ハーブの日

 ~ 八月二日(月) ハーブの日 ~

 ※大人虎変たいじんこへん

  ころっとすぱっと、善い方へ

 態度を改めること。

  日本では逆の意味の方が一般的。




 初めてのバイトで。

 誰もが通る王道ルート。


 始出勤の緊張感。

 仕事が始まってからの高揚感。

 一日の仕事が終わった時の達成感と。

 帰り道で感じる充実感。


 そして。


「にゅ……」

「ゆあもか。私も同じで、昨日は家に着いたら倒れこむように寝ちゃったよ」

「疲労感ね」


 二人が口にするそれも。

 初めての仕事につきものの現象だ。


 給料をもらう行為。

 責任のある仕事。


 慣れない環境で、丸一日気を張っていたから。

 仕事が終わった瞬間、まるで糸が切れたように倒れこむ。


 俺の場合、そこまで疲れはしなかったけど。

 でも、どこかに遊びに行こうなんて気は起きなかったな。



 ……こいつみたいには。

 


「先輩先輩! 先輩のおうち、帰りに寄っていいですか?」


 丹弥とにゅの腕を掴んで。

 朱里が、俺の元に駆け寄って来たんだが。


 まず、その二人は放してやって欲しいし。

 しかも、とあるルールのせいで、お前の願いはかなわない。


「ダメだ。遅番の時は、まっすぐ家に帰れ。寄り道も許さん」


 たまに例外も認めてくれるが。

 基本的にこのルールについては絶対守れと言ってくるカンナさん。


 客の引けた店内。

 この店において、高校生が居られる限界、九時まであと数分。


「えー!? せっかく先輩の家の真ん前でバイトしてるのに!」

「今度、全員早番にしてやるから。そんとき遊べばいいじゃねえか」

「四時間ぐらいしか遊べないじゃん!」


 誰に対しても、同じように接する朱里なんだが。

 カンナさんに対しても堂々たる態度。


 ……怖くないのかお前?


「なんも分かってねえなあ、ちょびすけは」

「そのあだ名、やめて欲しいです……」

「あたしの一日、教えてやろうか? お前、月曜から金曜は遊んでるんだろ?」

「うん」

「おい」


 勉強せい勉強。


「で、土日にバイトするわけだ」

「バイト、楽しいです! でも結構くたびれるから、学校始まったら、バイトの疲れを五日で癒す感じになりますね!」

「それが大人になったら逆だからな」


 まあ、そういう事だ。

 大人は五日働いて。

 二日休む。


 本当は、五日勉強して二日仕事するわけなんだが。

 朱里にはこの言葉が随分と刺さったようで。


 大人は大変だとか、本気で驚いて。

 店内にいるお客さんをくすくす笑わせていた。


「それが普通なんだよ。分かったか、ちょびすけ。だから、遊ぶのはせいぜい二日。休みの日に遊ぶようにするんだ」

「でもでも、ちょっと分かんないんだけど……」

「どこがだよ」

「だって、ぼく、まだ大人じゃないから。子供なんだから、たっぷり遊びたい」


 朱里の意見ももっともなんだが。

 カンナさんは、こういう時は面倒だ。


 なんせ、本心なのかおべっかなのかは知らねえが。

 上手いこと俺たちのプライドをくすぐって。

 大人の意見を押しつけて来やがるからな。


「いいか? お前は、この店の売り上げに貢献して、その対価を貰ってる身なんだ」

「うん」

「あたしは、バイトの高校生を大人だと思って接しているんだぜ?」

「……おお」


 あっという間にたなごころ。

 朱里が、大人扱いされて。

 カンナさんの持論を受け入れようとし始めてる。


 まあ、あながちマイナスになる話でもねえから。

 ここは黙って聞いといてやるか。



 丹弥もにゅも。

 大人と言われて悪い気はしないようで。


 朱里と並んで、カンナさんの言葉に聞き入っているようだが。


「親御さんが信頼してお前らを預けてくれてる以上、帰りの時刻に制限は設けているが。でも、働いてもらって金を払ってるからには……」


 そんななか、一人。

 手にした品をどうしたらいいか分からずに。


 おろおろわたわたしてるのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


「…………子供みてえな落ち着きのなさ」

「凜々花ちゃんが、いらないからくれるって言ったんだけど……、あたしもいらない……」

「うはははははははははははは!!! なんでもかんでも貰うな! 子供か!」


 かたや、子供みてえな連中への大人談義。

 かたや、大人みてえな見た目の女が子供みてえな真似してる。


 思わず大声で笑ったせいで、カンナさんの話の腰を折っちまったらしい。

 みんなは、秋乃が貰ったという品に興味が移ったようだ。


「何を貰ったんです?」

「ハ、ハーブのお香…………」

「大人アイテム!!」

「うん。やっぱり、舞浜先輩は大人だ」

「にゅ」


 いやいや。

 こいつ、子供みてえなことしてたんだけどな。


 でも、否定したら一斉砲火間違いなし。

 今は大人のレディーによる大人トークの時間だから。


「どんな香りなんですか?」

「お、お店の中だから、ちょっとだけ……、ね?」

「ほうほう。オリエンタルな香り? って言うの?」


 うわ、突っ込みてえ。

 でも我慢我慢。


「いいね、これ。落ち着くかも」

「にゅ」


 カンナさんにより、大人洗脳された拗音トリオが。


 いっちょ前に、お香の感想なんか言ってやがるが。


「カンナさんは興味ねえの?」

「あたしはいいや。大人レディーズで分ければいいじゃねえか」

「ほんと!? 貰っていいの?」

「う、うん。欲しいなら、貰ってくれると嬉しい……」

「にょーーー!! やった! これで大人の仲間入り!」


 そうかあ?

 と、いつもなら突っ込むところだが。


 ほんと、今日は堪えろよ、俺。


「なんてお香?」

「にゅ」

「えっとね、サン……、えっと……」

「サンダルウッドだな」


 前に、嗅いだことがある。

 リラックス効果があるハーブだ。


「おお! 先輩、大人男子!」

「そ、そうか?」

「うん。ハーブの香りが分かるって、なんか大人」

「にゅ」

「ま、まあな! ちょっと昔、使ってたことがあってな!」


 おお、今までバカにしてたけど。

 大人扱いされると浮足立つもんだな。


 調子に乗って、俺にも分けろとか話に混ざると。

 ぼろが出そうな質問が朱里から飛び出した。


「どんな効能があるんです?」

「ん? ああ、そうね。正確なところ知らないから、携帯で調べてみるか」


 あぶねえあぶねえ。

 なんとか体裁を取り繕うことに成功。


 俺は、秋乃に目配せすると。

 こいつはポケットから携帯を取り出して。

 音読し始めた。


「ち、鎮静作用により、深い落ち着きをもたらします」

「ほうほう」

「なるほど」

「にゅ」


 三人の反応に。

 カンナさんも興味をひかれたよう。


「ちょうどいいじゃねえか。大人の女性らしい落ち着く香りってことか」

「だよね!」

「うん」

「にゅ」

「それで? 他にはどんな効果があるんだ?」

「え、えっと、肌をやわらかくし、スキンケアでも人気があります」

「なんだ、どれもこれも、おまえら大人の女性にぴったりじゃねえか」

「ほんと!」

「ね」

「にゅ」


 ここぞとばかりに、大人大人と連呼するカンナさん。

 さっきの演説の、いい援護射撃を受けてご満悦。


 三人組も、すっかり大人気分に浸って。

 お香の香りを箱越しに楽しみながらうっとりしていたんだが。



 秋乃が読んだ、最後の効能を聞いて。

 大人の時間は強制終了。


「あと……、催淫作用があり、女性の媚薬として……? ふんぎゃあああ!!!」

「うはははははははははははは!!! 今日いち、大人な効果が出たっ!!」


 読んでから声に出せよ何やってんだよ!

 ああ、腹いてえ!


 秋乃の反応も。

 途端に、顔を真っ赤にさせた三人も面白かったんだが。


 一番笑ったのはこいつの一言。


 三人組から、お香を取り上げたカンナさんは。

 店の外にも響き渡るほどの声でこう言った。

 

「お前ら子供にはまだ早い!」

「うはははははははははははは!!!」



 そうな。

 お前らは、まだ発展途上ってことで、


 今日の所はしまいにしようか。


「…………立哉君も、欲しがってた?」

「へ?」

「これ、欲しがってた?」

「…………客寄せ、行って…………」

「ダメだ! 就業時間過ぎてんだろうが!」



 唯一の逃げ先を失った俺は。

 ジト目でにらみ続ける秋乃から。


 ずーっと問い詰められることになった。

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