第4話 僕とドライブしませんか?

『あけましておめでとうございます! 私たちは今、成田山新勝寺に来ていまーす!』


 テレビのなかで、晴れ着姿の女子アナウンサーが美声を響かせている。


 冬休みになっても、僕は実家には帰らなかった。

 そして、新しい年を部屋で一人、静かに迎えていた。


「成田山か。行ったことないなあ」


 実家から送られてきたお餅を食べながら、ついテレビに話しかけてしまう。


 千葉での生活には慣れてきたけれど、まだ最寄り駅周辺でしか過ごしたことがない。

 去年はどこにも行けなかったし、今年は千葉県内の名所を巡ってみてもいいかもしれない。あとで調べてみよう。


 テレビの棚に置かれたデジタル時計に目をやる。

 綾さんとの約束の時間が近づいていた。

 僕はすっかり食べ終えると食器を片づけ、弾むように部屋を飛び出した。




「あけましておめでとうございます、綾さん」


「おめでとう、律くん。今年もよろしく」


 綾さんとは駅で落ち合った。

 こうして好きな人と迎える新年は初めてだから、つい浮かれてしまう。


 綾さんは晴れ着ではなく、グレーのロングコートにいつもの黒いリュックを背負っていた。

 晴れ着姿も見てみたかったけれど、それは来年以降の楽しみに取っておこう。


 駅からまっすぐ伸びるメインストリートを並んで歩く。


 元旦とあって、駅ビルや百貨店はまだ閉まっていた。けれども、家電量販店や全国チェーンの飲食店など、開いているお店も少なくない。


「毎年、福袋目当てに人がずらーっと並んでいるんだけどね。今年はネットで事前に抽選をしているみたいで、なんだか盛り上がらないね」


 綾さんが困ったように苦笑する。

 たしかに商店街は静かで、活気を失っているように感じられた。実際、つぶれてしまった飲食店も多かった。


 歩くこと数分、ようやく目的地にたどり着いた。


 そこは、お世辞にも広いとは言えない、こじんまりとした神社だった。

 とはいえ建物は立派で、古いご神木は長い歴史を物語り、この地域によく根付いている様子がうかがえた。


「わあ、思ったより人がいるね」


 綾さんが目を丸くする。


 初詣に訪れた人たちの列が神社の敷地を越え、細い路地にまで連なっている。

 みなディスタンスを保っているせいか、よけいに列が長く伸びていた。


「どうします? 並びますか?」


「もちろん。せっかく来たんだもの」


 僕は綾さんの足が気がかりだった。けれども本人はまるで気に止めていないようで、最後尾へと向かっていく。

 こうして、僕たちは列に並び出した。


「この路地を進んでいくと、有名な餃子屋さんがあるんだよ」


「えっ? そこのたい焼き屋さん、食べたことないの? おいしいよ。一枚一枚手焼きだから」


 綾さんはいろいろな地域情報を僕に教え、得意げだった。


「律くん、なにニヤニヤしているの?」


「いえ、僕の彼女は今年も可愛いな、と思いまして」


「なにそれ。……私の彼氏も、今年もかっこいいよ」


 顔を赤らめ、ぷいと顔をそむけてしまう綾さん。やっぱり可愛い。

 調子に乗って、聞いてみる。


「雪斗よりも?」


「雪斗は別。雪斗がこれまでいかに私の心の支えになってくれていたか、律くん分かる? 雪斗に生かされて私は今ここにいるの」


「……もう、僕いらなくないですか?」


「あっ、ごめんごめん。あくまでゲームのキャラだから。ねっ、律くん」


 綾さんが聞き分けのない子どもをさとすように、慌てて僕をなだめる。


 綾さんの気持ちは分かる。

 雪斗との絆がどれほど深いのかも。

 とはいえ、つい嫉妬心も沸いてしまうわけで。

 今年はもう少し器の大きい男になりたいと思う。


 そうこうするうちに、僕たちの順番が回ってきた。


 お堂の階段に足をかける。賽銭箱はその上だ。

 僕は当たり前のように階段を上りはじめた。


 その時、ふと綾さんに声をかけられた。


「私はここでいいや。律くんだけ行ってきてくれる?」


 綾さんは階段を上ろうとせず、僕に小銭を渡すと、地面に立ったまま手を合わせはじめた。


 僕はハッとした。


 綾さんにとって、階段を上るという行為はものすごく負担なのだ。

 だから、綾さんは普段の生活でも階段を嫌い、エレベーターやエスカレーターを探すのが常だった。


 それなのに、僕は気にも止めず、先に進もうとしてしまった。

 綾さんも当然そうするものと疑いもせずに。


 綾さんから小銭を手渡され、やむにやまれず、僕は一人で階段を上りきった。

 そして、綾さんの分も一緒に賽銭箱に入れ、手を合わせた。


 最後に一礼して、ふり返る。

 階段の下では綾さんがにこやかに手をふっていた。


「すみません、気がきかなくて」


「ううん。むしろお賽銭を入れてきてくれてありがとうだよ。で、この後どうする? 映画でも行く? 私と一緒だと安いよ。障害者手帳を見せれば千円になるから」


 綾さんはスマホで神社の写真をぱしゃりと撮り、優しい声でそう提案してくれた。


 けれども、僕の心には、叱られた時と同じような後味の悪さが残った。






 初詣でのこの失敗を、僕はいつか挽回したいと考えていた。

 そして、年末からの感染爆発がようやく落ち着きを見せはじめた二月、ついにその機会が訪れた。


 僕は、二人の間ですっかり行きつけとなった例の和風のカフェで、綾さんに切り出した。


「綾さん、折り入ってお話が」


「どうしたの? 急に改まって」


「実は、免許が取れました」


「やったね。おめでとう」


「だから、僕とドライブしませんか?」


「えっ?」


「そんな不安そうな顔をしないでください」


 夏に通い出した教習所での過程をすべて終え、僕は念願だった免許をようやく手に入れた。

 これで僕たちの行動範囲も広がるはずだ。


「いいけど、どこに行くつもり?」


「成田山まで」


「えっ? えっ?」


「ますます不安にならないでください。もっと僕を信用してください」


 僕には勝算があった。成田山なら、初詣の失敗を取り戻せるはずだ。


 綾さんは表情を曇らせたものの、


「まあ、律くんが行ってみたいのなら」


 と了承してくれた。






 風のない、よく晴れた絶好のドライブデート日和。

 僕はレンタカーで綾さんを迎えに行った。


 綾さんの実家に行くのは初めてだった。

 到着すると、綾さんだけではなく、お母さんまで僕を出迎えてくれた。

 綾さんとよく似た、品のいいきれいなお母さんだ。


「は、初めましてっ。松本律といいます。日頃は綾さんにたいへんお世話になっていますっ」


 緊張しながら、ぺこぺこ頭を下げる。


「こちらこそ、娘がたいへんお世話になっているそうで。綾ったら、家ではいつも律くんの話ばかりしているんですよ」


「ママっ!?」


 綾さんが顔を赤くしてツッコむ。お母さんはにこやかに笑っていた。


 僕は、事前にホームセンターで買っておいた、障害者用のステッカーを貼ろうとした。取り外しが容易なマグネットタイプのものだ。


「律くん、それ、貼らないとダメ?」


「えっ?」


「できれば貼りたくないんだけど」


 綾さんにそう言われ、ようやく気付く。


 綾さんは、ほんとうは障害者として扱われることを望んではいないのだ。

 心のどこかで、まだ現実を受け止め切れずにいるのかもしれない。


 対等に、平等に。自分でできることは健常者と同じように自ら実践する。そんな生き方を信条とする綾さんの胸の内には、区別しないでほしいという切なる願いがあるるのかもしれない。


 ……まだまだだな、僕は。

 僕は綾さんの気持ちを汲んで、ステッカーを引っこめた。


 僕が借りたのは、後部座席がスライドドアになっているコンパクトカーだ。


「足が悪いならスライドドアのほうが乗りやすいだろうからって、レンタカーの人に勧められて」


「私、前に座りたいんだけど」


「そう言われても」


「いいじゃない、別に。乗りたいように乗れば」


 綾さんが言うなり助手席のドアを思い切り横に開く。

 それから、まず座席シートにお尻を乗せ、次に身体を独楽こまのように回転させて、なんとか助手席に収まった。


 足があまり上がらないから、時間がかかる。やっぱり後部座席に乗ったほうが楽なんじゃ……。


 けれども、助手席に座る綾さんの嬉しそうな顔を目にしてしまったら、なにも言えなくなってしまった。


 こうして、僕たちは綾さんのお母さんに見送られ、成田山へと出発した。



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