第3話
宮殿スタッフ用の大浴場に付随した脱衣場は、湯上がりに涼むスペースも兼ねている。天然水に果汁で香り付けした涼やかな飲み物まで樽ごと設置されているなど、なかなか細やかな配慮も行き届いているのだ。
ポムは、自分のグラスだけでなく、相談に訪れた娘のためにもグラスに飲み物を汲んで、植物の蔓で編まれたテーブルセットに腰掛けたのだった。
「さあ、まずは喉を潤して。それからお話を聴かせてくださいな」
宮仕えの若い娘は、ポムの優しげな言葉に素直に従った。
「わたし……好きな人がいるんです」
よしよし順調な滑り出しだ。恋愛こそポムの無双の得意分野である。相談の内容次第では、惚れ薬の処方だって吝かではないのだ♡
「その男の人は、わたしよりもずっとずっと年上で、先日奥さんに先立たれたので、そこは問題ありません」
おや、この娘の物言いには、何やら打算的な雑味があるような……
「そう、そこは問題無いんですけど、大問題なのは、彼の子供や孫たちです。このままでは、商才なんて微塵も無いあいつらが……
わたしのほうが絶対に、彼の遺産を有効活用できるに決まってるんです!」
はい、出ました、「遺産」というパワーワード。健在のラブラブな人物の財産のことを、普通そうは呼ばないだろう。
「ねえ、あなた、恋しい殿方のことを、のっけから亡き者にするおつもり?」
ポムは、いたって単刀直入に、あるいは極太の注射針をブスリと刺すように尋ねた。
「当たり前ですよ!わたしには商才はあるのに元手が無いんだから!あの爺さんの後添いになって……天にも昇るような夢見心地のまま、本当に天国に昇らせてやりますよ!」
「はい、アウト〜〜!!」
ポムは、ドーンと宣告しながら、娘に人差し指を突きつけた。
やれやれ、こんな女に加担するわけにはゆかない。ポムは恋愛至上主義者なのである。一方で所謂「後妻業」は、恋愛に擬態した犯罪に過ぎない。
そもそも何が商才だ。客をおだてたり、時にははったりを利かせたり、要は上手に嘘をつくことも商才のうちだろうに……それはまあ、自白剤など盛られていなければの話だが。
娘は、自分の口から本音ばかりがポンポンと飛び出すことにようやく気付いて、愕然としていた。この時代の人間は、自白剤なんてものの存在すら知るまい。だから自白剤の運用を規制する法律も存在しないし、ポムが娘の飲み物に幾許か混入したところで、どうでも良かろう。良いに決まっている。
「いざ、出ませい、我が友アレッサよ!説教部屋へと一名様ご案内ですわ〜!」
ポムは、パチンと指を鳴らして呼ばわった。
すると、二足歩行のサラマンダーが出現したのである。
いや、それは実のところ、アレッサという名の、この女湯の管理人で、れっきとした人間の女性にしてホヤホヤの新婚さんでもあるのだが……花婿も人間であるのだが、念のため……今は亡き火精霊が化けて出たのかというほどの熱い怒気を立ち昇らせているのだった。
その両眼から流れ落ちる滂沱の涙ですら、村の一つくらい呑み込んでしまいそうな溶岩流を思わせた。
「なんて性悪だ……」
アレッサは、ほとばしるサラマンダー感に当てられて「ぴえっ」と腰を抜かした娘の胸ぐらを、むんずと掴んだ。
「恋ってのはなあ、人間の心臓にズッキューン!と降臨するサラマンダーみたいなもんさ!そして結婚てのはなあ!恋した相手と、互いの心身に宿ったサラマンダーを、とっくりことことと取っ組み合わせる聖なる闘技なんだよ!!
それを……それを……」
「あの、アレッサさん、説教部屋までお送りするだけでいいんですのよ!」
ポムの声が、いささか上擦った。
宮殿スタッフの言動に問題があった場合、まずは通称「説教部屋」にて、上役から詮議を受けることになっている。後妻業志願のけしからん娘のことを、怪力を誇るアレッサに連行してもらいたいだけなのだが。
アレッサが吼え立てる結婚観は尊い……主に、希少価値が高いという意味において。
しかし、「女湯の守護獣、ときどき破壊魔」などという二つ名を戴く彼女が暴走してしまう事態は、巨大時震の次くらいに、是非とも回避したかった。
それは、ポムが意を決して、ドラゴンでも安眠できそうな注射薬を用意した瞬間だった。
爆発音にも似た大音響とともに扉が開いたかと思うと、一人の衛兵がバアアアンと外から駆け込んできたのだ。
「何があったというのだ、我が
はい!?だからって、槍を構えてここまで突っ走ってきたんですの?街道警備の仕事をほっぽり出して?いーわっ、とーといじゃない♡
ただし、ここはそもそも女湯なわけですけれど……
ポムの中には、言ってやりたいことが瞬時に山積した。それこそナダラ火山の威容にも匹敵するほどに。
しかしながら、アレッサは、「あんた!」と叫ぶや、悪い娘のことはポイ捨てして、夫である衛兵——グラムに、両手両足を総動員して抱きついたのだった。
彼女なりに正気を取り戻したらしかった。
おかげで、ポムは「ドラゴンもぐっすり」という薬を使わずにすんだし、後妻業志願のけしからん娘も命拾いした。娘は、あからさまにホッとした様子で連行されたのである。
ただし、グラム&アレッサは、娘を連行する前に、ポムと顔を合わせた際のお決まりの「儀式」を繰り広げることを忘れなかった。
「傷薬が欲しい」という名目で、夫婦揃ってぐいぐいと脱衣したのである。
「「ふんふん、ふふんっ、ふふふんぬっ♪」」と、荒い鼻息とも下手な鼻歌ともつかぬ何かをぴったりとハモらせながら、お互いの五体に宿ったサラマンダーによる爪痕や噛み痕を見せびらかしたのである……要はお惚気だ。
「あ〜ら、ご馳走さま。まだ新婚さんだというのに、まるで百戦錬磨の趣ですわね」
ポムがコロコロと笑い声を立てると、グラムは、真面目くさって指折り数えた。
「百戦!?いやあ、ポム先生、それでは既に桁が足りぬ気が……」
ちなみに、この稀有な新婚夫婦の存在は、既にある種の名物と化している。そして、二人の馴れ初め話は、「最強の恋文」というタイトルで、宮殿の内外において酒の肴として好んで語られているのだった。
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