屢述 -続 悪趣味-

るつぺる

再会

「あれ? 守屋さん? うわあ、お久しぶりです。驚きましたよ。こんなところで奇遇だなぁ」

 突然話しかけてきたその人のことを私は知らない。笑顔が感じのいい人ではあった。でも隣にいた守屋くんの様子はいつもと違っていて「ここで少し待ってて。すぐ戻るから」と言うとその人とどこかへ行ってしまった。仕方がないので私は退屈しのぎに近くにあった本屋に入った。そこの本屋で待ってる、というメッセージは全然既読にならなかった。しばらくして戻ってきた守屋くんは少し疲れた顔つきで、私が「大丈夫?」って尋ねたら無理して笑ってた。私はさっきの人のことが気になって守屋くんに誰って聞いたけど、昔の知り合いとしか教えてくれなくて、名前も教えてくれないのは流石に不自然な感じがした。


 守屋くんと出会ったのは勤め先の工場で、彼は現場作業員として働いていて、私が後から事務として採用された。はじめはそんなに関わりもなくて、挨拶程度に言葉を交わすだけだった。ある日私がミスして発注数量を大幅に間違えてしまった時のことだ。気づいた時には先方も発送済みで取り返しがきかず、専務は私を叱るというより焦っており、私自身は申し訳なさの中でどうすることも出来ず立ち尽くしてしまった。そんな時、守屋くんが手を挙げて、前々から考えていたことがあると専務に提案した。守屋くんの案はコストぎりぎりの採算しか取れず失敗すれば赤字は必至だったものの、その場で思いつく限りの最良案とされてその日から新プロジェクトとして立ち上がった。最初は上手く行かず、私もこれが終わればクビになることは決まっていた。それがある時、どこからか現れた企業が協賛してくれることとなり、守屋くんの提案は軌道に乗った。それだけじゃない。彼はこの成功を盾に私を解雇しないよう経営陣に直訴してくれたのだ。私は聞いた。どうしてそこまでしてくれるんですか。彼は「僕も前に進みたかった。形はどうあれ花崎さんがキッカケを作ってくれた。だから感謝してる」と答えた。私は涙が止まらなかった。彼は少し焦って笑った。


 携帯が鳴った。彼はお風呂に入っている。画面には「伊勢さん」と映っていた。知らない名前だ。私の中で何かが繋がった。出ちゃダメと思った。少なくとも彼に聞いてから。伊勢さんって誰? でも止められなかった。私はあえて言葉を出さず、相手のそれを待った。あの時の声だ。


「もしもし? 守屋さん? 番号消されちゃったかな。伊勢です。もしもし?」

 私は違いますと答えようかとも思った。けれどこの伊勢という男のことが気になって仕方なかった。

「守屋さんは今お風呂にいってて」

「あー、もしかしてこの前一緒にいらっしゃった可愛い彼女さんですか。すみません。タイミング悪くて。またかけ直すとお伝えください」

「あの!」

「どうしました?」

「えっと、守屋さんとはその」

「僕が何者か、ですか?」

「えっと、ていうか」

「いいですよ。気を遣わなくて。以前お仕事でご一緒させていただいた仲です。あ、そうだ。えっと」

「花崎です」

「花崎さん、よかったら今度お茶でもしませんか? もちろん守屋さんも同席でかまいません。あなたと守屋さんさえ良ければですが」

 私は伊勢との電話を終えて番号をメモしてから着信履歴から削除した。何食わぬ顔で守屋くんと一緒に夕飯を食べる。彼を何度も心の中で問い詰めた。でも実際にはその勇気が出ない。職場でもなんだか余所余所しい感じになってしまって、私は一体何をやっているんだろうと、日に日にあの時の伊勢との遣り取りが罪悪感として募った。


「お待ちしてました。ってあれ? お一人ですか?」

 私は守屋くんに黙って伊勢と会うことにした。伊勢にもそのことは伝えていない。彼は一瞬驚いたように見せて悟ったように笑顔に変わった。

「参ったなあ。そんなわけないじゃないですか。僕はヤクザじゃないし、彼にも借金なんてないですよ。たぶんね」

「すみません! その、聞き方が悪くて」

「好きなんですね。守屋さんのこと」

 頬の辺りが熱くなる。

「彼は幸せ者ですね。羨ましい限りだ」

「でも伊勢さんもえっと、素敵な方だしおモテになりそうで」

「本当にそう思います?」

 一瞬寒気を感じた。何気ない会話。あり得る返答。他愛なさでやり過ごせる場面なのに。伊勢の綺麗な瞳の奥から威圧みたいなものを感じた。言葉そのものの意味じゃなくて、もっと本質的な、それが何かはわからないけれど、その何かを私に問うように。

「あまり長居すると守屋さんご心配なさるんじゃないですか?」

「大丈夫です。彼には実家でゆっくりして帰るって伝えているので」

「そうですか。じゃあ場所を変えましょうか。ここから近いので。僕がヤクザじゃないと誤解も解いておきたいなって」

 思い過ごしであれこれ不安に感じていた自分が恥ずかしかった。一度警戒が緩んでしまうと伊勢という人物は冗談抜きでいい人のように見える。考えてもみれば守屋くんみたいな優しい人に似た友達がひとりふたりいてもおかしくなんかない。伊勢は電車の中で、私と守屋くんの馴れ初めを聴きながら優しく笑っていた。彼の仕事場だというところに着いて案内された場所には水色の小さな車が停められていて、中に入ると沢山の靴が並んでいた。

「すごい。伊勢さんって靴の職人さんだったんですね」

 伊勢は可笑しそうに笑った。

「あ、ごめんなさい! さっきは、その疑っちゃって」

「違うんですよ。いえね、彼も初めてここに来たとき花崎さんと同じことを仰ってたから。お似合いだなぁ」

 私は少し嬉しくなった。それから彼の仕事についていろいろ話を聞いた。私の中で伊勢の印象はすっかり変わっていた。

「これってもしかして」

「流石。ご名答です」

 差高が限りなく少なめに作られた靴。差高とは靴全体でいう踵と親指小指の付け根辺りとの高低差のことで、これが少ないものは義足との相性が良い。わりと専門的な知識ではあるけれど私はこのことをよく知っていた。なにせ私や守屋くんが勤めている職場が義足や義手を取り扱うメーカーだからだ。

「ご存知だったんですか?」

「あー、知り合いに聞いたというか。で、以前守屋さんとお会いした時に直接お伺いしました。なるほどそういう道に進まれたんだなと」

「なるほど、ですか?」

「実は僕もなんですが」

 伊勢は左脚の裾をめくり上げた。義足だった。全然気が付かなかった。歩いている素振りはまるで健常者のそれだったから。

「まあ、成り行きというか。それも自分で試す用に作ってみたんです。中々今までとは勝手も違って大変なんですけどね」

「ごめんなさい」

 伊勢は何も答えなかった。

「知らなかったとはいえ、その失礼なことを言ってしまって」

「謝らないで。この脚のことは自業自得みたいなものだし、花崎さんの考えてるようなことと結びつけないでほしい」

 それまでの彼の言葉と違って、語気が強まった感じがあった。私は咄嗟に一礼してその場を後にしてしまう。私は馬鹿だ。せっかく歩み寄ってくれた伊勢に対して向き合えなかった。守屋くんのことも信じれず、興味本位で伊勢に近づいて彼が開いてくれようとしたことに目を背けて。私は悪趣味な女だ。


「どこ行ってたの」

 自宅に着くなり守屋くんが聞いてくる。

「実家だよ」

「お母さんに聞いた。来てないって」

「……」

「正直に話して」

「伊勢さんと会ってた」

 明らかに守屋くんの態度は変わった。

「なんで! どうして君が伊勢と会うんだ! なんで! どうして」

「だって何も教えてくれないから! ごめん、黙ってたのはほんとにごめん」

「もういい。僕が出てくよ。仕事場でも声かけないでくれるかな。明日中には荷物まとめる」

「待ってよ! ほんとにごめんなさい! 許してなんて言える立場じゃないけど、でも誤解だってわかったからこれからはちゃんと」

「誤解? ちゃんと? そっか、なるほど。あの時アイツが言ってたことようやくわかった気がする」

「なんのこと?」

「前に進みたかった。やり直したかった。終わってないと自分に証明してやりたかった。でも無理だった。僕は何も変わっちゃいない。君のこともだしにした。ごめん。やっぱり今すぐ出てく。その辺のもの悪いけど捨ててくれて構わないから」

「待って!」

 守屋くんは翌日から職場にも顔を出さなくなった。当然連絡は取れずどこにいるかもわからない。なんでこんなことになっちゃったんだろう。それが守屋くんに聞けない以上、私の中で頼みの綱は彼だけだった。


「もしもし、花崎さん?」

「先日はすみませんでした」

「いえいえ、お気になさらず」

「あれからあなたと会ってたことが守屋くんにバレちゃって、彼が出て行ってしまいました」

「……そうですか」

「教えてください! あなたと守屋くんに昔何があったんですか!」

「……教えて差し上げてもいいですが、後悔しませんか? 引き返せなくなるかもしれませんよ」

「……私は」

「花崎さん、目的化された悪趣味なんて、なんの意味もないですよ」

 私はそれでも知りたかった。どんなにショックを受けても守屋くんを許し、そして許されたかった。そうするには伊勢の話を聞かなければならなかった。私は気付けば伊勢の工房に向かっていた。案内したい場所があるという。守屋くんもいるのだろうか。なんだっていい。私は全部知りたかった。

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