大べしみ

増田朋美

大べしみ

夏真っ盛りという言葉にふさわしい、良く晴れた日だった。夏になると、スイカとか、花火とか、いろんな名物がある。でも、子供のころは、忘れてはいけないもう一つの名物があるだろう。そう、夏休みの宿題である。

その日、ジャックさんが、相談したいことが在ると言って、製鉄所を訪れていた。もちろん、武史君も一緒だったが、その相手は、水穂さんがした。

「今日はどうされたんですか。なんでも夏休みの美術の宿題の事で、聞きたいことが在ると伺いましたが?」

ジョチさんは、ジャックさんにお茶を出しながら、そういうことを言った。

「ええ。実は今日からは、学校は夏休みに入るんです。ですが、夏休みの宿題の事で、担任の先生から、お咎めを受けてしまいまして。」

ジャックさんは、どうしようもないという顔で言った。

「お咎めですか?武史君、又何かしたんですか?でも、まだ一年生ですから、おおかれ少なかれ学校から、呼び出されるということは、あるんじゃないかと思うんですけど。」

ジョチさんが、心配そうにそういうと、

「はい。実は美術の授業で、家族の人の似顔絵を描いてくるようにという課題が出されたそうなんですが、この課題で武史が提出した絵が、これなんだそうです。」

と、ジャックさんは、カバンの中から、一枚の絵を取り出した。確かに、父親の絵を描いたということは間違いないのだが、、、。

「どうもこれは、人間というより、べしみですね。」

と、杉ちゃんは、でかい声で絵の感想を言った。確かに、絵を描いている男性を写生したものであるらしいが、その顔は確かに金髪の顔をしているけれど、口をへの字型に結んで、画用紙に向っている姿を描いている。

「確かに、家族の絵を描かせると、大体の子は笑顔で描いてくるのが当たり前なんだそうですが、武史は、このような絵を提出したものですから、すぐに学校で問題になったそうなんです。これでは、とても学校の掲示板に張り出せないと、学校の先生に言われてしまいました。」

ジャックさんは、大きなため息をついた。

「そうだねえ。これは張り出せないよな。お父さんの顔というより、こりゃ大べしみを描いたみたいだ。」

と、杉ちゃんはいう。

「大べしみは、仏教に敵対する悪役である、天狗を表現した能面の事ですね。僕も、展示会で一度見たことがありますが、其れと、父親の顔に結びつけてしまうのは、異例ですね。」

ジョチさんが解説してくれて、ジャックさんはやっと大べしみがどういうものなのか分かったような気がした。

「武史君が、大べしみを知っていることはまずないと思うけど、こういうへの字型の口を結んでいる人物を親だと勘違いしているようでは、確かに問題だよ。何か、家で問題があったんじゃないの?」

杉ちゃんが言うと、

「それが、よくわからないんです。普通に武史は暮らしていますし、学校にも楽しそうに行っているし。まあ確かに、変な質問をして、授業妨害をするとか、そういうことは、よく先生に言われますけど、すくなくとも、家では、問題を起こしたことはいちどもありません。」

と、ジャックさんは言った。

「そうですか。一年生ですからね、ある程度家の事は理解して、それを無理して隠そうと明るく振舞うことも器用な子ならできるかもしれませんよ。ですが、それが蓄積されてしまった場合、思春期にうまく対応できなくなる可能性があります。できるだけ、このような絵ではなく、武史君がお父さんの絵を素直にかける、環境に置かせてあげるのが、大切なのではないかと。」

ジョチさんがそういうが、学校を変えるというのは、大変難しいものであった。特に、海外からやってきたジャックさんにとっては、日本の学校を渡り歩くのは確かに難しいだろう。

「それで、夏休みの宿題として、なんでもいいから、主観を入れずに、絵を一枚書いてくるようにという課題が出たそうなんです。ですが、武史の描いたものは、このようなものばかりなんです。」

ジャックさんは、何枚かのA3サイズの画用紙を差し出した。一枚は海辺の風景を写生したものであるが、岡本太郎の明日の神話のような、グロテスクな色遣いで描かれている。もう一枚は、山に生えている楢の木を写生したもののようであるが、これも木に火が燃えているような、赤ばかりが使われている。

「確かに、このような絵を描くのであれば、武史君はどこかに問題があるのかもしれません。一度、お父さんが手を出すのをやめて、専門の知識を持っている方に見せたらどうでしょう。いわゆる臨床心理士さんとか、そういう方でもいいでしょうし、もし武史君が絵の描き方を習いたいといったなら、絵の先生を紹介してもいいのではないでしょうか?」

「そうそう。問題が起きた時は、親戚とか血縁者より、知識のある第三者を頼った方が良いっていうときもあるの。」

武史君の描いた絵を見て、ジョチさんと杉ちゃんはそういった。ジャックさんは、そうですねと頷く。

「ただ、そういう専門家を探すのにどうやって探せばいいのか、まったくわからないものでして。インターネットでも、誰が良くて誰が悪いのか、そこは全く見当がつきませんし。」

と、ジャックさんは言った。確かに、そういうひとを探しに行くのは、外国人であるジャックさんには難しいだろう。日本はどうしても、ある程度同じものを持っている人でないと、講堂できないようになっている部分があるので。

「ほんなら、絵の先生を紹介しようか?」

と、杉ちゃんが言った。

「杉ちゃん身近な方に、誰かいるんですか?」

と、ジョチさんが言うと、

「うん、絵を生業として、みんなに教えている方というと、小濱秀明さんがいると思ってさ。」

と杉ちゃんはサラリといった。

「小濱さんですか。彼にこっちへ来てもらうとなると、大変ですよね。富士へ来てもらうにも、郡山からくるのですから、ホテルなども取らなきゃならないでしょうし。」

ジョチさんは、そのあたりを心配したが、

「まあ、やってみなければわからないじゃないか。其れに、ホテルが開いてなくても、ここに泊めさせればいいじゃないかよ。とにかく小濱さんに電話してさ、絵の指導をお願いしよ。」

こういう時、なんでも強引にやってしまうのが、杉ちゃんというひとであった。それと同時に、流れていた幻想ポロネーズが突然止まる。武史君が、あ、おじさん、大丈夫!と言っている声も聞こえてきた。

「あ、水穂さんがまたやったな。ちょっと、止めにいってくるわ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「ああ、僕が寝かしてきます。」

と、ジャックさんが、急いで四畳半へ走っていった。四畳半では、水穂さんが、ピアノの蓋に顔をくっつけてせき込んでいた。その時に、又赤い液体が、鍵盤を汚していた。ジャックさんは、水穂さんの口元についたものをふき取ると、よいしょと水穂さんの体を持ちあげて、布団に寝かしつけてあげた。

「おじさんごめんなさい。」

と、武史君は小さくなっている。

「武史君、これからお前さんのところに、有能な絵の先生がやってくるから。もう明日の神話みたいな絵を描かなくてもいいようにしてもらおうね。」

ジャックさんのあとを追いかけてきた杉ちゃんが、そういっためジャックさんは、決断した。杉ちゃんたちの言う通りにした方が良い。

「理事長さん、その画家の先生の電話番号を教えてください。すぐに電話します。」

水穂さんを寝かしつけたジャックさんは、応接室へ戻って、ジョチさんに聞いた。ジョチさんが、小濱秀明という画家の方で、本名は前田秀明と説明し、福島県の郡山市の、水郡線の駅近くに住んでいると話すと、ジャックさんは真剣に聞いていた。そして、電話番号を受け取ると、急いで電話をかけてみる。小濱秀明さんは、声の漢字から判断すると、まだ30代のようであるが、ジャックさんの話を聞いて、明日あたりに伺いますと言ってくれた。

翌日、ジャックさんは、絵の先生である、小濱秀明という人物を迎えに行くために、車で新富士駅に行った。確か、電話では、片腕なのですぐにわかると言っていたのだが、正直片腕で絵なんか描けるだろうか?と、ジャックさんは思ってしまうのであった。改札口で10分くらい待って、新幹線が到着する音がする。其れからしばらくたって、浴衣姿に、ベレー帽をかぶった男性が、ジャックさんの前に現れた。確かに彼には左腕がない。浴衣の袖が、内容がなく、タランと垂れ下がっているのみである。彼は、駅員に切符をきってもらって、改札口を出て、ジャックさんのほうへ歩いてきた。

「こんにちは、小濱秀明さんでいらっしゃいますか?」

と、ジャックさんが尋ねると、

「はい、そうです。田沼さんでいらっしゃいますね。初めまして、小濱秀明です。名刺も何も持っていませんが、よろしくお願いします。」

と、小濱秀明はジャックさんの前で丁寧に頭を下げる。

「いやあ、遅くなってしまってすみません。水郡線の朝一で来たんですがね、単線なものですから、水戸駅に着くまでにずいぶん時間がかかってしまいました。水戸駅からは常磐線特別快速に乗って、品川駅から、新幹線に乗ってまいりました。」

そうなると、ずいぶん長旅をしたように見えるが、何も疲れていない様子をしているのが、やっぱり若い人だなと思う。

「じゃあ、乗っていただけますか?武史、ああ、息子の事ですけど、待っていると思いますから。」

ジャックさんはそういって駅の駐車場に彼を案内した。彼は、風呂敷包みを片腕でもって、ジャックさんについて行った。二人は、用意していた軽自動車に乗る。

「いやあ、車何て運転できないので、乗ったのは久しぶりです。いつも、移動は一時間に一本しか走っていない水郡線しかないものですからね。もう、電車に合わせて、動かないと、こちらではだめなんですよ。一時間に何本も電車が走っていることは、絶対にないですから。」

と、秀明はいうのだった。よくしゃべる男だなとジャックさんは思うが、

「子供さんに絵を教えるのって久しぶりなんですよ。教員免許を持っていないので、サポート校みたいなところで絵を教えたりはしましたけど。まあ、皆さん、片腕がない絵描きをどう思ってくれるのかな。」

と、秀明はいうのだった。

「そうなんですか。ちなみに、小濱さんが尊敬する画家って誰なんですか?モネとか、ルノアールとか、そういうひとですか?」

と、ジャックさんが聞いてみると、

「ご存じかどうかわかりませんが、古賀春江見たいな、そういう個性的な絵を描く人が好きです。」

と、秀明は答えた。確かに、古賀春江の作品は、非常に個性的なものである。周りとの調和を気にする日本人画家の中では、非常に少ない個性を追求した画家だと思う。

「なるほど。古賀春江さんは、日本人には非常に珍しいタイプの画家ですからな。」

とりあえずそういっておく。

「うちの武史も、絵を描くのはものすごく好きなんですが、よく、病的な気持ち悪い絵を描くと言われて、しょっちゅう学校から呼び出されましてね。もうどうしたらいいのか、困っています。それで今日は、先生に来てもらったわけですが。」

「ええ、それは、杉ちゃんから聞かされました。あの後、杉ちゃんから電話がありまして、武史君が岡本太郎のような絵を描くということも聞きましたよ。確かに、明日の神話のような絵を描くのは、一寸問題ですね。でも、それを決して否定してはいけないと思うんです。」

と、秀明は、ジャックさんに言った。そんなことを言っても、自分もそうしてきたつもりだった。のに、武史君のおかしな絵は治らないし、夏休みの宿題は、いまだに解決していない。

「そうですか。とりあえず、武史は製鉄所で待っていると思いますから、いらしてください。」

とだけ言って、ジャックさんはあとは黙ってしまった。

そうこうしているうちに、製鉄所に到着した。又水穂さんがピアノを弾いているのだろうか。幻想ポロネーズが聞こえてくる。武史君はどうしてああいう、幻想ポロネーズのような重たい曲を好むのか、実はジャックさんもよくわからないのだった。実の父親なのに、息子の好む曲の理由がわからない。それは、ある意味では親として、成り立っていないのだろうか?ジャックさんは、そんなことを考えながら、車をとめた。そして、ドアを開けて、秀明が車を降りるのを手伝ってあげた。

「こんにちは。小濱英明です。」

と、秀明が玄関の引き戸を開けて、そう声をかけると、出迎えたのは杉ちゃんだった。

「おう、よく来てくれたな。今日はわざわざ郡山から来てくださってありがとうございます。」

「これ、家で取れたリンゴです。最近は、夏のリンゴという新しい区域に挑戦しています。」

と、秀明は、風呂敷包みから、杉ちゃんにリンゴを二つ渡した。

「おう、ありがとうよ。じゃあ、それでは、さっそく中へ入ってくれ。これ、むくから、みんなで食べようか。」

と、杉ちゃんは、リンゴを膝の上に置いて、車いすを動かして、食堂へ行った。まだ水穂さんの幻想ポロネーズは続いていた。ジャックさんは秀明と一緒に、四畳半へ行って、急いでふすまを開け、

「武史、もう絵の先生がいらしたから、それでおしまいにしなさい。」

といった。武史君ははいといって水穂さんは演奏するのをやめた。

「じゃあ、おじさん少し横にならせてあげな。この前みたいに、倒れてしまったら、大変だから。」

と、ジャックさんが言うと、水穂さんはすみませんとだけ言った。こないだついた血痕が、まだ鍵盤に少しついていた。ジャックさんは、水穂さんを支えてあげて、布団に横にならせてあげた。どうもすみませんと言いながら、水穂さんがジャックさんに布団をかけてもらったのと同時に、

「リンゴの皮をむいたよ。さあ、食べようぜ。」

と、杉ちゃんが車いす用のトレーに、大皿をのせてやってきた。すると武史君が杉ちゃんありがとうと、杉ちゃんのトレーから大皿をとって縁側の床の上に置いた。皆いただきますと言って、思い思いに楊枝をとり、リンゴを口にした。

「うん、なかなかいけるリンゴじゃないか。夏にとれるリンゴというのも、又変わっているね。」

と、杉ちゃんがそう感想を漏らすと、縁側で遊んでいた、二匹の足の悪いフェレットが、それぞれちーちー、と鳴いて声をかけてきた。

「欲しいの?」

と武史君が聞くと、フェレットたちはそうだよとでも言いたげに、ちーちーとまた声を上げる。

「どうぞ。」

と武史君は、リンゴを一切れずつ、二匹の前に置いた。二匹は、嬉しそうにリンゴを食べ始めた。

「この子たちは誰が飼育しているんですか?」

と秀明が聞くと、

「杉ちゃんがバラ公園で拾ってきたそうです。初めはオコジョでもいるのかと思ったそうですが、足の悪いフェレットだったとは、かわいそうすぎるって。」

ジャックさんはそう説明した。

「それに、この子たちが、乗っている車いすというのかな。其れも皆杉ちゃんが作ったそうです。」

「そうなんですか。杉ちゃんもアイデアマンですね、足の欠けたフェレットを移動できるようにしてあげるなんて。それに、一匹は三本足で、もう一匹は二本足と来ているのに、放置しないで飼育しているんですから。」

秀明は、にこやかに笑って、そう感想を述べた。

「かわいいでしょう。正輔君と輝彦君っていうんだよ。」

と武史君がそういうと、秀明はにこやかに笑った。

「じゃあ武史君、リンゴを食べている正輔君と輝彦君を描いてみようか。」

「はい!」

武史君は、スケッチブックをカバンの中から出して、鉛筆を取り出し、二匹のフェレットたちを描き始めた。

「この子たちは、武史君にとって、どう見えるかな?かわいそうに見えるかな?それともかわいく見える?」

秀明が聞くと、

「うん、可愛いと思う。二匹とも、歩けないけど、でも、可愛いと思う。」

と武史君は答える。

「そうなんだね。じゃあ武史君、この子たちがかわいいと思えるように、自分で考えながら描いてごらん?武史君がかわいいと思っている、その気持ちを大事にしてね。決して、この子たちが、可愛そうだと思わせるようには、描かないでね。そんなこと、この子たちも、望まないと思うよ。」

「はい!わかりました!」

と武史君は答えた。そして無我夢中になって絵を描き始めた。杉ちゃんのほうは、水穂さん、リンゴを食べろと指示を出したりしているが、武史君はそれがうるさいとも言わないのだった。

「あれ、武史君、今日はしっかりフェレットを写生しているね。」

と、水穂さんがそういう通り、武史君が鉛筆で描いた二匹のフェレットの絵は、何もおかしなところはなかった。普通に鉛筆で、フェレットの絵を描いている。

「なんだ、べしみじゃなくて、普通の絵を描けるんじゃないか。」

と、ジャックさんが言いかけると、

「それを言ってはダメですよ。そういう言葉こそ、武史君が岡本太郎のような絵を描いている、原因なんじゃないでしょうか。元々彼は美術の才能はある子ですよ。ただ、周りの大人の態度が、彼の才能をもぎ取ってしまうんだと思う。大人が、そんな絵はダメだ、と言い続けることが、一番いけないと思うんです。そうではなくて、武史君が明日の神話のような絵を描かないように誘導してあげることが、一番大事だと思うんです。」

と、秀明は言った。どうして他人だとそうやって、自分がわからなかったことを簡単に見つけてしまうのだろうかとジャックさんは思うのであるが、

「そうだよな。やっぱり、子供は周りの環境だよね。こういう個性的な子は、誰か、肯定的というか、良いんだよって認めてくれる奴がいる事が、一番大事なんだ!」

と、杉ちゃんがカラカラと笑ってそういうことを言うので、ジャックさんは、そうかと思い直した。

「それでは、そういう大人がいるような場所にいさせるのも有害かもしれませんよね。武史君の事を受け入れてくれる人が居てくれれば、又変わってくれると思いますよ。杉ちゃんみたいに、歩けないフェレット君の歩行器をつくってくれるような人です。」

秀明の言葉に、ジャックさんは、そうだよなとおもった。と同時に、自分がそういうひとにならなくちゃいけないんだなと思った。

相変わらず武史君は、二匹のフェレットたちの絵を描いていた。




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大べしみ 増田朋美 @masubuchi4996

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