電池

涼雨 零音

第1話

 ある種の刺激というものは継続的に受け続けていると次第に違った感覚として認知されるようになり、恍惚へと導かれることさえある。感覚器官への刺激はその他の環境的要素、いわゆるシチュエーションと呼ばれる種類のものにも左右され、状況によってはその刺激による効果を何倍も増幅させることもある。抜き差しならない状況は心地よい刺激をも不安に変え、不安が逆説的に刺激を恍惚へと押し上げることもあるだろう。


 私は今、ごく狭い空間に一人きりでいる。扉は内側から解錠できるので閉じ込められているわけではない。しかしあるのっぴきならない事情により、私は私の意思に関係なく、この空間から出ることができない。逃れられない状態に置かれているのだ。


 なぜこのような事態になったのか。私はここ数日の間に起こったことを思い返した。思えば数日前から兆候はあったのだ。いや、兆候などという曖昧なものではない。はっきりとした警告だ。私は明らかに警告であるメッセージを受け取っていたはずだ。しかし軽視した。軽率にも、軽視したのである。自業自得という四文字が脳裏をよぎる。自らの業を自ら得るのだ。本来自業自得という言葉には、善行によって好ましい結果を得るという意味も含まれているはずだが、そのような意味で使われることはまずないのではないか。だいたいにおいて、好ましくない状況に陥った原因が自らにあるときに用いられる言葉だ。今私の置かれている状況は、まさにこの言葉にふさわしいと言えよう。


 私は今からおよそ四十秒ほど前、自分のおかれた状況に気づいた。最初にあがやってきた。あ。続いてなんで。なんで。からのそうか。そうか。そしてしまった。しまった。続ければこんなふうになる。適宜記号を補おう。

「あ! なんで? そうか! しまった…」

 インタフェースというのは異なるものがやり取りするための窓口のようなものだ。ユーザインタフェースはユーザであるところの人間とそれによって操作される何らかのものの間をつなぐ窓口だ。私はユーザインタフェースであるところの操作パネルに触れることで機械を操作する。操作パネルに配置されたボタンはインタラクションの要だ。ボタンを押せば何らかの動作が発生する。そこには相互作用、インタラクションがある。当然返ってくるべき反応、すなわちレスポンスが得られなければ、それはある種の驚きに繋がり、次いで不安がその驚きに取って代わる。


 ひとつ目のボタンが刺激の開始を意味していた。それは予定通りに動作し、私は刺激を受け取った。次のボタンは刺激の停止を意味するはずであった。しかしふたつ目のボタンを押してもなんの反応もなかった。刺激は停止されなかったのである。かくして私は刺激を受け続けることになった。肛門すなわちケツの穴に。


 思えばいつの頃からか、排泄には洗浄がついて回るようになった。温水洗浄機能を搭載した便座は排泄の後にその部位を洗浄するという機能を有している。有り体に言えば、うんこをしたあとケツの穴を洗う機能がついているのである。これの操作パネルが便座のすぐ横についているタイプは体をひねって見下さないと操作パネルが見えない。おそらくこれは不便だということになったのであろう。最近のものでは操作パネルだけが壁に、ちょうど紙、便所紙、トイレットペーパーという名のケツを拭く紙を設置してある付近に貼り付けてあり、まさにうんこをひり出している姿勢のまま自然に操作できるようになっている。これは素晴らしい。実に使いやすい。


 が、このタイプには大きな罠があるのだ。このタイプは操作パネル部が壁からも取り外せるようになっている。なんと、無線なのだ。操作パネルは赤外線で便座と交信し、パネルの操作を便座本体に伝える。私の手元の操作は赤外線に乗って便座へと送り込まれ、指示を受け取った便座が私のケツを洗うための温水を噴射したり、それを停止したりするのである。


 そしてつい今しがた、「洗浄」ボタンによって洗浄動作の開始を送信した直後、操作パネルの電池が切れ、「停止」ボタンによって発せられるべきコマンド、指示、命令が送信されないという事態が発生した。かくして私のケツの穴を洗浄している便座は、停止コマンドを待ち続けながら私のケツを洗い続けているのである。


 思えばバッテリー残量の警告は数日前から出ていたのだ。車のガス欠と同じで、ガス欠は急にやってくるのではなく、事前に余裕を持って警告される。それなのになぜガス欠になるのか。それはその警告を受け取った愚かな人間、まさにここ数日の私のような人間が、高を括るからである。甘く見るからである。残量が少ないとはいえ警告が出てすぐに切れるわけではない。もちろん余裕を持って警告を出すようになっているのだからそのとおりだ。そして何日かそのまま使用しているうち、バッテリー警告は点灯しているのが日常となり、まったく気にならなくなる。かくしてバッテリーエンプティーにより、ケツが洗えない、クソが流せない、といった事態が発生する。今私に訪れているのは流せないクソが残ったままケツは洗いっぱなしという状況だ。これは予想される中でもかなり込み入った状況と言える。噴射されている水は私のケツの穴付近にあたり、そのまま便器の中へと落ちている。私が立ち上がるとどうなるのだろうか。おそらくセンサーが反応し、洗浄は停止するだろう。しかし車は急に止まれない。便座も急に止まれない。停止するまでの間にそれなりの量の水が撒き散らされるのではあるまいか。それにおそらくセンサーによって便座に誰もいなければ止まるとは思うが、そんなことを試した経験はない。万一止まらなかった場合、そこらじゅう水浸しになるのではあるまいか。私にそれを試す覚悟はあるのか。私は膝の上に肘を付いて頭を抱え、ケツの穴の位置を調整しながら悶々と考えた。


 そうだ。少しずつ尻を持ち上げてみよう。急に立ち上がると振り散らかる可能性が高い。少しずつ腰を上げ、噴水を尻で受けながら立ち上がることで、そこらじゅう水浸しになる事態は避けられるのではあるまいか。意を決してわたしは上半身を前にかがめた。両手を膝につき、少しずつ重心を前に出す。長い時間座っていたことで便座に張り付いていた尻周りの皮膚がぺりりりと離れる。水の噴射を受けている部分に意識を集中し、当たる位置を調整しながら少しずつ尻を上げる。いいぞ。いい調子だ。と、座っていた時間が長すぎたのか、足が妙に痺れていて途中で踏ん張りが効かなくなり、私は前のめりにバランスを崩した。まずい、と思ったが意識だけが高速化し、周囲の状況を鮮明に知覚しながら体はまったくついてこなかった。慌てて踏ん張ろうとしたが足には力が入らず、腹の変なところにだけ力が入って屁が出た。ちょうどケツの穴付近に水を受けている状態で屁が出たために水流は霧のように吹き散らかり、私は屁に押し出されるようにして正面のドアに顔面から突入した。便座から尻が離れた時点で水流は止まったが、鼻をしたたかに打ち付けて床に突っ伏した私の脳天付近にビチビチと音を立ててすでに発射されていた分が着水した。


 鼻血を出しながらすっぽんぽんでドアから出ると、私は温水洗浄便座操作リモコンの電池を交換して再びトイレへと戻った。便器の中には流されるのを待っている大便が大蛇のようにのたくっていた。

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