第5話 アタシの名前はシズカでいいんだっけ?
「シズカ……シズカ……」
誰だろう? アタシのことを呼んでいるのは?
「シズカ……シズカ……」
というかアタシはシズカなんだっけ? そういえばずっと昔にそう呼ばれていたような気がする。
いや、それは夢で見た別のアタシの名前じゃなかったっけ?
夢……暖かい寝床、優しい両親、大切な友達、中学校……中学校って何だっけ?
何でもいい、もうずっと夢の中に沈んだままでいたい……。
「シズカ!」
バッ!
アタシは跳ね起きた。武器、武器はどこ!? 魔法の短剣は回収したはず!
「シズカ……」
気が付くと黒髪の少年が、不安そうな表情を浮かべてアタシを見ていた。アタシは少年の明るいコバルトブルーの瞳を見つめながら、高速で状況を理解し始める。
そうだ。アタシたちは魔王軍から逃亡している最中なんだった。この少年は……
「アレス……ヴェル?」
艶やかな黒髪をふわふわと揺らしながら、アレスヴェルは首を縦に振る。そうだ。この少年を守ることと引き換えに、わたしは大きな狼と血の誓約を交わしたんだった。
あの狼、アタシに力をくれるとか言ってたけど、それは一体何だったのかな。アレスヴェル――アレスでいいか――が、目を左右に走らせる。
何か来る? アタシはアレスの表情を見据えながら耳を澄ませる。アレスの額には小さな角が二つ生えていた。この子は鬼人族なのか。
ガサッ。
アタシは魔法の短剣を抜いて音がした方向に身構えた。同時に片方の手でアレスを背後に下がらせる。
ガサッ。
草むらから出てきたのは野犬だった。姿を見せているのは目の前の一匹だが、アタシの感覚が、その向こうにもっと多くの犬が潜んでいることを感じ取っている。
やばい。目の前の一匹だけならともかく、この数で襲われたらさすがに二人とも無事では済まない。森の中にいる飢えた野犬の群れは、ゴブリンより遥かに脅威だった。走って逃げたとしても奴らの足の方がずっと速い。
だが目の前のリーダーを始末すれば、何とかワンチャンあるかもしれない。
腰にしがみついているアレスが、震えているのがアタシに伝わってきた。
この子を守らなきゃ!
今まで感じたことのない、アタシらしくない感情が沸き起こって、それがアタシに勇気と力を与えてくれる。
アタシは覚悟を決めて魔法の短剣を構えなおした。そのとき……
(スキルを使いなさい。目の前に居る犬共に意識を向けて【
「!」
突然、脳内に聞こえてきた声にアタシは素直に従うことにした。目の前に居る犬や、その背後にいるはずの犬たちに意識を向けてアタシはスキル名を叫ぶ。
「スキル【
言葉の途中からアタシのものとは違う巨大な力を持ったナニかの声が重なる。
ウォォォン!
狼の遠吠えに似た音と共に、空気の衝撃波が周囲に広がっていった。
「くぅぅぅぅん」
次の瞬間には、目の前にいる犬が伏せをして尻尾をパタパタと振っていた。
これは……かわいいな。
(これで犬共はお前の命令に従うはず。何でもというわけにはいかないけど、ここから人のいる場所までの案内くらいなら大丈夫だろう)
「そ、そうなの?」
「?」
アレスがアタシの独り言に首をちょこんと傾げる。アレス……可愛いなこの生き物。それとアレスの震えはもう止まっていた。
「じゃ、じゃぁ、イッヌ。アタシたちを人間が歩く道まで案内してくれない?」
「ワンッ」
イッヌはひと吠えすると、付いて来いとばかりに森の中を進んで行った。それから半刻もしないうちに人の通う街道にたどり着くことができた。
「(ほら、ちゃんと道案内できたでしょ? 褒めて褒めて)」
と尻尾を振るイッヌに持っている干し肉を全部与え、アタシはイッヌを森の中へ返した。川の音が聞こえているし、食べ物は何とかできるだろう。
イッヌは何度もアタシたちの方を振り返りながら、森の奥へと消えていった。
――――――
―――
―
「つ、冷たいぃ!」
「我慢しろ! 男の子でしょ!」
アタシはアレスを素っ裸にひん剥いて川の中で身体を洗ってる。もちろんアタシも素っ裸だ。
「は、恥ずかしいよ……」
「うっさい! まだ毛も生えてないくせに、色気づいてるんじゃないわよ!」
アレスはアタシの裸を見ないように背を向け、川の中に身体を沈める。おっ、いっちょ前に女の身体に反応してるのか?
「何? アタシのおっぱい見て興奮しちゃった? おチンチン立った? 立っちゃったの? ふひっ」
「ち、違うよ! こっち来ないで!」
「わかった、わかったから、ちゃんと自分で身体を洗いなよ」
そういえば弟もこんな感じで、突然アタシとお風呂に入らなくなったっけ……微妙なお年頃なんだろう。……ってアタシには弟がいたんだっけ? ハッキリと思い出せない。
アタシは自分の身体を見つめる。冒険者になってからはしっかりと食べてるし、今じゃそれなりに良い身体をしてると思う。娼館でもそれなりに人気があったのは単に安いからってわけじゃなかった……はずだ。
ただアタシの身体のあちこちには多くの傷跡が残ってる。顔にも大きな傷がある。もしかしたら、アレスがアタシを見ないように背を向けたのは、これを見たくなかっただけなのかもしれない。
そう思うと、アタシはちょっと凹んだ。
……けど。
水から上がってくるときに、アレスが腰を屈めて一生懸命に前を隠そうとしているのを見て、アタシは俄然自信を取り戻した。
「ふひっ、立っちゃった? 」
「ち、違うからっ!」
(あまりアレスヴェルさまで遊ぶんじゃない! この変態女!)
また脳内に聞き覚えのある声が響いた。
――――――
―――
―
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます