第7話 神娘とは

「(なんだこのご褒美は)」


 前にキヒメ。後ろに千草。

 どちらも豊満な脂肪をお持ちのため、呼吸が止まりそうなくらいの圧迫がある。

 首の両サイドから吐息が当たり、それぞれの匂いが終夜を惑わし続ける究極の状態と言っても過言ではなかった。


「主様よ。膝裏ではなく、お尻を持ち上げてくれぬか? 腰がきつぅて敵わん」

「お、おお」


 こんなにも簡単に女性の尻に触れていいのかと、終夜は少し興奮する。

 キヒメは言葉遣いのわりに、低身長で童顔だ。それでも今の終夜よりは身長が高くて大人びているが。

 そして、千草以上に肉付きがしっかりしている。

 尻に手を置くと、重力の影響で手が沈んだ。


「くふふ、殿方に臀部を触られると気恥ずかしいのう。心地良いぞ」

「いらん情報を言うな」

「終夜くん、重くない?」


 二人も乗っていれば、子どもであっても重い。


「歩きにくいだけで、重さはほとんど感じませんよ」

「そこまで言うと嘘っぽいぞ」

「うるさい。君が重心的に一番重みを感じる」

「むっ。尻が重いと言いたいのか?」

「(それはご褒美です)」


 できるだけ隅に移動したものの、国の近くだと人の目が痛い。

 もっとも奇異の目ではなく、嫉妬の感情が主であるが。


「普通なら亜音速とはいえ、インターバルでわずかに止まるから余計に奇怪なことなりそうですね」

「疲れたらすぐに言いなさいね。私はこの体勢でも精神力は回復していくけど」

「むしろ早く溜まるかもしれぬな」

「うるさい」


 口では素っ気なくしながらも、頭の中は煩悩でいっぱいだった。

 千草が背中でわずかに視線を落とすだけで、吐息がいいところに当たる。


 柔らかい!

 いい匂い!

 暖かい!


 それがサンドされているのだから、五時間はむしろ短いかもしれない。


「くふふ。男じゃのう」

「首元で喋るな。そろそろ行くぞ。空の旅だ」


 〈羽翼の外套-level1-〉は、鳥の羽を模した肩がけの黒い外套である。

 この世界の装備は、ファッションとして機能していればどのような身につけ方でも問題はない。

 今のように前後で密着していて埋まってしまっても、しっかりと機能する。

 終夜は〈その名は“むそう”(仮)〉を発動して、跳躍した。


「おお、パラシュートくらいの下降速度だな」


 低位置だと、パラシュートは存外早く下降する。

 五十メートルだとすぐに地面についてしまうため、再度スキルを発動した。


「空中でも発動できるのね」

「このスキルは線の移動ですが、移動に脚力を全く使っていません。おそらく何かしらの推力を加える能力なのかと」


 移動、移動、移動と、スキルを連続で使用する。

 少し地面に近づいたら斜め上に移動する。

 重力に逆らっているわけでもないので、二人の重さもほとんど感じない。

 だが匂いと柔らかさと温もりは感じられる。


「加速の負荷もないし、風も心地良いしで快適じゃのう」

「でも、ちょっと怖いわね」


 ギュッと、後ろから回される腕に力がこもる。

 ずっと接触していると柔らかさを忘れるものの、少しの圧力が加わると思い出させられる。

 

「ちなみになんじゃが、主様よ。神娘がどういう生き物か知っておるか?」

「美男美女が多いとかそういう話か?」


 ネットでMoAの情報を開くと、半分が攻略系でもう半分が神娘に関することだ。

 生物として外見レベルが高いことから、特に多くの男が狙っている。

 事実婚という形式で婚約を交わしているペアですらあるぐらいだ。

 もっとも、神娘は人間の下心を読み取れるため、ほんの一握りしかいないのだが。


「…………あ」

「思い出してくれたようじゃの。まあわっちは気にせぬが、あまり千草殿ばかりに気をとられるとわっちも悲しいぞ」

「別に、お前にどう思われようと構わない」


 終夜にとって、キヒメは守る対象にない。

 たとえ【原典】によって神娘が死ぬ存在だとしても、終夜は千草を取るだろう。

 それこそカオスが質問した、確実に一人を守れるならという状況なら、現段階では確実なほうを選ぶ。


「むぅ」

「終夜くんはムッツリなのね」

「自分にないものに敏感なのはしょうがないです」


 男・終夜は言い訳をしない。

 二時間ほど移動して、終夜たちは一度休むことにした。


「主様よ、体力は大丈夫か?」

「今のところは全く問題ないな」


 二人を抱えていたから肩はこっているが、口にはしない。


「やはり終夜くんのスキルは、ほんの一部を引き出しているに過ぎないのかもしれないわね」

「まあ(仮)ですからね」


 (仮)が一部である、という推測はほぼ間違いない。

 だが実感のない終夜には、千草の驚愕の度合いが伝わっていなかった。

 たとえ一部であったとしても、まったく精神力を消費しないのはありえないのだ。


「目立ちたくない人ほどそういうことになるとは、主様は本当に面白いのう」

「面白くない。メッチャ人前で気を使うじゃん」

「超高速移動やショートワープのようなスキル自体が希少だから、気にはなっても疑問までにはならないと思うわよ」

「スキル自体が希少なんですね…………」

「あーーーーご、ごめんなさい…………」

「いえ、いいんです。俺の望みが叶ったようなものみたいですから」


 カオスへの伝い方を少し間違えたかと、終夜は後悔する。


「千草殿の前だと子どもっぽくなるのう。おっと、子どもだった。ははははは!」

「ぶん殴るぞ」

「終夜くん! 女の子にそんな言葉を使わない!」

「…………すみません」

「(親子か!)」


 過去にも終夜、あるいは千草目当てに近づいてきた者は何人かいた。

 終夜は一切相手にしないものの、千草は受け入れはする。

 だが、二人の親子のような会話に居場所を失ってしまうのが常だった。

 しかしキヒメは負けない。


「主様よ、わっちの尻尾を見てくりゃれ?」


 和服をたくし上げると、細い尻尾が白い素足に沿うように垂れ落ちる。

 続いてキヒメが人差し指を立てて上に意識を向けさせると、キヒメの頭上に耳が生えた。


「見たけど?」


 だから何? と付け足しそうな反応に、キヒメは頬を膨らませて珍しく怒りを見せる。


「けどとはなんじゃ! わっちの尻尾と耳はなかなか人間に見せぬのじゃぞ! しかも今の尻尾の見せ方はエロいじゃろ! そそるじゃろ!」


 どうやら何かに自信があった、というところまでは終夜も分かったものの、その何かがよく分からない。

 男が筋肉を自慢するようなものかと、終夜はとりあえず褒めることにした。


「あー、毛並みがいいな。うん。街ではいろんなやつのを見てきたが、その中でも群を抜いている」

「ふふ、そうですね。よくお手入れがされていて、時間をかけているのが分かります」


 千草の褒め方で、終夜は合点がいった。

 女性が髪や肌に時間をかけてケアするのと同義であると。


「そうじゃろう、そうじゃろう。恥ずかしがらずに最初からそう言えばよいのに」


 ちょっとイラッとしてきた終夜に、千草は後ろから服を引っ張って諫める。


「それで、その素晴らしい尻尾を見せてきた意図はなんだ?」

「主様よ、女子の行動にいちいち理屈を求めるとモテぬぞ」

「あ?」

「神娘の特徴を教えるつもりだったんですよね?」

「さすが千草殿! もっとも主様の場合は、特徴よりも注意を教えねばならんじゃろうが」


 キヒメの和服は動きやすさを追求しているため、上前と下前の重なる部分が浅く、サイドがスリットのように切り込まれている。

 歩いているだけで素足は見えないが、尻尾が専用とばかりにスリットから顔を出すので、素足も露わになった。

 尻尾の動きをぼうっと終夜が眺めていると、尻尾のフリフリが激しくなる。

 切れ込みが際どいラインまで伸びていることから、激しく動くと柔らかい部分も見えそうになる。

 しかしここで逸らすのもあからさまだと終夜が悩んでいると、


「キヒメさん!」

「むぅ、惜しい」

「話が進まん。注意とはなんだ?」

「まあよい。わっちら神娘からすると、人間は喜怒哀楽が激しい生き物じゃ。言い換えると、感情が表に出やすい。顔にしろ、言葉にしろ、態度にしろな。まあ主様もわっちからしたら感情豊かなほうじゃ」


 無表情、何考えているか分からない、近寄りがたいと常に言われていた終夜に、出会ってたった数時間で感情が豊かだと言ったのはキヒメが二人目だった。

 終夜がやや不機嫌になると、見透かしているかのようにキヒメが笑みを浮かべる。


「しかし神娘は、人間ほど表には出さない。慣れ親しんだ相手には人間と同じように接するが、その基準はだいぶ厳しいからのう」

「お前を見ていると信じ難くはあるが、千草さんも知っているようだから信じるとしよう。神娘は感情を読めるんだったか? 感覚で相手の喜怒哀楽が分かるから、表現する必要はないってことか」

「少し語弊がある。わっちらにはオーラが見えるのじゃよ。感じると言ったほうが近い。深層心理の表情のようなものゆえ、表に出す必要がないのじゃ」

「ふうん。それが本当なら、一般の人間は神娘に近付かないと思うんだがな。偽善者や嘘つき、表に出せない企みが露呈するんだから」

「もちろん警戒する者もおるが、自身をよく理解していない者のほうが多い。いや、結果的に表層化している自分を演じているだけというのが正しいか」

「終夜くんも、自分は冷たくて何事にも無関心だって言っているけど、実際は優しいでしょう?」


 理解に苦しんでいる終夜を見ての助け舟を出したのだが、余計に苦しむことになる。


「むふふ、そうじゃな。なんだかんだ、わっちのことも信用してくれているようじゃし。人間にしては正直なところが多くて好感が持てるぞ」

「分かった分かった! 自分が思う自分と、他者が思う自分は異なるものだって話だな! 無為に褒めるのはやめてくれ」

「そういうこと。私だって、終夜くんが思うほど良い子ではないかもしれないわよ?」

「清純だと思っていたら、実はかなりエッチだったりしてな。千草殿のような女性ほど、乱れたらエロいと聞いたことがあるぞ」

「そういう意味ではありません!」


 千草が顔を真っ赤にして声を荒げた。

 なんでも大人っぽくて落ち着いている千草が、年頃の生娘のような過剰反応を見せるのは新鮮だった。


「キヒメ、話が逸れすぎだ」

「おお、すまぬすまぬ。えっと、どこまで話したかな」

「人間の感情は表に出やすいってところ」

「そうじゃそうじゃ。神娘は顔や言葉に出すことは少ないが、体の一部が正直になっている者が多い。尻尾が異様に動いたり、耳がピクピクしたりな」

「全身を観察して、機微を感じ取れってことか?」

「それもあるが、人間は興味本位にそれを触る癖がある。ほれ、主様も勝手に反応するところがあるじゃろ? そこを触られたらどうじゃ?」

「下品なやつだな」


 千草が首を傾げた後、ハッとしてジッと終夜の一部を見つめた。

 視線を感じた終夜は、神娘の尻尾や耳をジッと見つめるのもやめておこうと学んだ。


「………………まあ理解はした。気をつけるよ」

「困っている同胞がいたら助けてあげてくれ」

「それはめんどくさい」


 あからさまに嫌そうな顔をする。

 キヒメはそんな終夜の耳元で、


「いろいろと堪能したのじゃから、安いもんじゃろう?」

「(それを言われると痛い)」


 終夜は言い返せないまま、二人のクッションに挟まれて移動を再開した。

 スキルによる移動の中、千草は背中の主の後頭部を見つめていた。

 終夜は人の視線に敏感であるため、感情を込めて見つめるとすぐに気づく。

 感情の波が刺さってくるからと。

 それなのに今、千草の視線に気づかないのは、終夜の悪い癖が出ている証拠であった。


「(また深く考え込んでいるわね…………)」


 終夜は脳の使い方を予め決めることで、自身の思考能力を使いこなす。

 複数の声を同時に聞いたり、他所の会話を聞きながら目の前の相手と会話をしたりと。

 しかし予め意識していないと思考に没頭してしまう。

 周りの声が聞こえず、動きも見えず、ただただ反復作業を繰り返す。

 今はスキルを使用して真っ直ぐ進み、十回に一度斜め上に移動するという作業を繰り返していた。

 目の前でキヒメが見つめていても、悪戯な笑みを浮かべて頬を突いても反応しない。


「(E? いやFか……?)」


 考え事ではなく、極限まで研ぎ澄ませて感触を味わっていただけだった。

 邪念よりも興味と関心が勝り、分析に力を入れて異常な集中力を発揮していたため、キヒメに悟られずに済んでいる。

 やがて、自分は基準となる胸や比較対象がいないことに気づき、結論は保留となる。

 意識を覚醒させて頬を突っついていた主を睨むと、まさに比較となる対象が目の前に飛び込んできた。


「(千草さんよりはありそうだな)」


 さすがに感知したキヒメは、頬をそのままつねる。


「何をする?」

「口に出してもよいのか?」

「単なる知的好奇心だ」

「じゃからムカついておる!」

「意味が分からん」


 終夜の高速移動スキル、〈その名は“むそう”(仮)〉のインターバルは一秒にも満たない。

 だから下を見ても、流れゆく大地や木々の色が見えるだけで、個々の判別は難しい。


「千草さん、この辺のモンスターは強いんですか?」

「だいぶ強いわよ。この世界は端に行けば行くほど、脅威が増していく傾向にあるから」

「端? この世界は平面なんですか?」


 千草の言い回しが奇妙に思ったからこその質問だったが、ゲーム世界なら別におかしいことではない。


「実際の形は分からないけど、“端”と呼ばれる場所はことわりが狂っていると言われているの。えっと、ゲームで例えた説明があったと思うんだけど…………」

「製作者が作っていないフィールドの外。予期せぬバグが点在するルールなきルール、じゃったか?」


 真っ暗だったり、どこまでも続く一色だったりする空間。

 一度迷い込むとなかなか抜け出せないループに陥ることもあれば、フリーズして身動きができなくなることもある。

 または、製作者の意図せぬダンジョンやモンスターが出現することも。

 終夜は今でこそゲームに触れていないものの、幼い頃はそれなりにプレイしていた。

 そんなバグが一時期流行ったなと、すんなり飲み込む。


「つまりは、人間が行くべきところじゃないってことですね」

「ええ。そこで死ぬと、復活しないと言われているわ」

「まあ、そうなるでしょうね」


 この世界は安全に見えて、ところどころに大きなリスクを孕んでいる。

 気をつければ問題はない。確率もかなり低い。

 “端”にしても【原典】にしても、通常、一般的に遭遇することは稀である。

 だが終夜は、嫌な予感がしてならなかった。


「まあないとは思うけど、一応聞くぞ。神娘の村とは、その“端”とやらに近くはないよな?」

「……………………」

「帰る」


 終夜は空中で立ち止まり、〈羽翼の外套-level1-〉によって緩やかに下降していく。


「待て待て待て! 近いと言っても馬で数時間はかかるから!」

「俺の能力で五時間に対して、馬で数時間? 近いじゃん。ていうかこの世界狭くね?」

「アルモニア自体、国の中では端に位置しているのよ。だから帰っちゃダメ」


 千草は腕に力を込める。

 すると密着度が高まる。

 吐息も近くなる。

 何度も何度も、同じ快感に終夜はドギマギする。

 慣れない。

 終夜は何かをごまかすため、無言でスキルを発動した。

 神娘の村へと。

 キヒメは気が変わらぬようにと何も言わず、千草はご褒美とばかりに首に回していた腕を、終夜の胴に回し直す。

 もっとも、理由は動きが激しくなった恐怖ゆえに。

 キヒメはそんな少年を瞳に映しながら、帰りは絶対に自分が背中に乗ると心に決めるのだった。

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