第4話、風鈴
静かな、山間の夜・・・
虫の音をバックに、時折り、軒下に下げてある風鈴が夜風に鳴っている。
夕食は、蕎麦と山菜の天ぷらだった。 蕎麦は、もちろん、ヤエの手打ちである。
コシのある、素朴な味わいが素晴らしい。
遊び疲れた千早が、居間の隣の、明かりを落とした6畳間に吊った蚊帳の中で、スヤスヤと寝息を立てている。
涼子が、千早の方を見ながら言った。
「 朝まで起きないわ、あの子・・・ 困ったわ。 お風呂、どうしよう。 薬湯湯に、入れなきゃならないのに 」
「 沢で遊んでたらしいから、大丈夫じゃろ。 汚れとりゃせんわい。 寝かしておいてやれ 」
居間の傍らで手拭いの繕いをしながら、ヤエが言った。
涼子は、ため息をつくと言った。
「 アトピーなんですよ、あの子。 背中やお腹・・ 太ももや、ふくらはぎの裏側とかに、発疹が出来るんです。 学校のお友だちにも、何人かいましてね・・・ 今、多いんですよ? 」
糸を歯で切りながら、ヤエは言った。
「 難儀じゃのう~・・・ 最近の子は 」
「 アレルギー性のものだから、特効薬が無いんですって。 たいていの子は、中学生くらいで治癒するそうなんですが、中には、大人になっても、そのままの人がいるみたい 」
手拭いを叩きながら、ヤエは答えた。
「 昔は、少なかったんが・・ 今、増えとるんじゃろ? どっかに、悪さする原因があるはずじゃ。 ま、空気の悪い都会におれば・・ どっか、体がおかしくなるのも、ムリ無いわのう~ 」
苦笑いで答える、涼子。
また、風鈴が小さく鳴った。
ヤエがたたむ手拭いを見て、涼子が尋ねる。
「 ・・大婆さま。 お裁縫って、難しいですか? 」
「 はあ? 裁縫? 」
「 ええ。 袖の、ほつれを縫ったり、小さな引っ掛け破れを直したり・・・ 」
ヤエは、すぐ横にある、ちゃぶ台の上にあった魔法瓶を手に取ると、冷えた麦茶をコップに注ぎながら言った。
「 繕いのコトかね・・・ まあ、丈を直したり、半袖を長袖に付け替えたりすりゃ面倒かもしらんが、そう難儀なコトじゃないぞえ? ワシは、いつもやっとる 」
「 教えて下さい。 あたし、何にも知らないんです。 服は、破れたら捨てるものだって思ってますし・・・ 」
コップの麦茶をグイッと一飲みし、ヤエは、笑いながら言った。
「 ふあっはっはっは! 現代っ子じゃのう、涼子ちゃんは。 ・・よしよし、ナニから教えたモンかのう? 」
涼子は、着替えの入ったカバンの中から、千早のシャツを引っ張り出した。
「 圧倒的に、千早の服が多いんです。 あの子、すぐ破って帰って来るんです。 もう、困ったものだわ。 ・・コレなんか、買って1日目で脇の下、破って来たんですよ? 目立たないので、室内用に使ってますけど・・・ 」
シャツを受け取ったヤエは、一笑しながら言った。
「 こんなモン、破れたウチに入らんのう。 ほつれただけじゃ。 ええか? ここは、こうしてのう・・・ 」
早速、針を通す、ヤエ。
『 裁縫教室 』は、その日の夜遅くまで続けられた。
翌朝。
板の間を走り回る千早の足音で、涼子は目が覚めた。 外では、既に蝉が鳴いている。
目を擦りながら、枕元に置いてあった携帯電話の時計表示を見た。
10時53分。
「 ・・いっけないっ! もう、こんな時間! 会社に・・ 」
タオルケットを跳ね除けた涼子の目に、障子と畳が映った。
「 ・・・・・ 」
ここは、ヤエの家だった。
次のプロジェクトが始まる来週まで、溜まっていた有給を申請し、千早と共に、ここに来ていたのだ・・・
やっと、昨日までの記憶を思い起こした涼子。 それにしても、寝過ぎだ。 もうすぐ、お昼にもなろうとしている時間である。
( いつものマンションだったら、暑くて寝苦しいから、自然に目が覚めちゃうんだけど・・・ 涼しいから、寝過ぎちゃったのね )
旧家は、朝から暑い夏の日でも、午前中は、随分と過ごし易い。 午後からでも、外から入って来ると、家の中は、驚くほど快適である。 実際、このヤエの家には、扇風機すら無い。
( 久し振りに、『 熟睡した 』って感じだわ )
布団から起き上がり、大きな伸びをする涼子。 肩や首から、ポキポキと音がした。
障子を開け、居間に行くと、軒先で野菜を洗っているヤエを見つけた。 庭先の井戸から汲み上げた水を、大きな木製のタライに入れ、洗っているようだ。
「 大婆さま、すみません。 こんな時間まで寝てしまって・・・! 」
ヤエは、振り向くと、笑いながら言った。
「 よう寝とったでのう~ 起こさずに、畑( はた )へ行ってたんじゃ 」
昨夜は、かなり遅くまで『 裁縫教室 』をしていたはずだ。 それでもヤエは、いつも通り起き、畑で一仕事して来たらしい。
採れたてのキュウリを持って、千早が嬉しそうに言った。
「 見て見て、お母さん! あたしが採ったんだよ! 」
「 千早も行ったの? 」
「 うん! トマトとかね~、ナスビとかね~、いっぱいあったんだよ? 」
あくびをしながら、縁側に腰を下ろした涼子が言った。
「 ふぁあ~・・・ 千早・・ 野菜なんか、食べないじゃない 」
「 神社の川でね、洗ってさ、塩を付けて食べるんだよ? おいしいよ? 」
自慢気に言う、千早。
「 ・・はぁ? ドレッシングかけても食べない、千早が~? 」
一笑する、涼子。
千早が言った。
「 もう、2つもキュウリ、食べちゃったよ? おいしいんだから、これ! 」
ヤエからもらったらしい喉薬の空き缶を出し、中に入っている塩をキュウリの先に付け、ポリッと、かじって見せる千早。
・・これには、涼子は驚いた。
何しろ、大の、野菜嫌いの千早だったのだ。 それなのに、塩だけでキュウリを、ボリボリとかじっている。
あっという間に、大きなキュウリをたいらげた千早に、涼子は目を丸くした。
「 ナスビも、おいしいのかなぁ~? 」
ヤエが洗ったナスビを手に、千早は、興味津々の様子である。
「 まてまて、チーちゃん。 これはな、煮て、軟らかくしてな・・ 冷やして、味噌を付けて食べるんじゃ。 夕餉( ゆうげ:夕食の事 )に、婆が作ってやるでな、待っとれ。 うんめえ~ぇ~ぞおぉ~? 」
何か、いかにも美味しそうな言い方である。
千早は、ワクワクした目で涼子の方を見ると、言った。
「 お母さん! お味噌だって・・! ナスビって、お味噌汁の味、するのかな? 」
「 ナニ言ってんの、千早ったら! 」
笑う、涼子。
何とも、愉快な気分である。
今日は、会社に行かなくても良いのだ。
ゆっくり寝て、自然がいっぱいのヤエの家で、採れたての野菜を手に、談笑している自分の姿・・・
こんな経験は、久しく忘れていた。
蒸し暑い、都会のアスファルト・・・
期待の声に靴底を減らし、頼られる自分に、虚勢を張る・・・!
期待されているとは言うものの、はたして、本当にそうなのだろうか?
うまくおだてられ、利用されているだけなのでは無いのだろうか・・・?
自分は期待されている、とでも思っていなければ、やっていけないような状況であったように思われる。
『 今日は、会社に行かなくても良い 』
正直に、そう安堵した自分に、やはりどこか、疑問を感じながら仕事をしていた自分を認識した涼子。
( 今の、自然な笑い・・ ホント、久し振りだったような気がする )
涼子は、そう思った。
田舎の昼下がり。
そうめんを食べた3人は、涼しい居間で昼寝をした。 広い畳敷きの居間で、思い思いに寝転び、昼寝をするのだ。
軒下に下げられた風鈴が、時折り吹く夏風に鳴っている・・・
涼子の傍らでは、エビのように丸まった千早が、スースーと寝息を立てていた。
仰向けに寝転びながら、顔を横に向け、千早の寝顔を眺めていた涼子。
( 平和ね・・・ こうしていると、仕事のコトなんか、どうでも良くなって来ちゃう・・・ )
開け放した障子から、アゲハチョウが1匹、居間に入って来た。 天井の鴨居に止まり、羽をゆっくり動かしている。
( 千早が起きていたら、大騒ぎしてたかもね・・・! )
目に浮かぶ情景を想像し、クスッと笑う、涼子。
そのまま、涼子は、まどろみの世界へと入って行った。
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