天ぷらの日


 ~ 八月二十三日(月)

    天ぷらの日 ~

 ※跛鼈千里はべつもせんり

  最初は劣っていても、努力を

  続ければ成功する。




「いざ……! 雛さん監修の、純和食で勝負……!」

「いつから料理バトル編に突入したんだよ、この休憩室」


 クローシュをカーゴに乗せて。

 鼻息荒く休憩室に入ってきたこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 やたら高いコック帽に頬をつつかれながらサーブされた、このまかない。


 中身はまだ見えないけど、出来栄えのほどは。

 コックの後ろに控えた人の。

 顔色のせいで既にバレバレだ。


「すいません、雛さん」

「ほんとに勘弁しろお前。何度も説明させられただけでも迷惑なのに、この品が私の名前を冠してるとか耐え難い」


 何度も説明、という事は。

 調理の工程を実際に見せたわけじゃないのか。


 だったら失敗するのは無理もない。

 一度見たことを完璧に覚える天才、秋乃だが。


 言葉で教えたことについては。

 驚くほど理解してくれないからな。


「迷惑かけてごめんな、雛さん。でも、料理は俺が教えるって言ったのにな……」

「先週、保坂から教わった通りに調理したのに文句言われたと、こいつから聞いているんだが?」

「カップ麺のことか。それで信頼を失うとははなはだ遺憾だ」


 ひどい論拠で、俺からはもう学ばないと決めて。

 他人を巻き込む新米シェフは。


 いつまでも言い争いをしている俺たちを見て。

 しょんぼりし始める。


 ああ、まずいまずい。

 別にケンカしてるわけじゃねえ。


 俺は、慌ててフォローし始めてくれた雛さんに。

 感謝をたくさん乗せて目くばせしたが。


 ここは、早いとこ食べて。

 褒めてやらねえと。


 

 料理を始めた時、一番最初に覚える必要があるもの。


 それは知識でも。

 ましてや技術でもない。


 美味しいって言ってもらった時に。

 自分の口角が勝手に持ち上がった、その距離が何センチくらいだったかって事だ。



 ……俺を応援するために。

 頑張って作ってくれたまかない料理。

 美味しくないはずないじゃないか。


 これはお世辞でもおべっかでもねえ。

 例えようもない幸せを、はっきりと言葉にしながら。

 俺は、クローシュをつまみ上げた。


 クァン♪


「ようし。そんじゃ、覚悟を決めて…………、あ」


 カポン♪



 …………すまん。

 つい間違えて、本音が出ちまった。


 二人とも、そんな目でにらむなよ。

 ごめんて。



 でもまあ。

 今、一瞬だけ見えた料理は。


 あまり失敗しようも無い品。


 俺は今度こそ覚悟を決めて……。

 間違えた。


 期待に胸を弾ませながら。

 クローシュを開く。


 するとそこには。

 ふっくらとした生地が柔らかそうに焼けて。

 踊る鰹節にソースのライン。


「おお! お好み焼きか!」

「……桜エビのかき揚げ」

「かき……? え?」

「抹茶塩でいただく、桜エビのかき揚げ」


 ああ、しょげるなしょげるな。


「あるあるだから」

「あるあるだから」


 料理人コンビの、心からの慰め。

 実際、誰しも経験がある話。


 かき揚げに使う油をどこまで少なく済ませることができるか。

 それは世界中、全主婦共通の気持ちだ。


 だから、フランスの新婚さんだって。

 ニューカレドニアのベテラン奥さんだって。


 桜エビかき揚げの油をケチって。

 お好み焼きにしちまったことがあるに決まってる。



 ――そんな、ここんとこ定番になっていたやり取り。

 秋乃による面白料理動画ライブ配信を見ながら。


 カンナさんがぽつりとつぶやいた。


「お前、丸くなった?」

「やめてくれよ。カップラーメン事件以来気にしてるんだから」

「そうじゃなくて。昼飯はともかく、配達について文句言わなくなってきたな」

「………………ほんとだ」


 言われてみれば。

 毎日何度も着替えるのは面倒だが。

 結構、配達が楽しくなってきた気がする。


「じじばばがさ、楽しそうに話すんだよ。庭に咲いた花がどうしたこうしたって。小川で冷やしたスイカ切るからまってろって」

「まあな。都会じゃともかく、この辺のじじばばにとってワンコ・バーガーの制服着た高校生はみんな孫みてえなもんだからな」


 なるほど。

 その発想には、ちょっと納得。


 店の外に立ってる時。

 俺だろうが秋乃だろうが朱里だろうが誰彼構わず。


 水だの氷だの差し入れしてくれるのも。

 近所のじじばばなんだよな。


 ……そんなじじばばに誘われて。

 ご近所の常連さんが増えて行った。


 それがこの店。

 ワンコ・バーガーなのかもしれん。


「でもさ、売り上げのほとんどはショッピングセンターからくるその日限りの客だろ?」

「発想が真逆だな。売り上げの三割もの数字が、固定客からの供給だ」

「…………ふむ」


 波のあるなしに関わらず。

 気に入って来てくれる固定層。


 その数字がどれだけ貴重なものなのか。

 カンナさんの、やたらと誇らしげな顔を見ればうかがい知れる。


 それに。


 なんか、流動的な七割よりも。

 三割の方が温かく感じるのは。


「……俺、商売に向いてねえのかもな」

「そうでもねえぞ? お前、何か変わって来たんじゃねえの?」

「まあな。何キロか太ったからな」


 片田舎の個人経営ハンバーガーショップ。

 そんな店の。

 経営の発想。


「この辺の外食なんて、食いたいものってより行き慣れたところに足を運びたくなるもんだよな」

「そうそう。慣れが大事なんだ、慣れが」

「わ、私のまかないも、そのうち慣れる……」


 いけね。

 話に夢中ですっかり忘れてた。


 こいつの心づくし。

 そろそろいただくとしよう。


「……えっと、ちゃんと言うぞ?」

「はい……」

「これは、失敗作です」

「写真と違うから、承知しています……」

「でも、そのうち慣れる」

「うん。そのうち、きっと慣れる」


 継続は力なり。

 今日も頑張って褒めてやって。

 こいつに料理を続けさせてみよう。


 俺は、秋乃とにっこり笑顔を交わして。


 一口食ったら。

 ヘラごとお帰りなさい。


「にげええええええ!!! なにこのソース!?」

「ま、抹茶塩を焦がして、ソース色に……」

「そんなギミックに凝らんでいい!」


 俺は、お茶で苦みを消し去って。

 なんとかソースを避けて、今度こそ口へ放り込むと。


「…………うん。まあ、それなりなかなか」

「ほんと?」

「俺は、不味かったら不味いって言うだろ」

「や、やった……」


 外はガリガリ。

 中はぼっそぼそ。


 でも、一生懸命って名前の調味料が。

 目元から程よい塩っ気を運んでくる。


「でも、まだまだではある。とは言っても、そのうち慣れる」

「うん。そのうち、きっと慣れる」

「秋乃が」

「立哉君が」

「うはははははははははははは!!!」


 ああ、なるほどね。

 これを美味く感じているのは。


 既に、俺が秋乃の料理に慣れてるせいか。


 心から納得しながらも。

 釈然としない。


 だから俺は、秋乃にソースのかかった辺りを一口食べさせることにした。


「うええええええ!!!」

「…………慣れろ。近日中に」


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