第4話

 女湯を出た後、サイラスと落ち合う前、ポムは、宮殿内を一巡りしていた。

 彼女には、どうしても逢いたい人がいる。逢いたくとも未だ逢えなくて、なんだか恋焦がれているような気分なのだ。

 それは、パルシファル宮殿の秘密を握る人物だった。

 その秘密について聴き出すべく、ポムは、この宮殿を訪れては、アルドに倣って人助けに励んでいる今日この頃なのである。

 宮殿スタッフに「善良な薬師」だと勘違いしてもらい、人望を得て味方を増やしてゆけば、いつかはその人——宮殿のシェフ長とも面識を得て秘密を聴き出せるのではないかと期待しているのだ。

 ただし、既にラチェットにも彼の人への紹介を頼んではみたのだが、ラチェットですら、当代のシェフ長が誰なのかは知らないと言う。王族が毒殺されるリスクを低減するために、シェフ長の身元は在任中は秘匿されることが慣例となっているらしい。

 さらに、ラチェットからは、ポムが薬師であることがむしろ裏目に出ているのだとも指摘された。確かに、毒殺に適した能力を完備した職種ではあるのだが……

 ああ、ポムはただ、ウルトラ・ジャーキーのレシピを知りたいだけなのに。だから、死ぬほど毒性の強い薬物なんて盛るわけがないのだ、今回は。

 そのレシピは、パルシファル宮殿に勤務するシェフたちの中でも、シェフ長のみが知る秘伝であるらしい。

 とっくに実物をエルジオン医科大学へと持ち帰り、成分分析を行ったが、原材料の特定には至っていない。ただ、悔しいことに、ポムが開発して流通させているレッドキャップPよりも、ウルトラ・ジャーキーは覚醒作用において優れているのだと認めざるを得なかった。

 こうなったらもう、シェフ長から直接レシピを聴き出すしかないだろう。仮にこの時代に秘伝を守るべく特許制度が存在するとしても、その期限が二万年以上も後に切れていないだなんて有り得ない。ポムがエルジオンでウルトラ・ジャーキーを再現して売り出して、ガッポガッポと儲けて、尊い犠牲については金で解決しながら医学の発展にホップ、ステップ、暗躍したところで、問題なんて無かろう。無いに決まっている。なんて素晴らしき天啓にして天命だろう。


 ポムは、ふと足を止めた。宮殿の一室の閉ざされた扉の前に、綺麗な若草色の髪をした男児が佇んでいるのを見かけたからだ。

 その室内では、子供たちを対象とした魔法教室が開催されているはずだ。

 男児は、明るく綺麗な髪色とは対照的に、暗く澱んだ瞳で、魔法教室への扉を睨みつけているのだ。

「あらあなた、どうかしたんですの?」

 授業の開始に遅れて入室をためらっているんですの?

 ポムは、人助けのチャンスを予感しつつ、まずは軽い可能性から考えて声をかけたのだ。

 男児は、ギクリとして、魔法使いのような杖を携えた初対面の女性を見上げた。

「どうもしないよ!おいらは生活魔法すら使えないんだ。魔法教室なんて関係ないやい!」

「あら、あなたもなの?私も魔法は使えなくってよ」

 ポムは、身を屈めて、目の高さを男児と合わせた。今ここにはいないアルドを思い浮かべながらお手本にしたのだ。そして、笑い方は中世の美少女神官見習いを真似てみた。

「え!?お姉ちゃん、そんな杖を持ってるのに?」

 男児が驚くのも無理はない。この時代の人間は、歩くように、話すように、自ずと基本的な魔法を習得することが一般的なのである。

 しかし、ポムが生きる遥か未来の世界では、魔法が使える人間は珍獣のごとく稀有なのである。

「うふふ♡これはねぇ、杖じゃあないのよぉう♪」

 ポムは、男児を喜ばせようと、杖の偽装をひっぺがして注射器の本体を露出したのだった……


「いやあ、葡萄の酒も、真っ昼間に軽く嗜むぶんには良い!東方の茶屋で一服するようなものでござるな」

 サイラスは、くいっと空っぽにしたグラスを手に、ニタリと笑った。

 そして、昔は「カビ臭い」と嫌がっていたチーズをつまむ。

 ここは、パルシファル宮殿内の食堂である。

「おなごの風呂は長いなどと野暮なことは言わずに、のんびりと美味いものを飲み食いしながら待つのが一番でござろう」

「ちょっとサイラス、私と組んでたころには、よく言ってたじゃないのよ、その手の野暮を!」

 ラチェットは頬を膨らませる。ポムと似た濃い色の髪が、サイラスと同年代の理知的な容貌を縁取っていた。ただ、彼女もワイングラスを手にしており、決して本気で怒っているわけではない。

「ははは……拙者、おなごと友として付き合う作法は、ラチェットに怒られながら身につけたゆえ。葡萄酒やチーズとの付き合い方もでござるぞ」

 今となっては随分と昔のようにも感じられるが、ラチェットは、宮廷魔術師を目指していた当時、頻繁にサイラスと行動を共にしていた。彼女は実力を証明したがっていた。だからこそ、サイラスと共に魔物を退治したり、手配書に記された悪党を捕まえたりもしたのである。

 食堂の片隅に手配書が張り出されていることは、今も昔も変わらない。ただ、今や押しも押されもせぬ宮廷魔術師となったラチェットは、やれ魔物退治だの悪党捕縛だのなんだのと、昔ほど気軽に出かけるわけにはいかなくなってしまった。

 一方で、部下に適宜指示を出しておきさえすれば、何か事件でも起こらぬ限り、食堂で時を過ごしていても構わない身分となったのだ。

「ねえ、サイラス、あなたも男湯を使ってくれば良かったんじゃない?以前は泳ぎ回るほど気に入っていたんでしょう?この宮殿のお風呂のこと」

 少なくとも、ラチェットの長風呂にケチをつけていた当時はそうだった。一泳ぎする拙者よりも時間をかけて、一体何をやっているのでござるか?などと、面と向かって訊かれた覚えが彼女にはあるのだ。

「いやあ……それが……つい先日、湯煙の向こうから、『蛙の肉は淡白で悪くない。ワシは好きだぞ!』な〜んて声をかけられ申してな〜」

 それ以来、何やら恐ろしゅうて、宮殿の風呂に入る気はしなくなったでござるよと、サイラスは正直に白状したのだった。

 彼が声色や話しぶりを物真似したため、そんな物騒な声をかけたのが誰なのかは、ラチェットにも伝わったらしかった。

「あらあ……それは確かに……

 サイラスのことだから返り討ちにできるんでしょうけど、『湯煙&血煙ドワーフ半殺し事件——宮廷魔術師は見た!!——』だなんて、物語の中だけで充分よねえ」

 どうやら、物語である限りは、そういうのもいける口であるらしいラチェットだった。

 彼女は、暫し考え込んでから、わかりやすく話題を変えた。

「ねえ、サイラス。最近あなたが組んでるポムって子、結構ギラギラしてるわよね。必死になって宮廷魔術師を目指してたころの私みたい。まあ、この時代の魔術師と未来の薬師では、何もかもが同じというわけではないでしょうけど……」

 噂をすれば何とやら、そこへ、薬師本人が小走りに姿を見せた。

「お待たせしました、サイラスさん。こちらに、若草色の髪をした男の子がやって来ませんでしたか?

 あぁん、『カンチョー』と言えば、あの年頃の男の子を笑わせる鉄板のワードだと思っていたのにぃっ……」

 ポムは、身悶えしながら捲し立てる。

「……ちょっと、何言ってんのかわかんない」

 それは、ラチェットの口から出た言葉だったが、サイラスにしても全く同じ感想だった。

 ポムは、豊かな胸に手を当てて呼吸を整えてから、改めて説明した。

 魔法教室が開催されている一室の前で、若草色の髪の男児を見かけたことを。その子は、基本的な生活魔法も使えないらしく、そのことを悩んでいるようだった。

 ポムは、子供心を和ませて、より詳しい話を聞き出すべく、愛用の注射器を見せてやり、注射器の原型は浣腸器だったことや、浣腸器は昔は治療よりもむしろ拷問に重宝されていたのだといった話を、面白おかしく披露したつもりだったのだが……

 男児は、やおら走って逃げ出してしまったのである。

「何がいけなかったのかしらぁあ?『お注射』や『拷問』に至っては、口に出すだけで体の芯がジンと熱くなる呪文のようなワードですのにぃい。医学、解剖学の知識なくして、素敵なお注射や美しい拷問なんてできませんのよぉう!まあ実際には、拷問するより自白剤を盛っちゃうほうがよっぽど効率的なんですけれどぉお……」

 ポムは、瞳や唇を潤ませて、こぶしを効かせて熱唱するように言い募った。

 ただ、聴かされる側にしてみれば、おののきながら冷たい汗をかくしかない。

 サイラスに至っては、うっかり気が遠のいて、生まれて初めての冬眠に突入しそうになっていた。

「ちょっとポムさん、単なる例えであっても、『呪文』だなんて軽々しく言わないでちょうだい」

 魔術師としては聞き捨てならず、ラチェットは、ついに両手を腰に当てて割り込んだ。実のところ、ポムを説教部屋に招待して、子供への接し方などとっくりと悔い改めさせてやろうじゃないかとこの時点で決心していたのだが、それについては、とんでもない長期戦が予想されることもあって、ひとまず置いておく。

「ただねえ、チィタのことを、薬師であるあなたにも、できれば相談させてほしいの」

「チィタ……それが、あの子の名前ですの?」

 ポムは、さすがに呑み込みの早さを見せた。

「そうよ。父親はオレアと言って、この辺りで一番大きなチーズ工房の親方よ。

 ほら、サイラス、さっきこの食堂にも納品しに来ていたでしょう?」

「ああ、あの御仁か!なるほど髪が若草色でござったな」

 サイラスは、ポンと手を打った。そして、納品されたばかりのチーズは美味かった。

「チィタが最低限の魔法すら使えないことを、以前オレアが私に相談したのよ。私が診たところ、どうやらチィタは、魔素を体内に取り込む力が、ほんの少し足りないようなの。普通は、呼吸をするだけでも、生活魔法に必要なくらいの魔素は摂取できるものなんだけど……

 ねえ、ポムさん、未来の薬師として、何か知恵はないものかしら?」

「……魔素……ま〜そですってえぇえぇっっ!?」

 突如として、ポムは髪を振り乱して荒ぶった。

「どうしたポム殿!?親や主君を何百何千と殺めた仇にでも出くわしたような御面相と化してござるぞ!」

「仇!?そうよ、魔素だの魔素呼吸なんてものは、科学文明を掻き乱す悪魔のような仇敵でしてよ〜〜〜!!!」

 この時代の魔法文明を生きる人々にとっては、ちんぷんかんであろう罵詈雑言だ。

 しかも、人間の身で「ルージュの悪魔」などと渾名されるポムに言われては、魔素の立つ瀬が無さすぎる。

 次の刹那、その場に居合わせた人々は、確かに見た。ひどく眩ゆい謎の雷電が、ポムを頭上から襲い、その全身を貫通したのである。

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