ガンバレの日


 ~ 八月十一日(水) ガンバレの日 ~

 ※刮目相待かつもくそうたい

  今までと違った目で誰かを見る事。

  誰かの成長を待ち望む事。




 正月に、がっつり休みを取るお袋は。

 夏は基本的に休まない。


 でも、去年と言い今年と言い。


「おお、お帰り」

「うわ、真っ黒。日焼け止めぐらいしなさいよ、シミになるわよ?」

「ならんて。秋になったら元通りだ」


 どうしてだろうか。

 最近はちょくちょく休みを取るようになってきた。



 ……明日からの一泊旅行に備えて。

 凜々花の酔い止めになる、梅干しを買って戻ってみれば。


 居間に荷物を広げて。

 やたら小さなバッグに詰め込もうとしているお袋の姿。


 お袋の車とはすれ違ってねえから。

 スーパーに入ってる間に来たのかな。


「まったく。そんなに休めるんだったら、昔から休んでどっかに連れて行ってくれたら良かったんだ」

「あんたは分かってねーわね、若いうちはがむしゃらに働くの。入社三年までで生涯年収が決まる。その後五年で社内ヒエラルキーが決まる」

「そんなこた、お袋の上に乗ってるヤツにゃどうでもいい話だ」

「ほんと。これ、どうやって引っぺがせばいい?」

「十数年前の自分に相談して来い」


 小さな頃から、お袋とあんまり接してない凜々花は。

 ひっつき虫に育ってしまった。


 だからこうして、お袋が帰って来るたんびに。

 背中によじ登る。


「凜々花、あんた重たくなったわね。首がもげそうなんだけど」

「あんな? 凜々花も掴まりにくいなーって。頭の上にかぶさらねえと掴まってらんない」

「もうじきよじ登られなくなると思うと、嬉しいやら寂しいやら」

「寂しがるこたねえよ? 凜々花、ババアになってもママによじ登るよ?」

「…………嬉しいやら寂しいやら」


 今まで飄々としてたお袋の表情が。

 最後のセリフと共に一瞬曇る。


 安心しろよ。

 寂しがる必要なんかねえ。


 だって凜々花は。



 やると言ったら必ずやる女だからな。



「ほら、凜々花。お袋が荷造りできんから一旦剥がれろ」

「えー!? じゃあ、おにいが代わりにやったんさい」

「いいわね。あんたがやったんさい」

「自分でやれ」


 ふざけんな。

 なんで俺がそこまでせにゃならん。


 でも、俺はいつも通りの塩対応したつもりなんだが。

 どうしてだろう。


 お袋がきょとんとしたまんま。

 こっちを見上げて来るんだが。


「…………どうした」

「あんたも、変わった?」

「は? 変わってるってなんだよ」

「そうじゃねえわよ。成長したって言ってるの」


 そう言いながら立ち上がったお袋が。

 手を頭の上に乗せて背比べしてるけど。


「やっぱり。伸びたわね、また」

「凜々花の頭の位置で比べて分かるのか?」

「あたしの目の高さ、あんたの鎖骨の上だったのに。今は下に来てる」

「手で比べた意味」

「うんうん。あたしはもう変わらないけど、立哉も毎日変化してるのねー」

「お袋が縮んだ説」

「背の話だけじゃなくてさ。言葉遣いも変わってる」

「変わってねえよ」

「だっての」

「は?」

「あんたの口癖」


 口癖がそうそう変わるわけあるか。

 俺は何にも変わってねえぞ?


 お袋のヤツ、なに言ってんだ。…………っての。




 あ。



 ほんとだ。




 いつからだろう。

 俺、言わなくなってる気がする。




 でも、なんか。

 当てられたことが妙に恥ずかしいから。


 黙っておこう。



「滅多にしゃべらねえから最近聞いてねえだけだっての」

「そう?」

「そうだよ」


 誤魔化すにはちょうどいい。

 俺は、お袋の服をバッグに詰め込んで。


 とっとと終わらせて自分の部屋へ逃げようとしたんだが。


「入るわけあるか!!!」

「やっぱそうよね」


 散らばってる荷物の三分の一も入りゃしねえよ!

 何泊する気だ一体!


「しょうがないわね。じゃあ、厳選するか……」

「いるものはバッグの右。いらないものは左」

「はいはい」


 そう呟きながら、お袋が最初に手にした日焼け止め。

 俺も納得だが、当然のように右に置くと。


 そうだな、お前は使わんよな。

 お袋の頭の上から手を伸ばした凜々花が左に置く。


 次に手にしたのはピクニックシート。

 それを左に置くと。

 頭の上から伸びて来た手が右に置く。


「さあできた! ……あら? 随分間引いたつもりだったんだけど。なんでこんなに?」

「お袋の深層心理がそうしたんだ」

「深層心理が? ……怖いわね」

「こわかねえぞ? 今もVサインしとる」

「しょうがない、もう一回やるか」

「それ、首の筋力が限界迎えるまで一生続くから。車なんだし、全部持って行けばいい」

「そうはいかないわよ。あんた達も、荷物は少なめにね?」


 少なめ?

 どういうことだ?


「帰りの土産物の心配か? 大量に貰っても、俺たちの足元に詰めれば問題ねえだろ」

「そうはいかねえでしょ。一応、ワンボックス借りて来たけど」

「ワンボックスぅ!?」


 そういや、梅干し買い行くときすれ違ったな。


「いやいや、四人で一泊で! 帰りにどんだけ野菜貰って来る気でいるんだよ!」

「そうね、いつもより少なくねって言っとかないと……」

「どゆこと?」

「…………え? あんたが言ったんじゃないの?」

「なにを」

「日本人の盆は田舎に行くもんだって」

「え? ……え? 何の話?」


 まったく意味の分からないお袋の言葉に。

 ずっと眉根を寄せたままでいると。


 なにやら、すべてを悟ったお袋が。

 ほうほうなるほどねと、三度頷いた。


「あんたは覚えてない、と」

「だから何をだよ」

「それで私に直接連絡入れて来たってことは……、ふむふむ」

「おい、教えろって」

「とにかく荷物は少なめに。六人乗ったらそれなりぎゅうぎゅうなんだから」

「六人?」


 六人ってことは、二人増えるのか。

 叔父さん夫婦か従妹あたり?


 でも、俺が誰かに何かを話したってことになってるけど。

 一緒に乗るような親戚と、最近話したことなんかないぞ?


「…………あんた。まだ分からないの?」

「分からないって言うか。俺は誰にも話してねえぞ、里帰りの事」


 そんな返事に、お袋がため息をつくと。

 凜々花も一緒に眉をハの字にさせてため息をつく。


「やれやれ、成長したかと思ってたけど、鈍いところは変わらないのね」

「鈍いも何も。ほぼノーヒントじゃねえか」

「こりゃだめだ……。あんた、ちょっとは頑張りなさい」


 変化した。

 成長したと。

 さんざん言われたのに評価が一変。


 まったく成長していないと言われた俺は。

 ムッとしながら呟いた。


「二人って。誰だっての」


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