月遅れ盆迎え火
~ 八月十三日(金)
月遅れ盆迎え火 ~
※
平和な世の中を幸せに裕福に楽しむ。
「やーだー! 帰りたくないー!」
帰宅予定時刻から逆算して。
さらに一時間の余裕をみて。
縁側のそばに寄せた車に荷物を積み終えた俺たちは。
いつものように、一時間にわたる爺ちゃん婆ちゃんとのお別れの挨拶を開始した。
「やだやだー! ねえ、おばあちゃん! なんかおもろい話聞かせて?」
初見の二人は、そんな凜々花をどうしたものかと手をこまねいているようだが。
安心してくれ。
「……多分、楽しんでもらえると思う」
「面白いお話し…………。漫談が始まる?」
「……お姉様の思う面白いお話ではないと思うが」
この二日で。
俺がそこまで疲労していないのは。
ツッコミの仕事が半分で済んだせい。
ボケの方の、白いワンピースが。
そして、ボケ倒す秋乃と凜々花に延々突っ込み続けてぐったりしているゴシックドレスが。
妹の春姫ちゃん。
今回も、きわめて常識的なツッコミを披露してくれて。
心から感謝をしているのだが。
残念なことに。
ばあちゃんの面白い話は。
漫談だ。
「凜々花ちゃんが面白いかどうか、わしはわかりゃせんよ?」
「おばあちゃんのお話しは全部面白いから! 聞かせて聞かせて!」
「だってよぅ。人気の芸人さんおるじゃろ? 名前言うだけで、みんな笑うやつ」
「だれじゃろ?」
「そん人の顔も、何度見ても覚えられん。男か女かもよう分からんなっちょるし。わし、それ聞いてもおもろくもなんともない。ずれちまっとるんじゃ」
「そんなことねえと思うけど。なんて芸人さん?」
「しゅんさん」
「ほんとだれぞ?」
「しゅんでーすってよう。悲しい顔するのん」
「うはははははははははははは!!! 『しゅんです』ってそりゃ意味が違う!
……ほら見ろ。
なんだこの抱腹絶倒漫談。
「そ、それは挨拶してるわけじゃねえ……!」
「立哉ちゃんはツボなんか、あの芸人さん」
「何人もやるわ! まったく、分かっててボケやがって……!」
縁側に小さく正座してお茶をすする婆ちゃんが。
俺の言葉を完全にスルーして。
今度は、秋乃を見上げた。
「そいじゃ、お嫁さんにもなんぞお話ししようかね?」
「お、お願いします……」
「その呼び名に返事するのやめろ」
「だって……」
「包丁はの?」
「あ、はい」
「よく切れる方がええのん。なんで良いかって、こいで切った方が魚がうんまい。なんで良いかって、メシがはよ出来て、爺さんが催促のキセル鳴らさん。なんで良いかって、でえこんの薄剥きがいつもの倍できよる」
……婆ちゃんの話は、いつも突然で。
でも、テーマが上手いのかしゃべりが上手いのか。
ぐいぐい引き込まれちまう。
秋乃も春姫ちゃんも、一瞬目を丸くさせたが。
その顔のままで、婆ちゃんをじっと見つめ続けて聞き入っていた。
「けんどな? わしはもひとつ、よく切れる包丁の方が不思議と指を切りにくいと思うん」
ああ、そりゃよく聞くし。
俺の中では常識だ。
切れない包丁で無理をするから不意の事故を起こす。
よく切れる包丁なら考えた通りに動くから切らないものだ。
「わしは、とうの昔にこいつを知っとったんじゃ。でも、皆にそれを言って歩いたが、ついぞこいが役に立つことはなかった」
「なんでさ」
「こいの意味をわかりよるんは、まめに包丁を研ぐような、料理をしっかりするもんばっか。こいを知らにゃいかんのに聞き流すもんは、包丁なんか研ぎゃせんのに事足りちょるもんばっかじゃ」
……面白いという単語がなにを意味するのか。
正確に答えられる者はいないだろう。
でも、それが面白いか否か。
証明することは簡単だ。
さっきまで、目を丸くさせて聞いていた二人。
そんな二人が浮かべている今の顔。
これが、面白さの証明なんだ。
「おもろー! 凜々花、婆ちゃんの話がいっちゃん好き!」
「おいおい。今の話の意味、ちゃんと分かってるか?」
「そりゃ分かってるよ」
「じゃ、婆ちゃんに答え合わせしてみ?」
「せっかくの発見も意味ねえじゃんって事でしょ?」
「うんにゃ? 何事だって、言い出しっぺがやるもんだっちゅう話」
そう言いながら、婆ちゃんは。
絆創膏巻いた指で眉間を掻いた。
「うはははははははははははは!!!」
「あはははははははははははは!!!」
これには秋乃も大笑い。
最近、笑い方が上手くなった春姫ちゃんもくすくす笑ってる。
笑いの伝道師としては悔しい限りだが。
婆ちゃんには勝てるわけねえから良しとしよう。
「く、悔しい……、ね?」
「まあ、諦めろ。婆ちゃんには勝てん」
「これは、学ぶものがある……」
凜々花にとっては、役に立たない知識があるという話。
俺にとっては、言い出しっぺが率先してやるべきだという話。
そして秋乃にとっては、笑いのセンスを磨くための教材になった。
……人によってとらえ方が違う。
でも、物語は一つだけ。
聞いた者が、それぞれの思いはあれど、これを誰かに伝えると。
また違った答えが現れるのかもしれないな。
「今の話、婆ちゃんも、婆ちゃんから教わったのか?」
俺の問いかけに、婆ちゃんは返事もせず。
居間の方へのんびり視線を向ける。
そして、いつもは自分が座ってるあたりをぼけっと眺め続けているんだが。
今の婆ちゃんの目には。
そこに、どなたが腰かけているように見えるのだろうか。
「誰から教わったんじゃろの。……わし、誰からおすわったなんて知らんよ?」
そうか。
まあ、人はだれしもそれが当たり前。
全ての知識は。
必ずどこかで見聞きしたもののはずなのに。
自分で見出したものだって。
元となる要素は、誰かから聞いたもののはずなのに。
すべてを、自分の言葉だと思いながら誰かへ伝えて。
今度は、それを聞いた者が。
自分の言葉として誰かへ伝える。
……やれやれ。
語り部の思惑からは、きっと遥かに外れた効果を生み出しているんだろう。
俺にとって、今日の婆ちゃんの話は。
言いだした人がやるってことで。
昨日自分で語った夢を。
ちゃんと成し遂げないといけないな、なんて。
改めて心に誓うことになっている。
「相変わらずだ。面白い話だったよ、婆ちゃん」
「わしの言葉じゃないん。こりゃ、せんせの言葉なん」
「覚えてんじゃん」
さっき、だれから教わったか知らねえとか言ってたくせに。
ほんと食えねえ人だよ。
「どんな先生だったんだ?」
「優しかったよ? みんな一人一人、全員の味方だった良いせんせ」
そうか。
誰かさんとは大違いだな。
「けんど、せんせ、一つだけ好かんことがあったん」
そう言いながら、婆ちゃんは。
縁側から見える遠くの山のもっとむこう。
何十年も前の教室を窓からのぞき込みながら。
ぽつりとつぶやいたのだった。
「せんせ、わしのこと立たせるん。来る日も来る日も」
……今日は、久しぶりに。
秋乃がのたうち回って無様に笑う姿を見ることになった。
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