第3話 アタシだって耳元で囁かれたら弱いに決まってるだろ!

 ゴブリンたちを倒したとはいえ、いつまでもここに長居するのは危険だ。それに最も近い村でも半日は山道を歩かなきゃならない。


 途中で魔物や山賊に出くわす可能性があるし、弱った女二人では普通の旅人や行商人だって警戒しなければならない。


 でもアタシの専門職は盗賊だし、山賊と長く生活していた。だから想定されるほとんどの危険を避けて進むことができる。


 アタシ一人だったら。


 もし女神官を一緒に連れていったとしても、こんな状態じゃいつ死体になっていてもおかしくない。むしろそうなる可能性の方が高い。


(置いていくか……)


 そんなことを考えながら女神官の顔を見たとき、ふと彼女と目が合ってしまった。アタシには分かってしまった。その音なく震える唇からどんな言葉が発せられているのか。


(チッ……)


 アタシは残された略奪品にあったテントの布を裂いて自分の体に巻く。それから食料と水を探してかき集める。その間、アタシはずっと彼女の視線が身体に刺さるのを感じていた。


(チッ……)


 残ったテントの布を敷きその上に彼女を載せ、顔だけ残して布で彼女を包み込む。頭と足先部分を縛れば雑な寝袋のようなものの完成だ。


 寝袋の隙間から食料と掻き切ったゴブリンたちの耳を押し込む。自分の身体には短剣と水筒を紐で吊り下げた。


 彼女の顔を見ると目を思いっきり見開いてアタシの方を見ていた。まぁゴブリンの耳と一緒に詰め込まれたらそんな顔にもなるだろうな。だが文句なんて言えないだろうし、言ったとしても聞かない。


 アタシは寝袋の頭側に今は亡きリーダーの剣帯を通して肩に掛け、寝袋に入った女神官を引きずって山道を歩み始めた。


 このペースじゃ、もし敵と遭遇しなかったとしても手近な村まで三日は掛かるだろう。命の危機が去ったとはまだ全然思えない。


 畜生。


――――――

―――


「……くだ……さ……」


 日がやや陰り始めてきた。山の夜は早い。急いで寝場所を確保しないと今の格好では凍えて死にかねない。火を起こすのは成るべくなら避けたい。


 近づいてくるのが獣や魔物相手であれば先程のスキルを使えば逃げ去っていくだろうけど、人間が相手の場合、スキルの効果が切れたら対策した上でまた襲ってくるかもしれない。


「お……て……ださ……」


 寝袋の中から声がしていることに気が付いた。女神官の顔を覗いてみると、先刻よりは顔に血の気が戻っていた。


「女神官さん、おはようさん……ってもうすぐ夜だけど」

「助けていただいてありがとうございます。本当に……本当に……」


 そのまま彼女は嗚咽を漏らして泣き始めた。アタシは泣き止むまで待つ間、寝床を確保できる場所がないか周囲に注意を払っていた。


 少し進んだ先で、大木が岩に倒れ込んでいるのが見える。あの隙間に入って草で覆えば身を隠して休むことができそうだ。


「今日はあの木の下で休もう。もし動けるなら【祝福の輪】を描いて欲しいんだけど。神官さまの方が効果ありそうだし……」

「はい。頑張ります」


 【祝福の輪】は全ての冒険者が必ず身に着ける初級スキルだ。女神ラヴェンナの祝詞を唱えながら円を描くことで、その内にいるものを不浄なものから身を隠す効果がある。


 女神官は自分で寝袋から抜け出し、大木まで歩いて【祝福の輪】を描く。その間にアタシは周辺から草や枝をかき集めて寝場所を隠すように積んでいった。


「食事をしたら今日はもう休もう。色々あり過ぎて疲れた……」

「そうですね。ほんと、色々あり過ぎました」


 食事を済ませた後、アタシたちはテントを寝袋の中で裸のまま抱き合って眠った。


 前世のアタシだったらこの百合イベントに大興奮していたのだろうけど、アタシも女神官も生きるために必死でそれどころじゃなかったので、特に何もなかったよ。


 ……深夜まではね。


――――――

―――


 真夜中。耳元で囁く女神官の声でアタシは目が覚めた。


「慈愛の顕現たる女神ラヴェンナを守りし聖樹の御力がこの者に宿り、魔を払い、死を遠避け、大地の恵みを得、命の葉を広げん……」


 アタシはそれを前に聞いたことがある。これは聖樹教会の秘儀である治癒の祝詞だ。女神官が祝詞を繰り返す度、アタシの身体が温まって体力が回復していくのが分かる。


「ありがとう」


 女神官の耳元でそう囁くと、彼女は頬を染めながら軽く頷き、そのまま祝詞を続ける。身体の痛みや疲れが取れて行くのはとても有難かった。


 有難かったのだが、同時に……その……なんだ……ムラッっていうか……ムラムラ? そうムラムラが段々抑えきれなくなってきた。


 戦闘の後に発情するってのは良く見聞きするし、自分にも体験がある。あるので分かる、今アタシは発情してる。


「んっ!?」


 情動を抑えきれずアタシは女神官の唇を貪った。女神官はそれ以上の激しさでアタシに舌を絡ませてくる。それからはどちらも理性が吹き飛んで――


 アタシたちはいつの間にか泥のように眠り込んで、目が覚めたのは日が真上に昇っている頃だった。


――――――

―――


 そこから先はとんとん拍子で物事が進んでいった。山道を進んでいくと古い時代の街道跡に出ることができた。


 アタシたちがその道を進んでいると、女剣士一人で御している荷馬車が通り掛かったのだ。


 銀髪に毛先を黄と赤のツートンカラーに染めた異国の剣士は、アタシたちの状況をすぐに把握して荷馬車に載せてくれた。


「それは大変な目に会われましたね」


 彼女はアタシたちに服と食事、新しい武器を与えてくれただけでなく、アタシたちがクエストを受注した街まで送ってくれた。


 ギルドで報酬を受け取った後、女神官を街にある聖樹教会に送り届け、銀髪の女剣士に精一杯の謝礼を手渡して何度も何度もお礼を言ってから別れた。


 銀髪の彼女は、最初お礼を受け取ることを拒んでいたけれど、服と武器はそのままアタシが貰うということで妥協して今回の報酬の半分である銀貨20枚を受け取ってくれた。


 ちなみにこの時貰った短剣は、後日鑑定で金貨50枚相当になる魔力剣であることが判明する。


 なんてことだ……さすがにこれは返さないと、恩人に不義理するわけにはいかない。宿屋のベッドに身を横たえて、これからどうするかつらつらと思いを巡らす。


 しばらく考えて、とりあえずアタシは銀髪の女剣士が向かったのと同じ方向へ旅立つことにした。彼女が向かったのはボルヤーグ連合王国。


 アタシはそこへ行ってみたい。何故なら、荷馬車が街に着くまでの間、彼女との会話の中でアタシの心を釘付けにする言葉が出てきたからだ――


「ボルヤーグ連合王国ではシンゲン宣言以降、奴隷はとても大事にされているんですよ」


 銀髪の女剣士がどうにも耳に引っ掛かる単語を口にした。


「あっ、シンゲン宣言はカナン王国でも知られていますよ。貴族の間では積極的に取り入れようという動きもあるみたいです」


 女神官が答える。


「ふーん。シンゲンセンゲンってどんなの?」


 アタシはシンゲンという言葉になんとなく引っ掛かりつつ、その内容を銀髪の女剣士に尋ねる。


「『奴隷は城、奴隷は石垣、奴隷は堀、情けは味方、仇は敵なり』。奴隷を酷使して使い潰すのではなく、大切に扱って忠誠心を集めることで国力を底上げしようという、ボルヤーグ連合王国のウルス王が提唱した新しい考え方ですね」


「武田信玄じゃん!」

「ですね」

「はわっ!? タケ・タシングェン? なんですかそれ!?」


――そう……間違いなくアタシと同じ転生者がボルヤーグに居るはずだ。たぶん、これを聞いた時点でアタシの決心は固まっていたのだろう。


 アタシはボルヤーグ連合王国を目指す!


 ……それにしても何か引っかかるような……そう言えばあの銀髪の女剣士「ですね」って言ってなかった?


 言ってたっけ?


 言ってたような……


 言ってたかも?



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