菜っ葉の日
~ 七月二十八日(水) 菜っ葉の日 ~
※
悪い評判は。
あっちゅうまに広まる。
土がたっぷりと含んだ水分が空気中にあふれ出す夏の朝。
水蒸気の質が違うのだろうか。
都会で感じていた鬱陶しさとは真逆に。
ここでは清々しく感じる。
自然の恩恵。
本当の、人の暮らし。
都会との違い。
でもすでに。
これが俺の日常。
そんなことを考えながら、気持ちよく進めた今日の第一歩。
それが十を数える前に。
俺は、舗装道路へと崩れ落ちた。
「フラグ回収…………」
見知った顔が。
オープン前の店の中。
制服に身を包み。
照れくさそうに、携帯で記念撮影されていた。
「…………なぜ」
「あ! おはようございます先輩!!」
言わずと知れた特攻隊長。
にょ、担当のこいつは。
「なぜ」
「先輩んとこのお向かいさんで、バイト募集してるって舞浜先輩に教わったんで!」
「なぜ」
「ほんとですよね! なんで採用試験に合格したかよく分からないんですよ!」
「そしてなぜ!!!」
「さ、三人娘の成長記録……」
後輩と一緒に働きたい。
きっとそんな思いで、悪の道へ引きずり込んだ張本人。
自分の分と朱里の分。
二つの携帯両目に当てて。
鼻息荒く三百六十度から撮影中。
開店を間近に控えているってのに。
とっとと仕事しろ。
「おお、遅かったな。新人研修あるんだから早く来いって言っといたろ?」
「ひ・と・こ・と・も! 聞いとらんわ!」
スタッフルームから出て来たカンナさんが。
俺の返事に、しばらく眉根を寄せてたかと思うと。
「あ、そっか。お前にバレたら、来ねえように説得されると思ったから……」
「最悪な理由だな。それより、こいつの採用理由」
「伝統だから」
「納得できるか!」
「ぼくも、採用理由がよく分かってないんですけど。うるせえから採用ってどういうことです?」
「そのまんまだ。お前はうるせえの担当」
「はい!! 得意なので頑張ります!!!」
「もうどっからどう考えても納得いかねえ……」
なんだこの店。
ほんとに考え無しとしか思えん。
でも、頭を抱えてる場合じゃない。
秋乃がこの調子だからな。
俺が指導しねえと。
「ほれ。それじゃ、レジの打ち方教えるぞ。一回で覚えろよ?」
「にょーーー!! 先輩がまともに見えます! ちょっときゅんきゅんしちゃいましたけど、その手で何人の後輩女子をたぶらかしたんです!?」
「……いっ・か・い・で。おぼえろよ?」
「御意」
こいつは調子に乗ると、ひとの話聞かねえからな。
実際にレジ打たせて体で覚えさせよう。
俺は、フロアの側に回って。
お客の真似事だ。
「大体わかるだろ? まず、自分のナンバーをレジに入力して」
「こうですか?」
「そして、定番の御挨拶だ」
「い、いらっしゃいませ! ワンコ・バーガーへようこそ! 店内をご利用でおじゃりまするか?」
「……緊張し過ぎ」
とは言え、ほぼほぼ完ぺきだ。
これは期待が持てる。
「じゃあ、ハンバーガーとアイスコーヒー」
「はい! ご注文ぶり返します!」
「意味は通るけど」
褒めたらこれだ。
「ハンバーガーとアイスコーヒーですね? ご一緒に、ポテトもいかがですか?」
「いい感じなんだが、三つ間違ってる」
「なんと! 教えてください!」
「まず、セットにしたらお得だからサイドメニューはいかがですか? って聞く」
「ふむふむ! 得だよって、言う」
「次に、今のおすすめサイドメニューは、ほうれん草のバターソテー」
「ふむふむ! 今のおすすめは、菜っ葉」
「最後に……、秋乃がお手本を言います」
「ご、御一緒に、ポテトもどうぞ」
「どうなってんですかこの店!?」
懐かしいな。
一年前の俺も、同じセリフ口にしたよ。
「タダなんだよ、ポテト」
「はあ……」
「後は、注文をバーコードで読み取って」
「ハンバーガーとセットをピッ」
「会計ボタンを押す」
「おお! 完璧です!」
確かに飲み込みはええな。
秋乃が既に追い抜かれてる気がする。
でも、それじゃ今後の上下関係に響くだろう。
ここは、先輩の凄さを見せておかねえと。
「今のは簡単なパターンだから。特殊な例はいくらでもあるから気を抜かないように」
「例えばどんなのです?」
「じゃあ、秋乃がレジに立て」
……おいおい。
ガッチガチじゃねえか、大丈夫か?
「い、いらっしゃいませ。店内でお持ち帰りですか?」
「税金余分にかかるわ」
朱里がけたけた笑ってるけど。
ほんとしっかりしろよ。
「ベーコンレタスサンドをケチャップソースで。ピクルス抜き、レタスをキュウリにチェンジ。包装紙の代わりにラップで包んでくれ」
「ご、ご注文を繰り返します。ベーコンレタスサンドをてりやきソースで。レタス抜き、ベーコンをハンバーグにチェンジ。食パンの代わりに通常のバンズでよろしいですか?」
「いいわけあるか」
てりやきバーガーができとるがな。
「ご、ご一緒にドリンクはいかがですか? 今でしたら、期間限定でてりやきバーガーがお勧めです」
「畳みかけるね」
「サイドメニューは、こちらのてりやきバーガーからお選びください」
「三個目」
「サービスてりやきバーガーをお付けして、五百円に…………? 大赤字?」
「うはははははははははははは!!!」
てんぱった秋乃による大盤振る舞い。
俺と朱里が大笑いしていると。
本日最初のお客様がやって来たんだが。
それに真っ先に反応したのが……。
「いらっしゃいませ! 店内でお召し上がりですか?」
「まじか」
勝手に接客を始めた朱里。
失敗したらフォロー入れねえと。
「えっと、持ち帰りで。プルコギライスバーガーとアイスウーロン茶」
「はい! セットにするとお得ですが、サイドメニューはいかがですか? 今だと、菜っ葉がお勧めです!」
「は?」
「あ、間違えた! なんでしたっけ、先輩!」
「ほうれん草のバターソテーでございます。暑い季節に負けない栄養バランス。包みのまま食べられるようになっています」
「じゃあそれも」
「はい! ありがとうございます! 五百円になります!」
いやはや。
大したもんだ。
厨房へのオーダーの通し方も。
ドリンクの淹れ方も。
なにも分からないのに。
堂々として丁寧。
完璧な接客だ。
しかも、俺がキッチンへオーダーを通して。
ドリンクを淹れてレジへもっていくと。
にっこにこの朱里を見て。
お客さんも、表情を柔らかくしていた。
「なあ、店の情報、書き込みしてもいい?」
「はい! 素敵に宣伝しておいてくださいね?」
「ああ。菜っ葉の話も書いておこう」
「ひえええ! それは勘弁してくださいお客様!」
「あ、それいいですね。逆に、菜っ葉の正体が何か内緒にして頂けたら助かります」
「オッケー。また来るよ」
「あ、ありがとうございました! ……ちょっと先輩! ぼくの失敗広めないで下さいよ!」
大丈夫だって。
お前の失敗のおかげで、今日も忙しくなりそうだ。
……とは言え。
いつもと違って誰も来ねえな。
スタートダッシュがこんなに暇なの、珍しくねえか?
首をひねる俺の後ろから。
店長が顔を出してきたんだが。
朱里の手際を見ていたようで。
随分ご機嫌だ。
「保坂君が連れて来てくれたんだって?」
「いや、違うんですけど」
「謙遜しなくていいよ、助かるよ。それより、お客さん全然来ないね。客引きをお願いできるかな?」
「俺が大っ嫌いなの知ってるでしょうに。そもそも、そしたら誰がレジを……」
「いらっしゃいませ! ワンコ・バーガーへようこそ! 店内をご利用でおじゃりまするか?」
「ぷっ! ……おじゃ?」
「し、失礼しました! はずかし……」
「可愛い店員さん! お薦めはある?」
「はい! 本日のおすすめは……」
終始笑顔のお客様。
彼女も、早速携帯を取り出して。
SNSで拡散し始めた。
「おじゃるの店員さん、と」
「ひやああああ!! は、恥ずかしいよー!」
顔を真っ赤にさせた。
スーパーレジ係、爆誕の瞬間だ。
「……レジは、大丈夫そうだね」
「客寄せはしませんよ?」
「昨日の悪評のせいで、今日は売上減りそうなんだ」
「悪評? 何のことです?」
俺の疑問に。
返って来たのは店長のスマホ。
そこには。
店員による、『まずい』からの『こんな店潰れる』宣言について赤裸々な書きこみがあった。
「客引き、行ってきます」
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