
「 ・・・水童しでも、出たかの・・・ 」
「 みずわらし? 」
裁縫の手を止め、ヤエに聞き直す涼子。
じっと涼子を見つめながら、ヤエは言った。
「 水神様の子供じゃ。 明王童子( みょうおうどうし )と言ってな。 純粋な心を持った者にしか、見えんそうじゃ 」
「 ・・・・・ 」
きょとんとしたままの、涼子。
やがて、裁縫の手元に視線を戻すと、一笑しながら言った。
「 あの子が・・ 水神様の子供とお話しした、ですって? それはまた、有り難い事だこと 」
ヤエが言った。
「 水童しは、子供と遊ぶのが大好きなんじゃ 」
「 あはは! やめて下さいよ、大婆さま。 そんなの、いるワケないじゃないですか 」
再び、一笑する涼子。
ヤエは、真面目な顔で続けた。
「 御諸の水神様には、古い呼び名がある。 水神、と書いて『 みなかみ 』と言うんじゃ 」
・・・確かに、沢の上流の部落は、みなかみと言う字名である。
沢が流れ込む本流は、みなかみ川と言う・・・
千早が、一緒に遊んでいる『 みなかみ 』と言う名の、少年の存在・・・
ヤエも知らない少年らしい。
( ・・・・・ )
少々、不思議な感じはする。
もしかしたら・・ 本当に『 明王童子 』とか言う、神の子なのだろうか。
( まさか。 そんな事は無いわ )
現実的には有り得ない、伝説の世界での話しだ。 たまたま、ヤエの知らない子供がいる、と言うだけの事である。
涼子は、笑いながら言った。
「 夏神事の時期に、水神様が、天界からこの村にお帰りになる、って話しね? お母さんから聞いたコトがあるわ 」
ヤエは、裁縫道具の入った手箱から針を出しながら言った。
「 水神様は、袒姿( あこめすがた:神官が着る、衣装の一つ )じゃそうな。 水童しも、似たような着物を着てるはずじゃ 」
涼子は、笑って答えた。
「 明日、注連縄を奉納する時に、私からも、お礼を言っておかなきゃね・・・! 」
その夜の『 裁縫教室 』も、前夜に続き、遅くまで続けられた。
翌日の早朝。
空は、今日も晴天だ。 朝霧が漂う、山間の朝・・・
凛とした、清々しい空気が心地良い。
毎朝の出勤時と同じ、6時頃ではあるが、やはり田舎だ。 爽やかな感じがする。
千早とヤエ・涼子の3人は、注連縄を持って、水神神社へ行った。
眠そうに、あくびを連発する涼子ではあったが、意外と、頭は冴えていた。 気分も良い。
無邪気な千早は、朝から元気一杯である。 道端の、草に付いている露を足で払い、スキップしながら先行して行く。
「 ♪ 冷た~い、冷た~い、つゆが冷た~い。 ぴしゃ、ぴしゃ、ぴしゃっ! ♪ 」
即興自作の、意味の分からない歌を歌っている。
涼子が、たしなめた。
「 千早。 足が濡れちゃうでしょ? 大人しく歩きなさい。 ・・ほら! 足、草だらけじゃない 」
「 お池で洗うから、いいも~ん! あ、この辺の小川も、ちょっと深くてさ、丁度、洗い易いんだよ? 」
農道脇の、小さな用水を指差しながら言う千早。
涼子は言った。
「 そんなトコで、洗わないの! 農家の方に、怒られるわよ? 」
「 あ、バッタがいる! バッタさ~ん! 」
涼子の注意など、全く、聞く耳を持たないようだ。 慌てて飛び立つバッタを捕まえようと、夢中になっている。
やがて、木製の古い鳥居が見えて来た。
「 コッチだよ! 早く、早く! 」
勝手知ったるように手招きする千早。 細い参道を、どんどんと先行して行く。
何脚も並ぶ、古い石灯籠・・・ 神社の歴史を、物語っているようだ。
青地に白で『 御諸水神大社 』と染め抜かれた幟が、朝霧の中に何本も立っており、訪れた者を、結界により浄化された厳粛な世界へと、いざなうような雰囲気である。
しばらく歩くと、木立に囲まれた本殿が現れた。 古い木造造りで、小さいながらも神楽殿もある。
( ここへ来たのは、いつだったかしら。 子供時代よね )
朝霧を突き抜けて立つ、大きな杉の木を見上げながら、涼子は、幼少の頃を思い出していた。
飴色のそよ風に舞う、桜の花びら。
夏神事の、かがり火。
枯れ葉の溜まる境内。
雪を被った、石灯篭・・・
全てが、昨日の事のように、想い起こされる。
( 小学校の頃だっけ。 夏神事の屋台で、お母さんに買ってもらった綿飴・・ 甘~くて、美味しかったなぁ・・・ )
過ぎ去った昔の記憶に、心を馳せる涼子。 今はもう、その母もいない・・・
小さなため息をつき、涼子は、社の正面へと続く石畳の上をゆっくりと歩いた。
手洗いで手を清めたヤエが、三方( さんぽう:供え物などを乗せる台 )に盛った米を賽銭箱の横に置き、柏手を打つ。
「 千早も、来なさい 」
常夜灯に、へばり付いていたコガネムシを、草の葉先で突付いていた千早に、涼子は声を掛けた。
持って来た小銭を賽銭箱に入れて本殿に二礼し、手を打つ、涼子。 千早も涼子の横に立つと、涼子のマネをしながらお辞儀をし、小さな手を打った。
しばらくの、静かな合い間・・・
涼子が、手を合わせたまま言った。
「 ・・千早が、ご厄介になっています 」
「 誰に、ご挨拶してるの? お母さん 」
不思議そうに尋ねる、千早。
涼子は、もう一度、一礼しながら答えた。
「 水神様よ 」
ヤエが、神社脇にあった掃除道具入れの小屋から、小さな脚立を出して来た。 それを本殿前に立て、持って来た注連縄を吊るす。 あらかじめ、クギが打ってあるらしい。 注連縄の両端を、それに掛けるのだ。
「 出来た、出来た~! 」
掛けた注連縄を見上げ、満足そうな千早。 ヤエも、嬉しそうである。
「 ちい~と、掃除でもするかね・・・ 」
「 手伝います、大婆さま 」
ヤエと涼子は、掃除道具入れの小屋から竹ボウキを出すと、境内を掃除し始めた。
・・・静かな、境内・・・
時折り、野鳥のさえずりが聞こえる。
早朝に、こんな所を掃き掃除するのも、新鮮で良い。 涼子にとっては、初めての経験である。
( ・・・平和なものね・・・ 都会での、繁忙な生活からでは、想像もつかないわ )
雀が2羽、チチチッと鳴き声をたてながら、涼子の頭の上を横切った。 その内の1羽が手洗い石の上に降り立ち、チョンチョンと、石の上を動き回っている。
もう1羽が手洗い石の上に舞い降り立つと、先に降りていた1羽は、短く鳴きながら飛び立った。 後の1羽も、それを追うように、社の上へと飛び立って行った。
( 平和と言うより・・・ 心が、満たされていく感じ・・・ )
境内の地面に、幾重も付く竹ボウキの跡を見ながら、涼子は、そう思った。
何も無い、田舎の暮らし・・・
昨日だって、どうやって時を過ごしていたのか、あまり覚えていない。 それは都会でも同じかもしれないが、ここでは、それを思い出す必要が、全く無いのだ。
やり残した事があれば、明日、やれば良い・・・ そう、過ぎ行く時間を、ゆっくりと味わいながら・・・
( ただ、のんびりしてる訳じゃないんだ・・・ 時間を、贅沢に使っているんだわ )
涼子は、そう思った。
そう言えば、昨日の朝、目覚めた時以降、時計を見ていない。 テレビも、ヤエの家にはあるが、この2日間、全くつけていない。 千早も、いつも夕方のアニメ番組を欠かさず見ていたのに、口にすら出さないのだ。 毎日、外で、虫や魚・トンボなどと戯れ、夜になると遊び疲れて寝てしまう。
( 本来の、子供の姿なのかもしれないわね・・・ )
細く、無機質に造形されたホウキの跡。
固く固まった自分の心を、優しく撫でる心境・・・
ゆったりと流れる時間に、心が和らぐ感覚を覚える涼子であった。
ひとしきり掃除をすると、千早の姿が見えない。
「 千早~? 帰るわよぉ~? 千早~? 」
辺りを呼んでみたが、返事は無い。
「 一足先に、帰ったかのう 」
ヤエは、別に心配そうな素振りも見せず、そう言った。
「 千早~? 」
もう一度、呼ぶ。 だが、やはり返事は無い。
涼子は、にわかに心配になった。
「 千早ぁ~っ! 」
少々、焦ったような口調で叫ぶ涼子。
「 大婆さま、私、裏の清水を見て来ます・・! 」
「 おう。 じゃ、ワシは、帰っとるでな 」
ヤエは、全く心配の無いような口調で、そう言った。
都会では、毎日にように事件が起きている・・・ 事件・事故など、日常茶飯事なのだ。
のんびりしたヤエの態度に、少々、腹が立つ心境すら覚える涼子。
とりあえず涼子は、神社裏の清水を見に走った。
「 千早ぁ~ッ・・! 」
「 なあに? お母さん 」
拍子抜けするように、千早の声が返って来た。
やはり千早は、清水の所にいた。 ズボンとTシャツを辺脇の大きな石の上に脱ぎ、下着姿で泳いでいる。
「 そんなトコで、泳がないのっ! もうっ・・! 怒られるでしょっ! 」
「 だって、みなかみクンが、泳いでもいいって、言ったんだもん。 冷たくて、気持ちいいよ? 」
「 早く、上がんなさい! 帰るんだから 」
「 え~? もっとココに、いたいよ~ 」
「 上がんなさいッ・・! 」
真剣に怒る涼子に、千早は渋々、水から上がった。
ズボンとTシャツを手に取り、サンダルを履く。
「 じゃあね、みなかみクン! ご飯食べたら、また来るからね 」
誰もいない向こう岸に、手を振る千早。
涼子は尋ねた。
「 ・・みなかみ君って・・ ドコにいるの? 」
千早が、あっけらかんと答えた。
「 そこにいるよ? 」
静かな、清水涌き・・・
涼子の目には、人らしき姿など、どこにも見えない。
「 ・・・・・ 」
『 水童しでも、出たかの 』
ヤエの言葉が、涼子の脳裏をよぎる。
背筋が、ぞっと寒くなった涼子。
「 ・・は、早くしなさい・・・! ほら、早くってば・・・! 」
千早の手を引き、逃げるように涼子は、その場を離れた。
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