第3話 一日前 午後

◇◇◇


俺はまだそんなに生きてきた訳じゃない。

母さんとかの方がよっぽど歳を重ねて生きてきてる。


――それでも…それでもここまでの事経験してる人はいないんじゃないか…??


俺はどんな顔をしていればいいのか分からなかった。


学校で聞いた時も、みんなで帰る時も、そして今家にいる時も――。


俺は沼にハマった足を引き抜くように洗面所に一歩一歩ゆっくりと向かっていった。


まだ昼間だと言うのに電気をつけなければ暗い洗面所。蛇口をひねるといつもとは違う不気味な音で水が太く出てくる。


一度手を濡らし、泡をつけもう一度水に手を当てると泡は呆気なく底の見えない穴に液体と一緒に落ちていった。

コップに水をいれて「ガラガラガラ」とうがいをしてから俺はリビングに向かった。


リビングに入るとあるのはカーテンは開いているのにも関わらず暗い世界だった。

母さんはソファにぐったりと座っていて真っ黒なテレビをただじっと見つめている。


(母さんも聞いたんだ…)


「…ただいま」


「あら」と母さんはゆっくりと俺の方を見て焦点がはっきりとしない目で俺を捉えると「おかえりなさい」って元気のない声で発した。


花恋とは小さい頃からよく遊ぶ仲で母さんと花恋の母さんも仲が良かった。


だから母さんは花恋の事をすんげぇ可愛いがってたし本当の娘のように接していた。逆に花恋の母さんも俺の事を本当の息子のように接してくれていた。


そのせい…って言っていいのかは分からない。いや、良くないことだ。でもそのせいで今の母さんは実の娘を亡くしたかのように絶望的な表情でいる。


「ご飯、食べる?」


「う、うん」


母さんは「わかった」といい少しちょづいたら倒れそうな身体を起こして昼ごはんの準備をした。


ダイニングテーブルに置かれた2人分の昼ごはんを母さんと一緒にたべた。


電気をつけていない暗い部屋で俺と母さんは一言も喋らず、ただ黙々と口に箸を運ぶだけだった。


俺が最後の一口を口に運ぼうとしたその時、母さんが箸を茶碗の上に置いて俺の方を見た。


「…隼也も聞いたのよね、花恋ちゃんのこと」


「…うん」


母さんはまた少し黙って、俺に話し始めた。


花恋ちゃんがいなくなったのは三日前の夜。

花恋ちゃんと花恋ちゃんの母さんが喧嘩して

家を飛び出していったっきり帰ってきていない。

今日まで花恋ちゃんの両親と警察で探したが見つかりはしなかった――。


俺の箸はそれを聞いている最中、鉛がついているかのように重くなり口に運べなかった。


母さんがなんの感情も抱かないような無の表情で淡々と喋っていくのを見て鳥肌がたった。


さっきまで悲しいそうだった目の前の者はどこにいったんだ、と思うくらいに。



◇◇◇


画面に映るのは僕が操作しているキャラクター。

手元で「パチポチパチポチ」と音を鳴らすのはコントローラー。


「よしっ!そこだっ!いけっよしっ…やばいっっ!!…あぁ」


僕のキャラクターが場外に落ちてゲームが終わった。


顔の位置は固定したまま目だけを時計の方を見ると短い針は数字の5を指していた。


「もうこんな時間だったんだ…」


僕はゲームの電源をポチッと消してコントローラーはカゴの中にしまう。そしてテレビリモコンの赤いボタンを一度押して画面をくらくする。


窓から差し込む光は電気をつけていない暗い部屋を照らすかのように入り込んでくる。

午前中のどんよりと黒く濁った雲もいつの間にか何処かに消え去っていた。


「外、行ってみようかな…」


今日は誰も家から出ていない。

そう思うと僕は無性に外に出たくなりウキウキとした。


ダイニングテーブルの上に置いておいた鍵を片手に家を戸惑いもなく出て、僕は軽い足取りで不気味なはずの田舎道を歩いた。


雨の後独特のじめったい匂いを全身に纏いもうすぐ太陽が沈み始めるだろう方角に向かって行くあてもなくただ歩いた。


虫が泣いている。変な音、綺麗な音、耳障りな音が耳にスルッと入ってきた。


空は笑っている。さっきまで暗い顔をして泣いていたけど、泣き止めば素晴らしい笑顔で僕を見守ってくれている。


太陽は疲れている。朝から僕を見守って、今も僕を見守って。そろそろ出番は終わりなのか徐々に姿を隠そうとしている。


道路には水溜まりがそこかしこにできていた。僕はそれを避けながらゆっくりと足を動かして前へ前へ進んだ。


辺りを見渡せば広がるのは古臭い家と整備がされた畑や田んぼ。


人影はひとつも見つからない――。


黒いコートを来てきたカラスが電線の上に何匹か止まっていた。鳴きもせず僕の方をじっと見つめるように真っ黒な瞳をキラつかせているようにも見える。


首を上から下にさげて変わらない歩調で歩き続けた。いくら歩いてもあるいても人の気配はどこにもなくて、他の生き物達がいつもより多く感じた。


なんもないな、と感じ夕焼けが来るのを待ちながらただひたすらに歩いているとふと自然に目が引き寄せられた。


――人だ…。


僕の身体は何かに引き寄せられているかのように人がいる隣の小さな公園に入っていった。

公園の中にあるのはブランコと滑り台。そして今は一人の女性。小さなベンチに座っている。


――無意識だった。足が、僕の足が言うことを聞かない。


――目が離せなかった。目が、私の目があの女性を見て離さない。


――心臓が大きく跳ねた。胸が、俺の胸が落ち着こうとしない。


女性の目の前で僕の足はぴたりと止まった。

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