やっこの日


やっこの日

 ~ 八月五日(木) やっこの日 ~

 ※泡雪豆腐あわゆきどうふ

  やらかく作った豆腐。

  あるいはそれに葛餡をかけた料理。




 バイト先は。

 忙しい方が幸せか。

 暇な方が幸せか。


 身の回りの意見と自分の感覚。

 情報源が少ないから、一般的じゃないのかもしれないが。


 俺が思うに。

 こればっかりは、隣の芝生。


 楽なバイトをしてるやつは。

 時間を長く感じて。

 バイト代が割に合わないと言うし。


 忙しいバイトをしているやつは。

 他人の仕事量を聞いて。

 ふざけるなと憤慨する。


 仕事というものは。

 とかく、自分が損しているように感じがちで。


 と、言うことはつまるところ。

 とらえる人次第で評価が真逆になることがそこいらじゅうにあるって話だ。


 そんな評価の基準として。

 俺は、人間関係というものが極めて重要なんじゃねえかと考える。


 優しい先輩。

 楽しい仲間。


 そして、頼りがいのある。

 人生の目標とすることができるような、立派な上司がこの店に…………。


「うぉい! バカはまぁ! 酌しろぅ!」

「え、えっと、これ、法律……?」

「よく知らんが、アウトな恐れがあるから無視しろ無視」


 立派な上司が。

 この店にはいない。


「カ、カンナ君? あのね、昨日忙しい中五人まとめて休んだ腹いせだからって、それはやりすぎだと思うな……」

「うっせえぞあほんだらぁ!! これのどこが問題あるってんだ!? あぁん?」


 問題か。

 問題があるとしたら、二つのうちどっちか。


 ハンバーガー屋のキッチンにビーチベッド持ち出して。

 水着でビールあおってるカンナさんが間違っているのか。


 あるいは、この店が間違ってカンナさんのプライベートビーチの真上に建っているかの二択だな。


 そんなカンナさんを見て。

 おろおろしているこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 思えば、こいつのせいで今の事態が発生しているわけだが。


 収拾をつけるどころか、火に油になりそうだ。

 俺はひとまず、こいつを長蛇の列が待ち構えるレジへ放り込んできた。


「おら! 保坂んとこのバカ兄貴の方!」

「なんだ酔っ払い」

「昨日迷惑かけたわびに、キリキリ働けぇ!」

「そこまでやさぐれるほど忙しかったのかよ」

「てやんでいちきしょうめ! あたしはなあ、かつてない速さで一人で二台のレジ同時に打って……」

「同時に打てるわけあるか」

「しかもカメラに映らない程のスピードでドリンク淹れてバーガー運んでたら、気付いた時には自分に手渡されたドリンクとバーガーをトレーに乗せて客に渡してたんだぞ!?」

「こわ。後で防犯カメラ見ておこ」


 なにその怪奇現象。

 四人に分裂してんじゃねえか。


「だから今日は、あたしは休業!」

「それで南国リゾート気分か」

「お前らと違って、夏はまともに遊べやしねえんだ! これがあたしの夢だよ、夢! おい、バカ兄貴! 南国リゾートっぽいつまみ作れぇ!」


 とんだ人生の目標とすることができるような立派な上司だが。

 気持ちは分かる。


 しょうがねえから、今日は甘やかしてやるか。


「おせえぞ店員! つまみだつまみ!」

「やれやれだぜ。雛さん、こういう時はどうしたらいいんですか?」


 俺は、キッチン担当の先輩。

 いつもクールな雛さんに助言を求めたが。


 料理にひたむきな彼女から。

 信じられない返事が返って来たからさあ大変。


「私が冷ややっこでも出しとくから。保坂は仕事に戻れ」

「冷ややっこ……、でも?」

「なんだよ」

「冷ややっこをバカにしちゃいけねえ」

「うわ面倒な地雷踏んだ」


 面倒とはなんだ。

 それでも料理人か?


「いいか? 美味い豆腐を味わうためには、豆と水と製法。そして最適な気候と長年培ってきた技術が必要だ」

「どうしようこれ。邪魔なんだが」

「豆腐それぞれには食べるのに適切な温度、選ぶ薬味と刻み方、醤油のセレクトがある。そのバランス一つで白黒が変わるわけだ」

「白だよ、豆腐は」

「その語源として、槍持奴やりもちやっこのはんてんに描かれた四角い釘抜紋の色形が豆腐に似てることから……」

「うるせえ!! もうだまれ!!」


 いや。

 まだまだ足りねえぜ。


「いいか? 冷ややっこってものは、もはや料理の域だ。それを安っぽい品みたいに言いやがるとは……」

「じゃあ、保坂が作れ」

「しまった」


 身から出た錆とはまさにこのこと。

 でも、それならちょうどいい。


 俺は、試作品のために買っておいた泡雪豆腐を冷蔵庫から取り出して。

 そこにかける餡を作るために鍋を火にかけると。


「おせえぞバカ兄貴! やっこなんてそのまんまで十分なんだよ!」

「お前までなんだ!?」

「うるせえ! 上司の教えは絶対だ! 今すぐもってこい!」

「ぜってえやだね。お前の教えだけは何があっても聞くことはねえ」


 そしてにらみ合う俺と酔っ払い。

 でも、こいつに趣向を凝らした料理食わせるのイヤになって来たな。


 実にもったいない。

 だったらいっそ。

 昨日、俺を慕ってくれていると分かった三人娘に食わせてやるのも……。


「にょーーーー!! ちょっと先輩!!」

「なんだ?」

「レジ!! ヘルプ・レジ・ミー!!」

「ああ、今のは……」

「通訳してる場合か!」


 うわわ。

 遊んでる間に大変なことになってる。


 レジ待ちのお客さんたちが暴動寸前だ。


 俺を慕ってくれている。

 朱里のためにも。

 すぐに助けてやらねえと。


「今行く!」

「せ、先輩。私のヘルプもお願い……」

「え!?」


 そしてレジに駆け込んでみれば。

 丹弥が、大量のドリンクオーダーに半べそかきながら対応してる。


 俺を慕ってくれている。

 丹弥のためにも。


 俺がそんな思いを胸に、レジを打ちながらドリンク淹れを手伝い始めた所へ。


「にゅーーーー!! にゅーーーー!!」

「今度はお前かよ!?」


 通訳なんかいらねえ。

 フロアの清掃が追い付かねえんだな?


 俺を慕ってくれている。

 にゅのために……。


「た、立哉君!」

「無理だよなんなん!?」


 さすがに限界だ!

 でも、他にもう仕事ねえだろ?


 秋乃は何を思って俺を呼んだのやら。

 声がしたキッチンの方へ振り返ると……。


「お、お鍋が、真っ黒こげ……」

「うわしまった!!!」


 カンナさんに出そうとしてた餡を忘れてた!

 焦げ付いた鍋なんて、そのままにしてたら香りが他の物に移る!


 でも、レジもドリンクもフロアの掃除も。

 どれも優先度が高い。


 ……かくなる上は!!!


「カンナさん!! 四体分身の術を今すぐ伝授してくれ!!!」


 俺は、酔っ払いに土下座して。

 教えを乞うことにした。



「さ、さっき、教えてもらわないって言ってたのに……」

「うるさい! お前も手伝えよ何やってんの!?」

「カ、カンナさんにおつまみを……」

「そんなもんに時間かけるな! 冷ややっこでも出しとけ!」

「あはははははははははははは!!!」



 ……何がおかしいのかわからんが。

 珍しく、俺の一言でこいつが笑ってくれた。




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