第3話、みなかみ
水田にそよぐ夏風が、青い稲を穏やかに揺らせている。
小高い草原へと続く、緩やかに曲がった農道。
真っ青な空には、ぽっかりと白い雲が浮かんでいた。
段々畑の向こうには、赤レンガで積み上げた線路の橋脚が、何本も並んでいる。
ジンジンと聞こえる、セミの声。
照りつける夏の日差しに蒸された、草の匂い・・・
千早は、自然風景に誘われるかのように、1人で、夏の田舎探検に出掛けた。
ヤエの敷地に向かう小道から更に山側に歩くと、隣村へ通じる峠越えの山道になる。 水神大社の古い木製の鳥居があり、その脇に、樹齢300年は越えているであろう杉の大木があった。 神社脇に続く杉木立とつながり、大きな日陰を作っている。
杉の大木の根元には、苔むした道祖神。 赤い頭巾の上に、お盆前の季節としては、気が早いかと思われるトンボが止まっていた。
「 あ! トンボさん・・・! 」
そうっと、手を伸ばす千早。
トンボは、千早をあざ笑うかのように、ついっと、飛び立ってしまった。
「 ・・あん、もう! 」
杉木立に沿って、幅3メートルほどの小さな沢があった。 綺麗な水が流れている。
「 冷たいかな? 」
草むらにしゃがみ、緩やかな流れに、手を入れる千早。
「 キモチいい~! ・・あっ、お魚だ! 」
数匹の小さな魚影が、千早の目に映った。
サンダルを脱ぎ、沢に入る。 水深は、30センチくらいだろうか。 丁度、千早の膝下辺りである。
「 つ・・ 冷たぁ~い! おしっこ、出そう・・・! 」
両手でゲンコツを作り、ぶるるっ、と振るえる千早。
足の冷たさは、すぐに慣れた。 沢の底は、小さな砂利である。 足の裏が刺激され、心地良い。
「 じゃっぶ、じゃっぶ、じゃっぶ・・! 」
両手を振りながら、行進するように足踏みをする。
また数匹の魚影が、千早の足元を上流に向かって過ぎった。
「 あ、お魚さ~ん 」
腰をかがめ、魚を探す千早。
体長15センチくらいの魚だ。 よく見ると、かなりの数がいるようである。
千早は、ワクワクしながら、そのまま、沢を上流に向かって歩き始めた。
沢伝いに小道もあったが、千早はサンダルを片手に、愉快に沢の中を歩く。 都会では味わう事の出来ない経験だ。
強い日差しも杉木立に遮られ、木漏れ日のようになって沢に注いでいる。 清らかな水の音が心地良い。
「 探検、探検~ 千早の、探検隊で~す 」
無邪気に、沢を歩く千早。
突然の訪問者に驚いたカエルが、石の上から沢に飛び込んだ。
「 あっ、カエルさんだ! お~い、ドコ行くの~? 」
スイスイと、水面を泳ぐカエル。 千早が捕まえようとすると、慌てて沢の中に潜り、底の砂利の中に頭だけを隠し、じっとしている。
「 えへへ~~~、見ぃ~つけた、カエルさん! 」
水が透明なので、訳も無く目視出来る。
そっと手を入れ、カエルのお尻を突付く千早。 カエルは、びっくりしてもがき、大きな石の下に隠れてしまった。
「 あはははっ! カエルさん、びっくりしてるぅ~! 」
やがて、小さな池に辿り着いた。 沢は、ここで終わりのようだ。
「 池だ~・・・ 」
近くに神社の社のような建物があり、幾分、小さく聞こえる蝉の鳴き声の他に、チチッと言う野鳥のさえずりが聞こえる。
しばらく、池の周りを見渡す千早。 池の中心の水面が、わずかに盛り上がっている。
「 ? 」
千早は、そうっと近付いてみた。
・・・水が、涌いているのだ。
ここはどうやら、池ではなく、沢の水源地らしい。
透明な水の中で、水底の小さな砂利が、まるでダンスをしているように踊っている。
「 ・・・面白ぉ~い! 」
よく見ると、1ヶ所ではなく、数ヶ所から清水が涌いている。 全ての個所において、小石のダンスが見られた。
「 きれ~い・・! こんなの、初めて見たぁ~・・・! 」
音も無く、水の中で踊る小石。
それらは、水が湧き出ている中心ほど小さな小石で、中心から離れれば離れるほど、多少に大きな小石になっていた。
まさに、自然の造形である。 無機質だが、まるで創られたような自然の美しさ・・・!
それらには、どことなく人間味のような暖かさをも、かもし出していた。
清水が湧き出ている部分を足で押さえてみると、少し脇から、新たな清水が噴出する。 そこでもまた、美しい小石のダンスが始められた。
「 面白ぉ~い・・! 」
・・・静かな空間・・・
しばらく千早は、美しい自然の造形と戯れていた。
「 何してるの? 」
ふと、声を掛けられた千早。
顔を、見ていた水面から上げると、池の辺に、1人の少年が立っている。
優しそうな表情・・・ 歳は、千早と同じくらいだ。
「 石の踊りを見てたの。 面白いね、これ 」
足元を指差しながら、千早は言った。
少年が言う。
「 この清水は、何百年も、枯れた事が無いんだよ? 」
「 へええ~、そうなの。 凄いんだね! お洗濯や、お茶碗を洗う水道代、要らないね! 」
少年は、微笑みながら言った。
「 飲んでも大丈夫だよ? この村の人たちは、みんな、ここいらの井戸水を飲んでるんだ。中でも、ここの水が、一番おいしいんだよ? 」
「 ホント? 飲めるの? これ 」
「 ああ 」
じっと、足元の水を眺める、千早。
・・・水道以外の水を、飲んだ事が無いのだ。
確かに綺麗だが、やはり躊躇する。
少年は、池の辺にしゃがみ、水をすくって飲んで見せた。
「 ほらね? 大丈夫だよ? 」
少年に則され、千早は、そっと湧き出ている辺りの水を、手ですくった。
木漏れ日に反射し、キラキラと輝く清水・・・
千早の小さな掌から、宝石のような輝きを発しながら、雫が水面に落ちる。
千早は、ちらっと少年を見た。 少年が笑って答えた。
「 ・・だぁ~い丈夫だよ! 疑い深いんだなあ~ 」
千早は、恐る恐る口に持って行き、飲んでみた。
「 ・・・・・ 」
「 飲めるだろ? 」
「 おいしいっ・・! 」
「 だから言ったじゃないか! 」
もう一度すくい、イッキに飲み干す千早。
「 おいしいねっ! お水って・・ こんなに、おいしかったんだ・・! 」
満足そうな少年。
何度も飲み、濡れた口の周りを腕で拭いながら、千早は言った。
「 ジュースなんかより、コッチの方がいいね! タダだし、いっぱいあるもん! 」
少年が言う。
「 この水はね、霊験あらたかな、水神様の霊水なんだ。 ご利益、あるよ? 」
「 ・・みずがみ・・ 様? 」
少年は、社を指しながら言った。
「 この村の、守り神さ 」
「 ふ~ん 」
千早は、少年の服装が気になった。
着物のような服である。
襟の無い丸首に、無地の白い服・・・ 袖の繋ぎ目は開いており、ヤエが履いているモンペのような、膝下までの白いズボンを履き、口元を紐でしばっている。 足は素足で、草履を履いていた。
千早は言った。
「 あたし、千早って言うの 」
少年は答えた。
「 僕は、水神 」
聞き慣れない名前に、千早は聞き直す。
「 みなかみ・・・? 」
「 うん。 そこの、神社の子だ 」
木立の間から見える社を指差しながら、少年は言った。 どうやら神主の子供らしい。 夏になると、神社では、夏の神事が行われると言う事だ。 母親の涼子からそう聞いていた千早は、納得した。 おそらく、その神事の練習をしているか、手伝っているのだろう。
少年は尋ねた。
「 千早は、この村の子じゃないね? 」
「 そうだよ。 大婆さまが住んでるの。 お母さんの、お婆ちゃんなのよ? 」
「 ふ~ん 」
少年は、傍らに生えていた笹の葉を取り、笹船を作ると、それを千早に渡した。
「 湧き出ている流れに、乗せてみなよ。 面白いよ? 」
「 へええ~! 上手に作るんだぁ~ 」
少年から手渡された笹船を、早速、水面に浮かせる千早。
湧き出る清水に揺られ、しばらく、クルクルと廻りながら揺れていた笹船は、思い出したように、つい~と清水を離れると、まるで意志があるかの如く、ゆっくりと下流に向かい始めた。
「 面白ぉ~い! ね、みなかみクン。 あたしにも、お船の作り方、教えてよ! もっと、いっぱい流そうよ! 」
「 よし! やるか? 」
大きな笹船、小さな笹船・・・ ぎこちなく作ってあるのは、千早の作である。
池には、沢山の笹船が浮かんでいた。
「 千早。 穂先の切れ目が大き過ぎるんだよ。 このくらいで、いいからさ 」
見本を見せながら、少年が、千早にレクチャーをする。
「 ああ~ん、破れちゃったよ。 みなかみクン、天才だね! 」
「 見ろ見ろ、千早! 帆掛け船だぞ? 」
枯れ葉を、帆に見立てた『 力作 』を披露する、彼。
「 あ、凄ぉ~い! ね、ね! 早く、浮かべてみて! 」
「 よし、待ってろ・・・ ほら、千早、吹いてみなよ 」
浮かべた笹船を指差し、千早に言った。 ほっぺたを膨らまし、ふう~っと、息を吹き掛ける千早。 笹船は、水面を滑るように移動した。
「 凄い、凄ぉ~いっ! 早い~っ! アメンボみたいに進むねぇ~! 」
上機嫌の千早。
「 コッチに来たぞ。 そらっ! 」
吹き掛けられた息で、スイスイと、水面を滑る笹船。
「 今度は、あたしっ! ・・あ~ん、曲がっちゃった! 」
静かな池に、2人の歓声がこだまする。
千早は、その日、暗くなるまで、池の辺で遊んでいた。
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