2人きりだとやはり気まずい

「じゃあ2人がこっちに引っ越してくるってことですか?」


 母さんの機転(?)でどうにか緊張感はほぐれ、俺は恭介さんと普通に会話が出来るぐらいにまで落ち着いていた。

 まあ、俺の場合人見知りとかはないし、あのやらかしさえなければ望月さんとも普通に話せていたと思うけど。


「うん。僕たちが住んでいるのはマンションなんだけどね。明莉さんと優希人君が引っ越してくるには手狭でね。だったらうちにって明莉さんが言ってくれて」


「ああ、なるほど。引っ越しはいつから?」


 それとなく望月さんにも話題を振りつつ、様子を確認する。

 

「えっと、まだ詳しいことは決まってない……よね? お父さん」


 よかった。まだ緊張してるようだけど、さっきよりは大丈夫そうだ。

 話題はともかく、母さんには一応感謝しておこう。


「そうだね。そのことは途中で話を止めてたんだけど、帰ったらすぐに引っ越しの手続きと準備を進めるつもりだよ」


「そうなんですか。え、えっと……いのり、さんの学校はどうなるんですか? こっちの学校に転入してくるってことになるんですよね」


 名前を呼ぶのに多大な抵抗を感じながら、望月さんの転入先について問う。

 

「とりあえず、優希人と同じ学校になるわ。そっちの方が色々と安心だって恭介さんが」


「こっちに知り合いも友達もいないし、いのりにとって優希人君が近くにいてくれた方が僕的にも安心だからね」

 

 すみません。娘さん的には安心じゃないのでは? 振った男と1つ屋根の下ですよ? 振られたとはいえ、娘さんに好意を持った男ですよ? 将来あなたが娘はやらんと言うかも知れない男の中の1人ですよ?

 

「ま、まあ……誰も知っている人がいない場所にたった1人で行くのは本人的にも保護者的にも不安ですもんね……は、はは……」

 

 そんなことを言えるはずもないので、俺は分かります、よーく分かりますという雰囲気を出しながら愛想笑い。

 とんだ道化である。


「あ、再婚ってことは俺の名字ってどうなるんだ?」


 これ以上この話題を続けるとボロが出るかもしれないし、精神的によろしくないので、俺は自ら話題を変えた。


「そのことなんだけど、優希人はどうしたい?」


「……俺、は……」


 喋ろうとして、考えをまとめるために口を噤んだ。

 俺は、どうしたい? 

 数秒間、頭の中で考えをめぐらせて、母さんと恭介さんの顔を見た。


「俺は、出来れば名字を変えたくない」


「どうして?」


「こういう言い方をするのはおかしいと思うんだけど――この名字は……俺にとって形見、みたいなもんだから」


 俺の実の父親は、俺が5歳の時に亡くなっている。

 幼い頃のことであまり鮮明に思い出せない記憶と、俺の名前の上半分。

 それが俺にとっての父さんとの繋がりで、名字が変わって、ただでさえ薄いその繋がりが薄れてしまうのは、嫌だって思った。


 母さんと恭介さんの表情を見ながら、俺は言葉を紡ぐ。


「でも、母さんが変えたいって言うなら俺はそれでいい。せっかく再婚して、家族になったんだから、同じ家に住むっていうのに名字が別々っていうのもなんかあれだしさ」


「……うん、よく分かったわ」


 俺の考えを聞いて、どう思ったのかは分からないが、母さんは満足そうに微笑みながら頷いた。

 

「それで、どうなるんでしょうか?」


「うーん、そうだね……優希人君の考えを尊重する意見として、僕たちが名字を変えるっていうのはどうかな?」


 恭介さんたちが名字を変える? それって、つまり……。

 

「早瀬家に婿入りするってことですか?」


 尋ねると、恭介さんは温かみのある笑みとともに頷いた。

 

「自分で言っておいてなんなんですけど、本当にそれでいいんでしょうか?」


「実はね、このことについては元々明莉さんと話して、こうしようって決めてたんだ」


「おいこら言えよ。さっきまでの問答全部無駄じゃねえか」


 隣に座って何事もないような顔をしている母親を、額に青筋を浮かべながら睨む。

 

「まあまあ。そんな顔してるとただでさえモテないのにもっとモテなくなるわよ? 落ち着きなさい」


「俺をこの顔にしてる張本人に言われるのだけは心の底から釈然としねえ! ちょっとセンチメンタル気味に語って恥かいた俺に謝れ!」


「あら、どうして恥をかいたなんて決めつけるの? ねえ、恭介さん」


「明莉さんの言う通りだよ。僕はすごくいいって思ったし。いのりはどうだい?」


 恭介さんが望月さんを見る。

 そう言えば、名字の話をし始めてから、母さんと恭介さんの顔ばかり見て、望月さんの方まで意識がいっていなかった。


 恐る恐る、視線を恭介さんの横にスライドさせると――。


「――すっごく素敵だと思った……!」


 頬を僅かに上気させ、瞳には感動の色を宿した望月さんが、真っ直ぐに俺を見ていた。


「そういう考え方、私、好き」


「うぉぁ」


 俺の理性を溶かすのに、十分な威力の笑顔を向けられて、思わず変な声が出た。

 危ない。もし、今変な声が出なかったら、勢いで俺も好きとか叫んじゃうところだった。

 

「そ、それは……ど、どうも……」

 

 どうもじゃねえよ。

 余計なことは勢いで言えるくせに、こういう時に限って気の利いた一言が出てこないのなんなん? 前世からやり直せやこんちくしょうが。


「はいはい。話もまとまったところで、私と恭介さんは今から市役所に行ってくるから。あとは若い2人で親睦でも深めておいて」


「そうだね。いのりも緊張するだろうけど、しっかり打ち解けるんだよ?」


「「……っ!?」」


 2人きりにさせされると聞いて、さっきまで忘れていた、というよりは薄れていた気まずさが戻ってきた。

 俺と望月さんは2人揃って肩を跳ねさせる。


「それじゃあ、行ってくるわね」


「優希人君、いのりのことよろしくね」


「ちょっ、まっ!?」


 俺の必死の制止も意味を成さず、母さんと恭介さんは肩を並べて、仲睦まじい様子で行ってしまった。

 リビングに残された俺たち2人の間に、沈黙が訪れる。

 

 ……ど、どうしよう。


「……」


「……」

 

 沈黙で耳が痛い。

 外から聞こえる車の音がやたらと大きく思える。

 まさか、外から聞こえてくる車のエンジン音が癒やしに感じる日がくるとは。


「「っ……」」


 盗み見ると、目が合ってしまって、まるでさっきのリピートみたいに逸らされた。

 泣きたい。


 この状況、どう考えても俺のせいだよなぁ……よし。

 決意を固め、息を大きく吸って、


「ごめんッ!!!」


 立ち上がり、開口一番、謝罪の言葉を渾身の土下座で頭と一緒に床に叩き付けた。

 

「ええっ!? 急にどうしたの!? というかすっごい音したけど頭痛くないの!?」


 ガタンッという音が聞こえてきた。

 下を向いているせいで見えないが、多分望月さんが驚いて立ち上がった音だ。


「むしろこんな頭なんて床ごとかち割れてしまえばいいという思いで叩き付けましたァ!」


「どういうこと!? 今の一瞬でなにがそこまであなたを駆り立てたの!?」


 頭を床に付けたままの状態で、頭上から聞こえてくる望月さんの声を受け止め、顔を勢いよく上げた。


「ここまでお互いに気まずくなってるの、さっきの俺の告白のせいだよな! ほんとにごめん!」


「う、ううん! 確かに急なことで驚いちゃったけど、緊張して上手く話せなくて気を遣わせてるのは私の人見知りのせいだから……」


「いいや、俺のせいだ!」


 言葉を遮って、もう1度頭を叩き付けた。

 

「うん、分かった。その謝罪を受け取ります」


「……ありがとう。ほんと、ごめんな」


「えっと、次は私が謝罪をする番」


「え? いや、悪いのは全面的に俺で……」


「いいから。あのね、さっきの返事のことなんだけど……別にあなた……早瀬くんのことが嫌いで断ったんじゃないんだよ?」


「そ、そうなのか?」


「私も突然言われて、頭が真っ白になってね? 初対面の知らない人から告白されちゃって焦っちゃって咄嗟に言っちゃっただけなの。咄嗟のことだったとはいえ、傷付けてごめんなさい」


 なにこの子、いい子すぎん?

 天使か? 天の使いと書いて天使か?

 

「初対面の知らない人から告白されたからってだけで、嫌いだとかでそういうので断ったわけじゃないっていうのは、分かってほしい」


「お、おう。よく分かった」


 よ、よかった。顔が好みじゃないからみたいな理由で断られてたらすぐさま生命活動を停止させないといけないところだった。

 

「だから、このことはお互い水に流して、改めてよろしくってことでどうかな?」


「も、もちろん! 俺の方こそよろしく頼む」


「うん! よろしく!」


 お互いに頭を下げ合って、相好を崩した。

 その笑顔、国宝級。


「でも、望月さんって人見知りって言うわりに、結構喋れてるよな」


「それは早瀬くんが話しやすいからだよ。あと、驚きっぱなしで緊張がどっかいっちゃったみたい」


 なるほど。

 そう考えると、あの告白も俺が無駄に傷付いただけで無駄じゃなかったのかもしれない。

 告白してよかっ……よくねえよ。

 

「うーん……」


 脳内でバカな思考を繰り広げていると、望月さんが首を傾げて、なにかを考え始めた。

 考えている姿も可愛いとかもはや犯罪では? 


「どうした?」


「えっと……名字が同じになって家族になるんだし、きょうだいにもなるんだから、早瀬くんと望月さんじゃなんかあれかなって思って」


「っ……!」


 これは名前で呼び合うチャンス!?

 いやいや落ち着け……! ここでがっついたらキモがられるかもしれない! ここは冷静に名前呼びを提案するんだ、俺!


「じゃ、じゃじゃじゃじゃあ名前で呼び合うか!?」


 はい噛んだぁ!

 なにが冷静に、だ! 噛みすぎてスクラッチみたいになってんじゃねえか!

 

「そう、だね。やっぱりそれが1番いいんだけど……」


「い、嫌ならなにかあだ名でも付けるとか」


「あ、違うのっ! 嫌なわけじゃなくて! ただ……」


 望月さんはそこで一旦言葉を区切り、頬を少しだけ赤らめて、俺からふいっと目を逸らした。


「お父さん以外の男の人から名前で呼ばれるのって初めてで、恥ずかしい、から」


「そ、そそそうか」


「でも、人見知りもちゃんと克服したいし、名前で呼び合うの、お願いしてもいい?」


 ははは、俺の心臓ステイステーイ。これ以上鼓動早くされたら身体が持たないぞ?

 

 こっちの表情を上目遣いで伺うようにしている望月さんに、跳ね上がった鼓動のギアをどうにか押さえつける。


「り、了解。じゃ……じゃあ……いくぞ?」


「う、うん。どぞっ」


 ただ名前を呼び合うだけだというのに、これから果たし合いでもするのかという緊張感の中、俺たちは向き合う。


「…………――い、のり」


「は、はい……」


 ぐぉぁぁぁぁ!! はっず!? なにこれ、はっず!

 名前呼んだだけなのに、望月さ……いの、りが顔赤くさせるもんだから、なんかすげえ恥ずかしいことしてるんじゃないかって気分になる!


「そ、それじゃ、こ、今度は私、だね。優希人くん……!」


「ア゛ッ!!」


「ええ!? なんで!? 一体なにに吹き飛ばされたの!?」


「き、気にするな……! ちょっとあれがあれしただけだから……!」

 

 色々と我慢していたものが、名前を呼ばれたことにより臨界点を突破。

 その結果、俺は謎の衝撃を受け、バトルマンガよろしく吹っ飛ばされて壁に激突したというわけ。


 人体って不思議だね。


「もしかして呼び方が悪かったの……? 優希人くんがダメなら……ユキ、くんとかどうかな?」


「○△☆♪□♦︎!!」


「今なんて言ったの!? 本当に大丈夫!?」


「だ、大丈夫! ちょっと日本語の発音の仕方忘れただけだから!」


「発音の仕方を忘れるのは大丈夫じゃないような……」


「とにかく! 好きなように呼んでくれていいから!」

 

「えっと、じゃあ……ユキくんの方が親しみ持てると思うし、ユキくんで」


「あ、ああ」


「……やっぱりなんか、ムズムズするね。えへへ」


「……まあ、これから一緒に住むんだし、すぐに慣れるだろ」


「そうだといいんだけど……」


 どうにか話せるようにはなったけど、やっぱりまだぎこちなさは拭えないな。

 うーん、どうしたもんかな。


 ……あ、そうだ。


「ひとまず、家の中案内しようと思うんだが、どうだ? ほら、これから住む家だし母さんたちもすぐ帰って来ないだろうし」


「う、うん。そうだね」


 これなら、話題がなくても間が持つし、いのりが自分の人見知りのことを気に病むようなこともないはずだ。

 お互いに気にしないように、とは言ったものの、やっぱり俺もまだ罪悪感あるしな。


 まずは1階からだな。

 俺は早速案内をするためにいのりを連れて、リビングを出た。

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