バルーンの日


 ~ 八月六日(金) バルーンの日 ~

 ※魚目燕石ぎょもくえんせき

  みてくれは似てるけど

  中身はまるで違う無価値なもの




 人間、後輩ができると。

 がらっと変わるものだったりする。


 責任感に目覚め。

 熱心に動き。

 まじめなことを語りだす。


 これは、ひょっとすると。 

 生き残り、種を残すための。

 動物の本能なのかもしれない。


 今までよちよちと歩いていた雛鳥たちも。

 ひとたび、自分より小さな雛が生まれたら。


 歩き方、飛び方、エサのとり方。

 今度は、教える側に回るのだ。



「俺は、まだ若いってことかな」

「いいから、レジはぼくに任せて先輩は他のとこ行ってください!!」


 自然の摂理よ。

 動物の本能よ。


 教えてくれ。


 生まれた瞬間から俺より高く飛べる朱里を見た俺は。


 どんな顔をするのが正解?



 俺が二人さばく時間で、三人は軽く対応できるうえに。

 だれもがまた来ようと心に誓うその笑顔。


「でもな、朱里よ。俺、他に行き場所が無いんだよ」

「にやんとこは?」

「カンナさんと経営方針決めててな? 追い出された」

「ゆあんとこは?」

「せっかくピカピカになった皿が、俺が触った瞬間曇ったらしくて追い出された」


 うん。

 その顔、二人にもされたんだ。


 苦笑いって、時に涙を誘うよな。


「お前ら、昨日はヘルプヘルプ騒いでたのに」

「そりゃ昨日の話じゃないですか」

「そうな。今日になったら急に暇になったからな」

「じゃあ、舞浜先輩んとこ行ってくださいよ。二人でがっつりお客様を集めて、また昨日みたいにヘルプヘルプって言わせてください!」


 なるほど。

 秋乃のとこか。


 でも、あそこもすっかり俺の居場所じゃなくなったんだよな。


 肩を落として外へと向かう俺の背に。

 憐憫のまなざしが突き刺さる。


 そんな視線から逃げるように。

 あるいはあっちに行けと押されるように。

 俺は立ち慣れた店頭に出たんだが…………。



「やっぱり俺の居場所がねえ」



 ――男の子に風船をあげると。

 お母さん共々ご来店。


 おどけて踊る、そんなピエロは。

 舞浜まいはま秋乃あきの


「どうした……、の?」

「お前、ほんとに自分の居場所に染め上げやがったな」


 適材と言えば適材。

 スイッチさえ入れれば、誰かを笑わせる名人という秋乃だ。


 仏頂面で立ちっぱなしの俺と違って。

 手を変え品を変え。

 集客の工夫に余念がない。


 ……こうして、差を目の当たりにされると。

 自分の不真面目な職務姿勢が浮き彫りにされて。


 胸に湧き上がる悔しさ。

 そして次第にそれが。

 腹立たしさに変わる狭量な俺。


「ちょっとその風船一個寄こせ」

「うん」


 お前が被ってるピエロのお面。

 子供には、ちょっと怖いんじゃねえのか?


 俺は、秋乃から黄色い風船を一つ取り上げて。

 こいつが一組の親子の前で踊る姿を横目に。


 俺んちの駐車場から、お母さんと一緒に俺たちを見つめていた女の子の元に近寄った。


「ほら。これあげるよ」


 凜々花のおかげで。

 子供の、あれ欲しいってサインはよく分かる俺だ。


 この子は間違いなく。

 風船を欲しがってた。


 ……でも。


 お母さんのスカートに。

 両手でつかまって。


 お母さんを見上げたまま。

 首を横にフルフル。


「大丈夫だって。お母さんだって怒ったりしないぞ?」

「いいのよ? もらったら?」


 お母さんに言われても。

 首を横にフルフル。


「……やっぱ、遠慮してるだけなのかな。俺には、欲しい欲しいオーラがばっちり伝わってきてる」

「あら、うちの子からそんなもの出てるの?」

「妹いるんで。……ほら、これはお前のだ」


 そして、強引に小さな手に風船を握らせたんだが。


「……あれ?」


 どういう訳だろう。

 しょんぼりしちまった。


 俺のセンサー。

 ちゃんと働いてたと思ってたんだが……。


「あ……、ちがうちがう」


 そして、他の親子の相手をしていた秋乃が。

 仮面を外しながらのこのこ寄ってくるなり。


「はい」


 女の子に風船を渡すと。

 この子は嬉しそうに受け取って。


「なんで!?」


 お母さんを見上げて。

 前歯が一つ抜けた、可愛い笑顔を浮かべると。


 こんな素敵な笑顔をくれたお礼にと頭を下げるお母さんにひかれて。

 お店の中へ入って行ったのだ。


「…………え?」

「ん?」


 世の中、ルックスが最も大事とよく耳にするが。

 ここまでの差、ある?


「俺はもう、生きる気力を失いました」

「どうして……?」

「どうしてもこうしても。なぜゆえお前から貰ったらあそこまでの笑顔」


 俺が、涙目を自覚しながら思ったままのことを口にすると。


 秋乃はにっこり微笑んで。

 トリックを教えてくれた。


「あたし……、どうしても欲しくて。列の後ろまで二度並び直したら、風船が無くなっちゃって大泣きしたことがあるの」

「…………ん? …………ああ、なるほど」


 そっか。

 なるほど、そういうことか。


 そう言われてみれば。

 俺もそうだったな。


「よく分かったな」

「あたし……、女の子だから、ね?」


 俺だって男の子だろうが。

 条件はいっしょ。


 単純に、お前は気付けて。

 俺が気付けなかっただけの話。


「しょんぼり、した? 風船いる?」

「いらんわ。……みんな、それぞれの技能があって、なんだかへこたれ中なだけ。俺の居場所はどこにも無いのかもしれん」


 すっかりへこんだ俺に。

 秋乃は、しばらく入道雲を見上げながら考え込んでいたかと思うと。


「……十人十色、だよ?」


 今の俺には。

 それなり救いとなる言葉をつぶやいた。


 そうだよな。

 十人十色、だよな。


「色々いるから、良いってことか」

「ううん?」

「え?」

「立哉君へのヒント」

「…………どゆこと?」

「じゅうにんといれ」

「うはははははははははははは!!!」


 ああ、そうな。

 ひとまず、そこから始めよう。


 大笑いしながらトイレ掃除へ向かった俺は。

 列に並んだ女の子の笑顔をもう一度見つめて、気合いを入れ直した。


 自分が、みんなより頑張ることも大事だけど。

 なにより、こんな笑顔を増やせるように心がけよう。



 俺のターニングポイントになるかもしれない、女の子の笑顔。

 その隣には、ピンク色の風船が楽しそうに揺れていた。

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