第5話 その日
ママに起こされて鉛のついたように重い身体をノロノロと動かしてリビングに向かった。
ご飯の並んでいるダイニングテーブルの席に座るとママが手元を見ながら「今日は三時間授業だって」といつもより暗い声で言った。
カーテンは空いているのに太陽が活動していないかのように光を通さない。
「今日も雲があるな〜…」
周りがくらいとみんなの心まで暗くなる。
まるでみんなの心を写し出しているかのようだ…。
――花恋ちゃんは今日もいない。
玄関を出ても中との空気は変わらないまま。
いつものような虫の声
いつものような風の声
いつものような人の声
それはひとつも聞こえなかった。
本当は鳴いている、けどみんなには聞こえない。そのくらいみんなの心は暗く塞いで閉まっているんだ…。
ランドセルが上下に揺らしながら学校に向かっているといつの間にか生徒がぞろぞろと歩いてきた。
いつもと同じだなと見ていると隣には大きい
身体の人間が歩いていた。
――まるで首輪をつけて犬の散歩をしている飼い主のように。
――まるで首輪をつけられて自由を塞がれている犬のように。
僕はそれを見て…とても惨めだと思った。
学校についても何も変わらなかった。
教室に入るといつもの光景が目にうつると思っていた。けどうつるのは初めての光景だけだった。
まだ座られていない席もある。
でも座っている子達の横には親であろう人間が着いていた。
僕は一人、誰からも見られないまま自分の席に向かった。
いつもの時間にチャイムがなり先生が喋り始めた。全員揃ってるわけではないのに先生は何も言わずに今日の予定を話していた。
授業を受ける時、親達は後ろのロッカーの方に椅子を置いてみんなを座って見守っていた。
空いている席はいっぱいある。いっぱいあるのにも関わらず僕の隣の席は他の席とは違った。
好きな子の席だからだろうか…可愛いからだろうか…行方不明になっているからだろうか。僕には分からない。
先生が何かいっぱい喋ってる。それが僕たちに向けてなのか親たちに向けてなのかは話が入ってこない僕には分かることではなかった。
学校が終わった。一度みんなが校庭に集まって親が来ている子は親と一緒に帰ることになり、親が来ていない子は先生たちと帰ることになった。
下校の時間になった。
結局誰も喋らなかった。
どこに行っても変わらなかった。
みんな暗い表情をしている。
そんなに羨ましいんか?
そんなに悲しいんか?
朝と同じ暗い雲が頭の上でゆっくりとのんびりと動いてる。太陽がたまに見え隠れして光を通した。
花恋ちゃんのように1つだけ輝きを放って。
家について昼食の準備をしていると家の電話がなった。
「…?ママからかな」
受話器を取って耳に当てると聞き慣れている声が身体に入り込んできた。
「もしもし…聖司か?」隼也だ。
「うん、そうだよ」
「今クラスの奴らにも電話してんだけどさ、花恋ちゃん探してみね?」
隼也の声は暗くも何ともなかった。まるで何も思っていないかのようないつもの声の高さが小さな機会から聞こえてくる。
別に迷うことはなかった。
花恋ちゃんを探すことに反対意見はない。
「おっけー、何時くらいなの?」
「2時くらいに公園に集合だ」
はーい、と言ってまた後でと電話を終えた。
◇◇◇
母さんにバレないように何十人にも電話をかけた。今は母さんが風呂に入っていてこっちの音は聞こえない。
静かなこの空間には壁に遮られ薄くなったシャワーの音が微かに流れている。
クラスの連絡網を片手に俺は番号を打ち込んでいく。できるだけ素早く、間違えないようにして…。
「…もしもし○○○ちゃん?今日花恋ちゃんみんなで探そうってなってるんだけど――」
「もしもし○○○?今日花恋ちゃん探そう思ってるんやけど――」
「もしもし隼也です。○○○っていますか――?」
何人にも、何十人にも俺は電話をかけ続けた。最初から期待はしていなかったが、予想以上に集まる人数はすくなかった。
俺が次の番号にかけようと番号を押しているその時――、どこからか視線を感じた。
番号を押す手を止めて受話器を恐るおそる戻した。
心臓が耳から飛び出るんじゃないかと思うくらい鼓動が大きく、速くなってきた。
身体が強ばり、真っ直ぐ立とうとする時でさえ力を入れないと動かないんじゃないかと錯覚した。
全身がセメントで固められたように硬くなった。首を風呂場のある方にゆっくりと時計の針よりも遅い速度で向けた。
「何をしているの、隼也」
俺の顔がピタリと止まった。
見なくても分かる母さんの顔。
頭に浮かび上がって来る顔は光を通さない目とやつれた顔。今、身体が強ばってなかったとしても俺は母さんの顔は見れない気がする。
「…なんで受話器に手をかけていたの?」
この暗い空間に同調するかのような声色。
いつものような明るい音は影も見せない。
「誰かに電話、してたの?」
「…い、いや…」
上手く言葉が出てこない。
「…えっと…、せ、聖司に電話してたんだよ。ゲームのボス攻略しようと思って」
風呂場から顔だけを覗かせているおぞましい顔は俺の目をジッと射抜いた。
「そうなのね」
思った以上に軽く切り上げた母さんに少し驚いたがひとまず安堵の息を誰にも聞こえないようにはいた。
俺の手のひらには水の魔法が使えるようになったかと思えるくらい手汗がこびりついていた。
「…約束の時間は2時。何とか抜け出さないとな…」
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