第2話 ロアの落とし子

レフトハンドの兄弟決闘から5年、新皇帝ネロの即位がオクシデント帝国の隅々まで知れ渡った頃。

 レフトハンドの村は、村史史上、かつてない繁栄を迎えていた。

 「この先、真っすぐに進んだ場所が二人の戦った悲劇の場所だぁ! ここから先は通行料が必要! 銅貨5枚! 支払わないとオッタルの走るお化けに襲われます」

 なんと観光地化していた。英雄と3人の騎士達を慕う者が訪れた最初の数年が過ぎた頃、村人達は兼業で宿を営むようになった。

またこの大事件の調査をきっかけに、これまで危険とされていた森には、亜人や魔物はおろか獣さえいない事が判明したのだ。

かくして、森の小道の拡張工事が始まった。レフトハンドの村は、森さえなければ、隣国ユトランド国と極めて近く、交易の中継地点として、うってつけの位置にあったのだ。100人の村だったレフトハンドの村の人口は5年で倍にもなっていた。道の拡張と舗装が終われば、もっと村は大きくなるだろう。

一方で、森を挟んで存在するユトランドは、未だに亜人の巣窟がある世界の危険地帯の一つだ。なぜレフトハンドの森には、亜人がいないのだと、不思議に思う者がいた。

しかし、村人の多くは知っていた。森に余所者の老人と妙齢の女が住むようになってから、亜人の目撃がめっきり減った事を、時折、森から亜人の悲鳴が聞こえた事を。英雄が最後まで英雄だった事を。

 「リーマ君! お昼までに、エリクサーを12ダース、用意してくれないかしら」

 「あい、あい、アイの為なら喜んで、でもヒーヒーを少し休ませてあげたら?」

 ヒーヒーとは、アイが使役するヒッポグリフの愛称である。馬が運べる重さなら、何でも運べる空飛ぶ魔物だ。アイの祖先神は、アルテミス。アルテミスの末裔は、動物に好かれる特性を持っている。しかし、アイは魔物に好かれる特性を持っていた。代を重ねるにつれて、受け継ぐ力は少しずつ減り、性質も変異していく。

 「後、一匹、ヒッポグリフが入ればヒーヒーに楽をさせられるのだけど。どこかにグリフォンのベビーちゃんでも落ちてないかしら」

 「馬鹿! グリフォンは肉食の軍用獣だ。仮に飼い慣らせたとして、象を襲う怪物を村に置いておけるか。そもそもこの村が繁栄しているのは、魔物がいない安全地帯だからで…」

 「でもリーマは見付けて来たわよね。赤ん坊のヒーヒー」

 リーマがヒーヒーを見つけてきたのは、4年前の事だった。赤ん坊と言っても、野生の仔馬くらいはあるヒッポグリフを子どもが連れてきた時は、村中で騒ぎになった。野生のヒッポグリフは、人間の目の前でも平気で家畜を襲う。なかなかに狂暴な魔物なのだ。ただ、家畜化はできる。

 「ヒーヒーが最後の一匹さ。それにヒーヒーも野生種じゃない。多分、家畜化されたヒッポグリフが逃げだして、生まれたのがヒーヒー。その証拠に僕が見付けた時、ヒーヒーは、凄く痩せていた。森の木の下で、それもたった一匹で。人間に育てられたヒッポグリフは、自分で餌を取る事ができないから多分、それで。可哀想な奴だよ。だから、大切にしてあげて欲しいかなって」

 「そんなの分かっているわよ。この荷物が届け終わったら、ヒーヒーを休ませるわ」

代々、村で配達業を営んでいるアイの家に取って、ヒッポグリフは喉から手が出る程、欲しいものだった。リーマが連れて来たヒーヒーは、市場価格で金貨90枚分はする。良馬の5倍の価値である。なんせ馬で2日掛る道を1日で帰って来られるのだ。しかもヒーヒーは頭も良く、一度行った場所を覚えて、アイが命令すれば勝手に飛んで行って、帰ってきてくれるのだ。そのおかげでアイの家は村一番の金持ちとなった。だから、リーマは思うのだ。自分で買えと。

「リーマ君、御父上が君を探していたぞ」

「リっ、リーマ、この人と知り合い?」

大理石の彫刻のように整った顔と完璧な肉体をしたその男性は、リーマに向かって微笑みを浮かべていた。この美しい青年の微笑みが自分に向いていない事にアイは軽い嫉妬を覚えていた。

「メギィ・ザクセン・ソーさん。国中を旅しているさすらいの騎士なのだって。あの兄弟2人の崇拝者で二日前から、従者さんと家の2階を借りているの」

「ザクセンって、あの侯爵家の跡取りさんですか!」

「まさかぁ、私の家は分家も分家、代々の王家に使える騎士の一家ですよ。玉の輿にでも乗れると思いました? くくくっ」

アイは顔を真っ赤にして、たじろいでいる。可愛いところもあるなとリーマは思ったが、いつもの高飛車な態度を思いだし、そんな考えは消えてしまった。

「アイ、僕は家に帰るけど」

リーマはアイの肩を掴んで言った。

「喰われるなよ」

「…」

アイが心配というよりも、メギィが騙されないか、心配だった。あくまで村の中ではだが、一番の美人だ。自分が貴族入りしても、当然の実力くらいは思っていそうだった。

「じゃあ、お昼頃にまたね、アイ」

「面白い子ですよ。リーマ君。まだ11歳なのに、大人びているし、凄く頭も良い。君が南の町に卸しているお薬も彼が魔法で作っているそうじゃないか。帝都に連れていきたい」

「私を、ですか?」

「…きも、君も綺麗で面白い女の子ですね。リーマ君は、帝都でなくても、都会の学校で学ぶべきだと思います。あの子は大魔術師の片鱗を既に見せている。きっと第2のロアにだって慣れますよ」

「メギィさん。実はあの子、リーマは元々、この村の子ではないのです」



「父さん、何か用? ラッキーツリーの清掃当番なら、夕方に行くよ?」

「まあ、座れ」

何か重要な話だなと、リーマは気づいた。いつもは、立たせるからだ。

「お前、そろそろ、この村から出ていけ」

「はあ?」

唐突、過ぎて意味が分からない。だが、リーマは自分の父が素面で冗談を言わない事を知っていた。

「お前の為に言っている。この平和な村はお前の才能を腐らす。かつて、チーハン・ギルドで支部長をしていた俺だからはっきりと分かる。色々な若者を見てきたが、お前の魔法の才能は10年いや、20年に一度いるかいないかの逸材のそれだ。昔のツテを頼って、帝都の学校へいずれ通わせるつもりでいたが、メギィさんがお前を連れていきたいそうだ。卒業後は騎士団員か、宮廷魔術師に推薦してくれると。優秀な人材を連れてくれば、メギィさんの功績にもなるそうだ。良かったな。数日以内に出発だそうだから、今の内にご近所と友人に挨拶だけは済ませておけよ」

「僕は行きたくないかな。このままエリクサーを売って、たまに宿屋の仕事をして、友達と釣りをして、行商人から買った本を読む。そんな生活が好きだ」

かつて、戦斧を振り回していたという大きな体を震わせて、父親が笑った。

「お前は、お前は、どうして悟った老人みたいな考えで生きているのだよ! 兎に角、父親の命令だ! 出ていかないなら、家を燃やす、家を燃やしてでも、お前をこの村から追いだす。恨むなら恨めよ」

「恨むはずないじゃないか! 俺を拾ってくれた、父さんと母さんを! そこまで言うなら、どこだって行く。でもさ」

「お前の出自なら、心配ない。ロア・ダンガロアの名誉は回復された。新皇帝の即位で死人にも恩赦が出たそうだ。お前の本当のお父さんは罪人じゃない。ロアは英雄に戻った。これからは、胸を張れ! リーマ・ダンガロア。英雄の息子」

リーマは大粒の涙を一粒だけ落とした。

「違うよ。村を長年、無償で守っていた優しい英雄バーナード・ベオウルフが今の僕のお父さんだよ」

「リーマ…」

いつの間にか、2人は抱き合って泣いていた。

「あなた、リーマ、お昼…食べる?」

「あっ、エリクサーを持っていかないと。すぐに戻るから先にご飯、食べていて」

「落とさないように気を付けなさいよ」

「ビン一つで銀貨2枚がぱあ、落とすものか」

筋力増強の魔術を自分に掛けているリーマであるが、一度だけ、石に躓いて転んでしまい、瓶のほとんどを割ってしまった事がある。その時は、アイに大目玉をくらい、賠償金だと言って、結構な金をふんだくられた。リーマが心の中で軽く念じるとリーマの足が地面から、わずかに浮いた。青狸の術だ。本来は川や湖を超えるための魔術だが、戦場では地雷よけでも使われる。

亜人は、地雷が弱点だった。それは亜人を作ったのが、嫉妬深い神アドナイだったからだ。賢くなった人間に嫉妬と恐怖を覚えたアドナイは、人類を絶滅させる為に作った亜人に知性を与えなかった。その為、見えている地雷を踏む哀れな亜人達の黒い山が世界のあちこちで見られる程であった。

人間が嫌いなら、中途半端に人に似せた亜人ではなくて、小麦に似せた毒草や硫酸の雨を降らせるドラゴンでも作れば良かったのではないのか?

 本当に知性が足りなかったのは、アドナイではなかったのか?

そんな事を考えている内にアイの家に辿り着いたリーマは、自分の顔が泣き顔のままになっていないか不安に思った。もう15にもなるのに、リーマが泣くとアイは

よくからかってきた。嫌な女だ。

だが、異様に騒がしい。からかわれる心配はないようだ。

アイの声がする馬小屋の方に向かうと藁束にぐったりと倒れ込んだヒーヒーが「クークー」弱弱しく鳴いていた。

「リーマ、エリクサー、早く、早く。ヒーヒーが襲われたの!」

籠からエリクサーの瓶を取ると、傷口に掛けようとするアイ。

「ちょっと待って、それ売り物!」

別に良いのだが、リーマが使うと横領だと騒ぐのだ。それにアイはエリクサーの使い方をきちんとは分かっていない。

「一本くらい良いじゃない。こんなに痛がっている」

「背中から血が出ているけど、体内に異物が残っていないかの確認をしなきゃ、エリクサーを使うと傷口がすぐに塞がって取れなくなる」

アイは、赤く染まった矢を見せる。クロスボウの矢だ。ヒッポグリフは、臆病だが、力は強い魔物だ。野生のヒッポグリフに矢など射れば、人間の方が殺されかねない。ヒーヒーに怪我をさせた奴は、ヒーヒーが人に飼われていると知って、こんな事をしたに違いない。怒りで沸騰する頭を落ち着かせて、リーマは言った。

「エリクサーは飲ませてあげて、病気の人に使うのと同じ。傷口にぶっかける方法もあるけど、あれは重傷者への最後の手段だから。これくらいの怪我だったら傷口に掛けるにしても、瓶に残った数滴で良い」


「ありがとう、薬を売っているのに、薬の使い方を知らないなんて年長者として恥ずかしいわ。どれくらいで元気になると思う?」

「血は止まったけど、結構、深く刺さっていたから、飛べるまで回復するのに二日、完治まで四日かな」

「エリクサーって、おとぎ話じゃ、飲んですぐに治る感じじゃない。リーマのエリクサーって、本当のエリクサーなの?」

「…ひどい事言うな。おとぎ話に出てくるのは、神々が魔法の水で作った伝説のエリクサー。この世のほとんどのエリクサーは、その辺の水で作ったエリクサー。誰のエリクサーも、材料が不足しているわけ。それも足りないのは魔法の水だけじゃない。それこそエリクサー作りの名人が100人いれば、100通りの少しずつ違った効用と100通りの工夫があるって云われるくらいに奥が深いのさ」

「聞いた事あるかも、治りが遅いエリクサーを売っていて、詐欺で訴えられた人がいたけど、結局、無罪になったって」

「ちなみに僕のエリクサーは知っての通り、真水を魔法で薬に変化させた『野生人のエリクサー』っていわれる種類でね。昔のエリクサーは、本当にこれだけだった。今、これ売っているのは僕とアイだけだよ。多分。大体は、効くかどうか分からないハーブや香料混ぜているから、飲みやすくする為にね」

「だから町の連中に、安く買い叩かれるわけね。通常の半値で買い取られて、半値で売られる。その分、売れ残らなくて良いけど」

「良いじゃない、別に。国中や外国を旅する夢、叶えられるだけのお金は貯まったでしょう。それとも、家族の為にもっと稼ぐ気でいるの?」

アイは少し黙ってから言う。

「リーマのおかげで私が旅立てるだけのお金は十分に貯まったわ。おばあちゃんは反対だけど、家に金貨100枚を残してあげられる。私もヒーヒーに乗れるようになったし、リーマが旅立つ日に私も旅に出るわ。それと今回の報酬」

重い袋をリーマに渡す。

「メギィさんに聞いたのね。多いな、いつもの2倍、もっとある。もしかして、今月の稼ぎの全部か」

「ヒーヒーの御礼と今までお世話になった分よ。私と違ってあなたは、稼いだお金を全部、家に入れていたのでしょう。これだけあれば、都会でも一年くらいは暮らせると思う。都会の物価はよく分からないけど、多分、これくらいでしょう?」

「都会の物価、知らないの? きっとびっくりするぞ。節約して4か月かな?」


「私が帰った後に、そんな事があったのですね。話を聞いているとお二人の関係って、良いですね。真の友人って感じで素敵に思います」

メギィに誘われて、2階の客間にリーマはいる。

隣の部屋からは、従者二人の寝息が聞こえてくる。

「僕とアイが旅立つ前にしなくちゃならない事があってね。ちょっと相談があります。もしも、協力が無理と言うなら、聞かなかった事にして下さい」

「なんだい、話してごらん」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る