第5話 今日という日を忘れない
ナビが示すのは、国道十六号線をまっすぐ南下するルートだった。
途中、線路と交錯するところで左に折れ、そのまま線路沿いをまた一直線に進めばいいらしい。
よかった、直線が多くて運転が楽そうだ。
……と、思うじゃないですかー。
実際は、そんなに簡単な話でもなかった。
まず、直線が多いからか、運転に慣れている人たちが車をビュンビュン飛ばしてくる。それに、主要道路だけあって大型トラックも多く、圧迫感がものすごい。
だから、ハンドルを握る手にも、肩にも、つい力が入ってしまう。
「律くん、大丈夫? ゆっくりでいいからね」
僕の緊張が伝わるのか、綾さんが優しくいたわってくれた。
「大丈夫です。それと、ありがとうございます」
「ん? なにが?」
「となりにいてくれて。おかげですごく安心します」
本音だった。
綾さんがとなりに座っていてくれる。ただそれだけで、僕は幸せな気持ちに満たされてしまう。
「ねえ、律くん」
「なんですか?」
「チューしよっか」
キキーッ! 動揺のあまり車が蛇行し、あわててブレーキを踏んだ。
赤信号で止まり、青い顔を見合わせる。
「綾さぁん」
「ご、ごめん律くんっ」
運転中にそんなことを言い出すなんて。
綾さんの誘惑に勝てるわけないじゃないですか。
でも、残念ながら今は少しも余裕がない。
千葉ニュータウンの近くに差しかかると、道路沿いに大きな商業施設が一気に増えてきた。
「律くん。ちょっと休憩していこうか」
綾さんのさりげない気づかいが嬉しい。
僕たちは、偶然通りかかったスーパーに立ち寄った。
「意外と混んでいますね、駐車場」
「しょうがない。そこに止めさせてもらっちゃおう」
綾さんが指さしたのは、障害者用の駐車スペースだった。
「いいんですか?」
綾さん、障害者と見なされるのを快く思っていないんじゃ?
「いいんじゃない?」
それなら、と店の入り口にほど近い駐車スペースに止めてしまう。
綾さんはゆっくりと車を降り、んーっ、と大きく伸びをした。
「ほんとうは、私なんかよりもっと使ってもらうべき人がいるんでしょうけどね。今回はありがたく止めさせてもらいましょう」
僕から見れば、綾さんだって障害者用の駐車スペースを使う権利は十分ある。
けれども、綾さんは他者を思いやり、謙虚に感謝を口にする。
辛い経験をした人は、他人に優しくなれると言うけれど、綾さんもそうなのかもしれない。
やっぱり綾さんは素敵な人だ。僕の彼女にはもったいないくらいに。
僕は、誰かにとがめられないよう、駐車している間だけ障害者用のステッカーを貼り、店へと入っていった。
MAXコーヒーを飲んで体力を回復し、ふたたび車を走らせる。
成田山新勝寺に到着したのは、十一時頃だった。
入口にそびえる大きな総門をくぐり、なかへ。敷地には出店が立ち並び、奥には階段、見上げれば仁王門。目指す大本堂は、さらにその上にある。
綾さんは固い顔で頂上を見やり、ぱしゃり、とスマホで写真を撮る。
「綾さん、こっちです」
僕は正面の階段から大きくそれ、脇道へと綾さんを案内する。
「あっ」
綾さんがある標識を見つけ、短い声を発した。
それは、エレベーターの標識だった。
「律くん、知ってたの?」
「はい。調べたら、車椅子用のエレベーターがあると書いてあって。だから綾さんでも上まで行けるなって」
初詣では、階段を嫌がって下から手を合わせていた綾さん。
でも、ここなら神様の正面できちんと手を合わせられるはずだ。
僕たちはエレベーターを乗り継ぎ、大本堂までやって来た。
二人で賽銭箱に小銭を投じ、並んで手を合わせる。
よかった、初詣ではできなかったことがようやく叶った。
「ねえ、律くんはなにをお願いしたの?」
「綾さんとずっと一緒にいられますようにって」
「私も、律くんとずっと一緒にいられますように。それと、今日という日を一生忘れませんようにって」
綾さんは照れくさそうにそう打ち明け、僕の腕を取り、細い身体を寄せてきた。
それから、僕たちはお守りを買い、おみくじを引いた。
まあ、わざわざ引かなくたって、綾さんと一緒なら僕の人生は大吉に決まっているのだけど。
そして、三重の塔の前で記念撮影。
スマホを見せてもらうと、そこには充実した笑みを浮かべる二人が写っていた。
「綾さんって、ほんとうに写真を撮るのが好きですよね。もしかして、SNSにアップしたりしているんですか?」
「ううん、あくまで自分用。あとでふり返って眺めるの、楽しいから」
「それならいいんですけど」
自分の顔がSNSに上がっているのを想像すると、ちょっと恥ずかしい。
綾さんはアイドルみたいに可愛いから映えるだろうけど。
綾さんは美しい街並みが見下ろせる場所まで進み、息をのんだ。
「きれい……」
いえいえ、そういう綾さんの横顔もきれいですよ。
歯の浮くようなセリフなので、言いませんけど。
「ありがとうね、律くん。私をここまで連れて来てくれて」
「綾さんが喜んでくれてよかったです」
「お礼にお昼をごちそうするよ。うなぎでいい?」
「そんな高価なもの、いただけませんよ」
「大丈夫。ママからお金をもらってるから。二人で美味しいものでも食べてきなさいって」
僕たちを見送ってくれた、お母さんのにこやかな笑みを思い出す。
ありがとうございます、お義母さん。
……って、さすがに気が早すぎるか。
「律くん、どうしたの? もしかして、なにか変なこと考えてる?」
「いえ、なにも」
こうして、僕たちはうな重をおいしくいただき、お母さんへのお土産にぴーなっつ最中を買った。
ふたたび車に乗りこみ、帰路につく。
行きとは異なり、今度は利根川の土手沿いを通って帰ることにした。
田畑に囲まれた昔ながらの細い道を走るから、かえって時間はかかってしまう。
けれども、猛スピードの車に急かされたり、大型トラックに怖い思いをしたりする心配はなさそうだ。
それに、僕のとなりには綾さんがいる。
綾さんと少しでも長く一緒にいたい。
そう願うのは、いけないことだろうか?
綾さんも同じ気持ちでいてくれたらいいな。
「ねえ、律くん。今度はもっと遠くまで行こうよ。それこそお泊りしてさ」
「綾さんとお泊りですか?」
「あら、ご不満?」
「いえ、むしろ嬉しいです。けど、ちゃんと寝られるかなって」
「今夜は君を寝かさないぜっ♡ みたいな?」
「顔真っ赤にしてなに言ってるんですか、綾さん」
「りっ、律くんだって同じこと考えたでしょっ」
「考えません」
「嘘、ぜったい考えた!」
僕たちを乗せた車は、のどかな冬の田園風景を走っていく。
慌てず、急がず、二人のペースでゆっくりと。
僕たちはきっと、これでいい。
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