#5.回想『私とは誰か』

【ブアル草原】


今、デクラさん護衛の元…広大な乾燥帯、ブアル草原についた。


「じゃあ、ここからは気をつけて行け」


「りょ、んじゃあありがとねー!」


「ヤギさん、サゴリンさん!お世話になりました~」


「おーう、シャラちゃん元気でな」


「また、どこかで…デクラさん、シャラさん」


「あぁ」


軽く挨拶を済ませて、僕らは足早にサラファンへ向かう。

森を超えるには2日を要すると予想していたが、デクラさんのおかげで比較的早く抜けることが出来た。


「ここからは早いよ、すぐに着くと思う」


「んえ~もっと探検したかったなぁ」


たしかに……もう僕らの足元にはうっすらだが道がある。

きっと、サラファンへ続く道標なのだろう。


「サゴリンは探検とかより、読書とかの方が好きそうだね」


「間違ってはないね」


「だろ!」


「色んな知識って増えれば増える度に楽しくなるんだ」


「わからんこともないこともないけどもけども」


「ややしこいね」


読書か……読書は好きだ。

あぁ、懐かしい話と人物を思い出した。


【イアストラ王立図書館】


記憶の匂い。

ここはイアストラの王立図書館だ。

もちろん、文庫室など城内に完備されているが……僕はどうしても、城外にあった大きな王立図書館が好きだった。

だから、魔法で身分を騙し忍んで通い続けていた。


イアストラの歴史も記されている、著名な作家たちが残した小説も詩人が綴った詩集も哲学者が考えた理想も……すべてこの図書館に詰まっている。


一ページ、一ページ、開く度に甘い蜜の香りが辺りに漂う。それほどに僕にとって読書とは甘美なものだった。

前世の僕も、早くそれに気づいていれば自殺なんて考えなかったのだろうか……いや、読む暇なんてないか。


それは、ある日のこと。

常に読む本が決まっている訳では無い、だから僕は毎回気分によって本を手に取る。

その日は、『私を私と確立する絶対的根拠』という哲学的な文献に近い小説を手に取った。


そして僕だけの特等席(図書館の端の人目がつかない場所)に座る。


たしか、100ページ目に差し掛かる頃……すっかり本に意識を取り込まれた僕はあたりのことなんて気にしていなかった。


だが、あまりに集中しすぎて目が疲れたのか文字が揺れだした。

目頭に指を当て、遠くを見ようと前を見た時…16歳ほどと推測できる長い黒髪の少女が目の前で僕を見つめていた。


「あ……あの」


「その本好きなの?」


「え?これ……まだ一回目です」


「そう」


彼女の手には『ワルツローブの乙女』という、イアストラ王国ワルツローブ区を舞台に描いた退廃的な恋愛小説があった。

最後は救われることのないオチなので誰にもオススメしたくないような作品だった。


「その本……読まれるんですね」


「私に似てるもの、あなたも読んだことあるの?」


「まぁ、一度だけ……あの、似てるってどの辺が?とか…聞いちゃダメですよね」


「想っている人が死んだの……私とワルツローブの乙女は全くもって瓜二つ」


「……」


でも、ワルツローブの乙女は最後に好きな人を追って死ぬはず。


「死のうとか、考えてないですよね?」


「私が?」


「はい」


「……そうね、もう手遅れだものね」


「手遅れ?」


「こっちの話よ」


「……」


「だから何度も読んでしまうの」


「あのっ…」


「その本、読んだら貸してね。読もうとしてたから」


「わかりました……」


「しっかりしてるのね、あなた」


光を失ったような目でささやかに微笑むと彼女は本の世界に没頭していった。

それから、2時間後……


「あの」


「はい」


「読み終え…ました」


「そう」


彼女はそっとワルツローブの乙女を閉じた。


「その本の感想、いえる?」


「…まぁ、哲学的な内容だったなって」


「それだけ?」


「まぁ……あまり熟考したくない内容でしたので」


「それはなぜ?」


「自分を見失いそうだったから…です」


「そう、そうね」


何か考えているようだ。


「私も考えていたわ、自分は自分なのだと…そう思いたかったからその本を読んだの」


「既に読んでたんですか?」


「えぇ、もちろん」


「この本を…」


物語のラストスパートにかけて、読者に訴えかけてくるような内容であった。

自我を失った主人公がありとあらゆる物に自分は何かと問いかけるシーンには思わずゾッとした。

だから、考えすぎてしまうと自分とは何か……その本質を読み手である読者ですら忘れてしまいそうになる。


「その物語は終わらないの、最後に主人公の男が自我を取り戻す描写もないし、かといって希望が無いわけでもない」


「……」


「私の好きな人も自分がないような人だった。だから私は満たしてあげようと感情的になって叫んでいた。でもそれは届かなくて……そのうち、感情的な私とは私じゃないと思いだしたの……だからといってあの人のように何に対しても無感情でいる訳でもない。その狭間で揺れ動く私がどちら側の人間なのか悩んでいた時……その本に出会った」


「結果は?」


「もっとわからなくなった。わからなくてわからなくて……でもね、悩んでる意味もわからなくなったの」


「……」


「実はね、この本に出会う前には彼、死んでいたの。突然とね…」


「……」


「あまり長く語りすぎたわね、私はこの辺でお暇するわ」


彼女は立ち上がった。


「これは?」


「読まないことにした、あなたとお話出来て良かった。今その本に手を出したらいけないほどの精神状態である事に気づいたわ」


「あの」


「なにかしら」


「もし何か、僕にできることがあれば」


「…ふふ」


「あのっ」


「あまり思い上がらないでくれる?私とあなたは初対面なの。はぁ……ごめんなさい。子供相手にムキになってもしょうがないわね。さよなら」


「……あ、はい」


いってしまった。正直、前世の記憶とも含めたらあまり歳の差はないと思うけど…

……今日は何も読む気にならない……僕も帰ろう。


そして翌日。


僕はまた図書館に来ていた。

そろそろ、先生やメイドさんに気づかれそうだ……適度に行かなければ…


「あっ……」


僕の特等席には昨日の少女が座っていた。


「あっ?ってなに?座りなよ、本読みに来たんでしょ」


「は、はい」


また、ワルツローブの乙女を読んでる。


僕は……何を読めば


「あなたが昨日来てから、なんとなくまたここに来ると思って待ってたの」


そういうと彼女は積み上がった本の中間あたりにある一冊を僕に差し出した。


「これは……」


「“泣き症“」


「泣き症?」


「どうせ大概の本は読み尽くしてるんでしょ?だから、あなたが知らないような本を持ってきたの」


「ほんとに知らない本です、表紙すら見た事ない」


「私の家から持ってきたの、是非」


「はい…」


そのままの勢いで、パラパラと……


気づけば僕は、あまりあるほどの時間をその本だけに費やしていた。


「なんですか……これ」


「おもしろい?」


「はい、とても……」


設定も描き方も申し分ない……なんて小説なんだ。


「そう、よかった。返してね」


「あっ、はい」


「こうやって……ひたらすらなにかしていないと気が滅入ってしまいそうだから本を読んでいるの、よかったらあなたの感想を聞かせてくれる?」


「是非」


僕は相当長々と話し込んだ、名前も知らない少女に…借りた本のすばらしさ、抜け目のない構成やその描写。

全てにおいて長けているこの本は人生でもそうそう見ることは出来ないと。

彼女はただ僕の話をじっと聞いて、微笑んでいた。


「以上…です」


気がつけば1時間弱話しこんでいた。


「本当に本が好きなのね、その容姿が嘘のようだわ。あるいはあなたは……なんてね」


「?」


「それじゃ私はこれで」


彼女は立ち上がる。


「あ、あの」


「どうしたの?」


「名前を教えてくれませんか?」


「ルース・アメリ……好きに呼んで」


「アメリさん?……また、お話しましょう。僕と」


「今度は…あなたの好きな本を教えてね」


少し嬉しそうに…いや、そう見えただけだが、彼女はくるりと向きを変えて図書館から去っていった。


それからというものの、僕は毎日のように図書館に通いアメリさんと本を読んだり話をしたりしていた。

とても楽しい日々だった。


だがある日を境に、彼女が図書館を訪れることはなくなった。

それは唐突に……ひとつ心配であるのが、彼女の消息の安否だ。





「サゴリン、サゴリ~ン」


「ん、あ、ヤギさん」


「どうしたの、そんな無言で歩いちゃって」


「いや、ごめん」


「かぁ~!!んなことより、もうつくぞ!サラファン!!」


「うん」


僕がサゴ リントという名前を明かした直後だった。もっと仲良くなれるとおもっていたのに、彼女には僕の名前を呼んで欲しかった…。

だけど、もうイアストラは…そして彼女も…







「とりあえず無事でいてくれてよかった、シャラ」


「パパずっと探してくれてたの~?」


「あぁ……それにしてもヤギは本当に強かった」


「デコピンで気絶してた~とかいってたよ」


「事実だ」


「え……??」


「あの男の子も聡明ではあるが…これからの伸びに期待したいな」


「なんかよくわかんない魔法使ってたよ~」


「魔法……??あの歳で??ぁあ、はは……なるほどな。彼らは……」


デクラは頭を抱えた。


「どうしたの、パパ」


「いや、なんでもない。今後もまた会えることを願っておこう」


「うん!」

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