050.謎の青年との出会い(母)

 アルシア国の王城


 薄絹うすぎぬのような朝霧あさぎりが漂う広大な庭園を、ピンク色の髪を肩まで伸ばした女性が散策している。

 着替えもせずにネグリジェのまま、光沢のあるベルベットのガウンだけを羽織り、ジョーロを片手に楽しそうに歩いている。


 「王女様。せめてお着替えだけでもしていただけませんか?メイド長に叱られますので……ふぁあ……」


 その後ろから付いてくるメイドの手は水が入ったバケツで塞がり、欠伸あくび噛みかみ殺すことに失敗した。

 年のころは15、6で、何処にでも居そうな普通の娘。

 既に王女と打ち解けているのか、随分と砕けた雰囲気だ。


 それもそのはずで、ここに居るのはマリア王女と間違われたままの、ルキフェルこと明星あきらの母、真理子である。

 王族でもなければ貴族でもない、ただの一般人。


 いや、ただの異世界人だ。


 「仕方がないじゃない、ラナ。自由になる時間が今しかないんだから」

 「それはそうですけれど、誤魔化すこっちの身にもなってくださいよ~」


 四六時中監視され、テーブルマナーからダンスまで、一から叩き込まれているのだ。

 憧れのお姫様ライフは、退屈で窮屈なだけの日々だった。


 そんな彼女の数少ない楽しみが、朝の散策と、ティータイムである。

 そして朝日が出たばかりの今だけは、管理職であるメイド長だけでなく、近衛騎士に昇格した護衛役のアルベルトも居ない。


 花弁に付いている朝露が、届いたばかりのオレンジ色の光を浴びてキラキラと輝く。


 「それにしても見事な庭園よね……ア~君に見せてあげたいな」


 王城の前に広がる広大な敷地には、乱れることなく手入れされた垣根が迷路のように張り巡らされ。

 淡いピンクの花ビラに覆われた大輪の花や、紫色の小さな花が集まった花房かぼう、そして白くて可愛らしベル状の花、それらがお行儀よく決められた場所で咲き誇っている。


 勿論、バラで出来たアーチや、色彩が豊かな花のトンネルまでが有る。

 これまで花より団子だった彼女も、元気のない花を見つけては水を上げるのが日課になっていた。


 しゃがんだ真理子が、一凛の赤い色に白い手を添える。


 彼女の息子は、とても花が好きだった。

 母の日にプレゼントしてくれたカーネーションを、息子は欠かさずに世話をし、次の年も花を咲かせてくれた。

 彼女に取っては満開のカーネーションよりも、息子が優しく育ってくれた事が何よりのプレゼントだった。


 そんな息子が小学生だった頃に、思いをせる


 *****


 同時刻、城へと続く石造りの橋を一人の青年が渡っている。


 ここアルシア国の城は、クアダル川の中州に建設され。

 川幅はとても広く、流れは緩やかだが深さもあり、防衛するにはうってつけの場所といえる。


 そして城門へと続くこの石造りの橋も、いざとなれば崩れるように出来ている。

 また橋脚と橋脚の間が優雅なアーチを描いていることも有り、大河に浮かぶ王城は観光スポットとしても人気が高い。


 ただその橋を渡る青年の爽やかな顔には、緊張の影が浮かんでいる。

 細身の体に水色の騎士服を着、腰には細い刃をしたレイピアを下げている。


 青年の名前はケイシー。

 この国に使える準騎士にして、裏稼業にも手を染めている。


 門番にとがめられることなく、城門を潜り目的地へと向かう。

 途中、彼は近道をする為に庭園を横切る事にした。


 朝日を浴びて朝靄が薄れゆく中。


 ピンク色の髪をした綺麗な女性が、花に水をあげているのが見える。


 (こんな時間に珍しいな……)


 彼は姿を見られないようにと、迂回する事にした。


 体の向きを変えたその時、彼の目の隅を黒い物体が横切った。


 「危ない!」


 それは反射的な行動だった。

 目にも留まらぬ速さで女性に駆け寄りざまに、腰のレイピアを抜き放ち、そのまま黒に黄色い縞縞がある物体を貫いた。


 「キャッ……ど、どうかしたの……」


 真理子は突然の鋭い警告に驚き、手からジョーロを落として固まっている。


 「いえ、大蜂ジャイアント・ビーに襲われそ……、こ、これはマリア王女様。大変失礼いたしました」


 ケイシーは10cmはある大きな蜂を串刺しにしたレイピアを後ろに隠すと、片膝を付き頭を下げた。


 「えっ、ああ~~、え~と、こちらこそ助けていただいたみたいで、とても感謝しています。あの~立って楽にしてください」


 今も真理子は、王女の振りをするのが苦手だった。

 それでも王女に意見出来る人間などは限られており、意外と何とかなっている。


 いつもと変わらぬ柔らかい笑みを浮かべて、青年に立つように促す。


 「はっ、そ、それでは失礼いたします……」


 一方のケイシーは膝が震えるのを隠して、何とか立ち上がった。

 騎士の中でも地位が低い準騎士が、王族と話をすることなどなく。

 顔を見る事さえ、躊躇ためらわれる。


 「まぁ、随分と大きな蜂ね」

 「はっ、大蜂は猛毒を持っていますので、庭師によって駆除されているはずですが、きっと何処からか紛れ込んだのでしょう」


 真理子はスズメバチよりも、遥かに巨大な蜂に興味深々である。


 ケイシーはレイピアを一振りすると、垣根の下へと大蜂を投げ捨て。

 急いでレイピアを鞘に収めた。


 王族の前で武器を抜いている所を見られると、何を言われるか分からないからだ。

 それに後ろめたい仕事をしている彼は、目立つことを好まない。


 「もしかして、私が刺されるところだったのかしら?何かお礼をしないと♪」


 ここの王族は家臣との関係がとても良好で、手柄を上げた者には褒美を渡す習慣がある。

 そこだけは真理子も共感していて、ことあるごとにメイド達にプレゼントを送っていたりする。

 と言っても、庶民的な彼女がプレゼントする物は、たかが知れているのだが。


 「いえ、家臣の務めですので。それでは……」


 ケイシーは頭をもう一度下げると、急ぎその場を離れた。

 後ろから呼び止めようと王女が手を伸ばしているが、気付かない振りをして立ち去る。


 彼は爽やかな顔立ちをしており、意外と女性にも人気があった。

 しかし面倒事は困るのだ。


 そして足早に、彼は目的地へと到着した。

 城の影となり、朝日を浴びることがない塔。


 青年を見た二人の門番が、槍を交差する。


 「準騎士ケイシーです。大魔法使いザービス様に呼ばれて来ました」


 背筋を伸ばし、少し高いよく通る声で告げる。


 「よし、通れ」


 疑わし気な視線を向けていた門番が、槍をどけて前を向く。


 彼は木の扉を半分だけ開いて中に入り、直ぐ閉めた。

 そのとたんに、湿った空気とカビの匂いが顔を包み込んだ。


 「はぁ~やだな……」


 ケイシーは溜息と共に呟くと、それでも螺旋階段を登った。

 この塔には、王に仕える魔法使いたちが生活している。


 普段は魔法の鍛錬や、研究に明け暮れているらしい。


 ただ秘密主義の彼らが、ここに人を呼ぶことは珍しく。

 この時間を指定して来たのも、何か事情があるのかもしれない。


 螺旋階段を登り、直ぐの部屋のドアをノックする。


 「入れ」


 しわがれた陰湿な声音。


 「失礼します」


 ケイシーはドアを開け、軽く会釈すると中に入った。

 後ろ手で直ぐにドアを閉める。


 素早く視線を動かして、つま先から相手を観察する。

 

 使い込まれた柔らかそうな黒い靴を、漆黒のローブが覆い。

 腰紐には蛇革だろうか?光沢のある革が使われ。

 左手には、これまた黒い骨で出来た杖を携えている。


 そして胸元には、光を吸い込むような黒い石が付いたペンダント。


 魔法使いと言えど、ここまで禍々しい格好をしている人物を彼は見たことがない。


 仕事柄、相手を注意深く観察する事が癖になっている。


 大抵の客は、後ろめたさを隠すために善人面をしているが、この老人は違った。

 深い皺が多く刻まれた顔は、如何にも狡賢いずるがしこい笑みを隠しもせずに浮かべている。


 (危険だ)


 ケイシーは勘にしたがい、退出しようとしたが体が動かない。

 相手は150cmにも満たない小柄な老人だというのに、深淵の如き目を向けられただけで、恐怖に体がすくんでいるのだ。

 これまでも金の為に、幾度となく危険な橋を渡って来たというのに、信じられない事だった。


 斡旋人あっせんにんから仕事の依頼を受けた時に、相手の素性は調べてある。


 色々な国を旅してまわっている大魔法使い、ザービス。

 なんでも極大魔法ヒュージ・マジックすら操るとか。

 王に気に入られ、客員魔法使いとして招かれ、この魔法の塔に滞在しているらしい。


 ただ、それ以上の情報は得られなかった。


 ケイシーの気持ちを知ってか知らずか、老人が勝手に話しを進める。


 「大型マンティコアが倒されたという噂の真偽を確かめろ。あと誰が討伐したのかもじゃ」

 「い、いくらもらえますか……」


 ケイシーには、断る事が出来なかった。

 であればと、報酬を確認する。


 裏社会に足を踏み入れた瞬間から、覚悟を決めている。

 勿論、安易に踏み入れた訳ではない。どうしても金が必要なのだ。


 ザービスがニヤリと笑った。

 きっと断れば……


 「金貨10枚やろう。それと彼奴あやつの希少部位を持ってくれば、追加報酬もやろうう。牙ならば金貨200じゃ」

 「金貨200……必ず……」


 準騎士をしていては、一生手に入れることが出来ない、まとまった金。


 「ヒィッヒィッヒ、楽しみにしとるよ」


 卑しい引き笑いに見送られ、彼は冷気の漂う部屋を出た。


 「はぁ~……これでようやく……」


 俯いたケイシーは右手を強く握ると、闇に沈む螺旋階段を降りていくのだった。

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