023.迫り来る影(母)

 夜の王城


 王女の帰還を祝った晩餐会ばんさんかいが終わり、マリアこと真理子は部屋に戻りくつろいでいた。

 豪華なソファーに座り、ぼんやりと外を眺めて。


 そこには王城というよりは、宮殿と呼ぶのがふさわしい豪奢な建物を囲むようにして、手入れの行き届いた庭園が広がっている。


 広大な敷地には石畳が整備され、その両側にある街灯には灯りが点り。

 色とりどりの花が咲き乱れる庭園を、オレンジ色の光で浮かび上がらせている。


 なんとも幻想的な景色。


 それだというのに、今の彼女は浮かない表情をし。

 窓から差し込む月光が、彼女の肌の白さをいっそう際立たせていた。


 真理子は初めこそ豪華なドレスに身を包み、華やかな会場の雰囲気に酔いしれていた。


 しかしいざ晩餐会が始まってみると、目の前に御馳走があるというのに。

 次から次へと来る貴族の対応が忙しくて、一口も食べることが出来なかった。

 しかも腰をコルセットで締め上げられ、大きく開いた胸元に男達の視線を感じていた。


 そして貴族特有のまどろっこしい、美辞麗句びじれいくなうわべだけの賛辞を聞かされ続け。

 真理子は楽しむどころか、身も心も疲れ果てていた。


 (はぁ~明星あきらは大丈夫かしら……)


 それに、そもそも彼女には晩餐会などに出席する意志などなく、人間違いなのだから直ぐに帰れると考えていた。


 それこそピュ~~ンとお城まで行き、観光をしてから、その日のうちに息子の下へ帰れると考えていたのだ。


 それだというのに実際には、城に行くだけでも数日を要し。

 さらに王様だけでなく王妃までが自分の事を王女と勘違いしてしまった。


 しかも、頼みの綱だった鑑定すら、させてもらえなかったのだ。


 誰も王様には、逆らえないという現実……


 あの唯一の理解者だった騎士アルベルトまでが、王の命令で彼女の事を見張る番犬と化し。

 今も部屋の隅に直立不動で立っている。


 「困ったな……」


 真理子も、息子の明星とこんなに離れるのは、修学旅行いらいの事だった。

 体が弱いあの子が一人でやって行けるか、心配でならないのだ。


 目に入れても痛くない息子の笑顔を思い浮かべるたびにため息が出てしまう。


 (はぁ~、唐揚げを作ってあげたいな……)


 唐揚げを頬張る息子の笑顔を思い出す。

 白い髪をした天使。


 そんな彼女に一人のメイドが近づき頭を下げる。


 「王女様。ドゥアルテ公爵家のハメルン様が面会を求めていますが、如何しましょう」

 「えっ、はい。どうぞ、お通してください」


 人を疑う事を知らない彼女は、入室を許可してしまった。

 優雅な彫刻が施された白いドアが、騎士服に身を包んだアルベルトによって開かれる。


 茶髪をオールバックに決め、細長い髭を生やした男が、ゆったりとした足取りで入って来た。

 公爵家とあり、王族にも負けない派手な服装をしている。


 見ず知らずの男性の来訪に、緊張して立ち上がった真理子の前で、男が優雅な動作で片方の膝を床に付き挨拶をする。


 「ご機嫌麗しゅうございます。マリア王女様。お目にかかれて恐悦至極に存じます」

 「いえ、こちらこそお会いできて光栄ですわ。え~と……」


 彼女は軽くスカートを持ち上げて挨拶するも、相手の名前を思い出すことが出来なかった。

 どうも、外国に来たみたいで覚えられない。


 「ハメルン=ドゥアルテでございます。王女様」


 気分を害することなく差し出された男の手に、彼女が白い手袋をした手を載せようとした時。


 「なりません、王女様。婚姻前の身で男性に触れられては……」


 素早く間に割って入ったアルベルトが、腰の剣に手を掛ける。


 (チッ、あと少しだというのに……)


 この男、ハメルン=ドゥアルテは、異世界から転移して来た日本人である。


 25歳にしてこの世界へと転移するまで、決まった職に就くことなく。

 それなりに恵まれた容姿を武器に、次から次へと女を誘惑しヒモ生活をしていた。


 それは転移した後も変わらず、それどころかこの世界の純潔概念が強い事を逆手に取り。

 遂には公爵家の長女を口説き落として成りあがって来た。


 しかも公爵家の長男を、自分の女を使って誘惑し駆け落ちまでさせている。

 と言っても、公爵家には他にも後継者となりうる男子が大勢居るわけで、計画は遅々として進まずイライラしていた。


 そこへ王女の帰還の知らせが届いたのだ。


 しかも、王が王女の結婚相手を探してるというではないか。

 そこで彼は、更なる高みを目指し、王女に接近したのだった。


 そして今、彼女の手の甲にキスをすれば勝ちだと、彼は考えていた。


 大抵の女性は、それで顔を赤くして心を開くからだ。

 後は甘い言葉と共に、少しずつスキンシップを増やしていき、最後には一緒のベッドの中に……


 それだというのに、目の前のどこの骨とも分からない騎士に邪魔をされたのだ。


 「無礼ではないか。私は公爵家の跡取りだぞ!」


 ハメルンも腰に豪華な金ピカの剣を帯びているが、抜いた事すらなかった。

 大抵の場合は、身分に物を言わせれば押し通せるからだ。


 「失礼ながら、私は王、直々の命により王女様をお守りしております。たとえ相手が公爵様であったとしても、引くわけにはまいりません」


 そして近衛騎士となったばかりのアルベルトも、必要以上に気合が入っていた。

 相手の目を見据えて、僅かに腰を落とす。


 「まぁ~……どうしましょう…………」


 二人の険悪なムードに、真理子はあたふたとするしかなかった。

 どうしてこうなってしまったのか、彼女には理解が出来ていない。


 そんな緊迫した様子を、楽しそうに眺めている一匹のキューピットが居る。

 広い部屋の中をフワフワと飛んでいるというのに、誰の目にも留まらず。


 『ヒッヒッヒ、丁度いいや。この二人をくっつけちゃえ♪』


 女神イーリスに真理子の護衛を命じられたというのに。

 キューピットは、女神をルキフェルに取られた腹いせをする事にした。


 しかも少年が大切に思っている母親を、悪い男とくっつけようというのだ。


 小さな弓に金の矢をつがえて。


 (えい!)


 ピューーー、プス


 「えっ」

 『えっ』


 近衛騎士アルベルトとキューピットが同時に驚きの声を上げた。

 何と真理子を狙ったはずの金の矢が、アルベルトの胸に刺さってしまっている。

 勿論、人間からは矢が見えない。


 それでも金の矢にハートを射抜かれたアルベルトは恋に落ちてしまった。

 一番傍に居る異性に……


 「えええっい!!さっさと下がらぬか!!!」


 激怒したハメルンが剣を抜いた、その瞬間。


 キッン


 目にも留まらぬ速さで、アルベルトの剣が抜き放たれ。

 気が付いた時には、ハメルンの剣が壁に刺さっていた。


 「ひぃーーーーーーー」


 腰を抜かしたキザ男が、這いつくばって部屋から逃げ出していく。


 「アルベルトさん……今のはちょっとやりすぎでは~?」

 「いえ。王女様には何人なんびとたりとも、指一本触れさせません。ん?そこ!」


 シュパ


 直感を頼りに、アルベルトが放った短剣が天井に突き刺さり。

 キューピットのお尻が真っ二つに……初めから割れている。


 『ひぃ~~~~、人間の分際で~~~』


 悪戯が失敗したキューピットも、お尻を押さえて逃げ出すのだった。


 しかしそれで諦めるようなハメルンでは無かった。

 チャンスが訪れるのを、王女の部屋の前で密かに待ち続けている。


 そこへ、メイド長がジュースの入ったグラスをトレーに乗せてやって来た。


 「あ~済まないがキミ、私にも酒を貰えないかな?」

 「えっ、はい。少々お待ちください」


 慌てて引っ返そうとするメイド長を、彼が呼び止める。


 「ちょっと待ちたまえ、これは私が持っておこう」

 「いえ、その様な事を……」


 さすがに上流貴族に荷物を持たせるわけにはいかず、断ろうとするメイド長からグラスだけを奪う。


 「いいから、いいから、早く酒を頼めないかね?」

 「あっ、はい。すぐに」


 しかし相手は公爵の御子息とあって、メイド長では逆らえなかった。

 そんな彼女の目を盗んで、男が懐から出した薬をジュースの中に入れる。


 そしてハメルンはメイド長からお酒を受け取ると、その場で酒を飲み始めた。

 勿論、薬入りのジュースを彼女に返してから。


 一方のメイド長のイルダは、男の行動を不審に思ったが、身分の差からとがめるわけにもいかず。

 そのまま王女の部屋に入って行くのだった。


 そして数分後。


 部屋から出てきたイルダと、ハメルンの目が合った。


 「まぁ~~ハメルン様~~~♡私の事を待っていてくださったのですね~~♪」


 前置きもなく、いきなりメイド長が男に抱き着いた。

 しかもキスしようと背伸びしている。


 本物のマリア王女は、寝る前に軽い夜食とジュースを取る事を習慣としていた。

 さすがに今日は晩餐会の後とあり、メイド長は飲み物だけを持って行ったのだが……


 現実世界から来た真理子は、寝る前にジュースを飲むと虫歯になると考え。

 しかもジュースが勿体ないからと、代わりにとメイド長に進めた。


 そしてハメルンがジュースに混ぜた強力な惚れ薬によって、メイド長は彼に惚れてしまったのだった。


 「くそーーー何ぜこうなるーーーーー」

 「ああーーー待ってくださいませ~~ハメルン様~~~~」


 結局、男は惚れ薬の効果が切れるまで、スカートをたくし上げたイルダに追いかけられ続けるのだった。


 もしも薬を入れたのが飲み物ではなく、食べ物であったのなら……

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