scene16: 今日は末吉
定期試験が前日に迫った昼休みの教室では、普段遊んでいる学生までもが参考書片手に仲間内で問題を出し合っている。先日の雨が嘘のように晴れて外に出るにはうってつけの日だが、弁当を食べる者以外で外に出ている人はいない。もっとも、そういった目的の人も普段よりは人数が少ない。
澪の机の上には、ちいさいアルミホイルおにぎり一つと、魚のイラストが入った水色の弁当箱が一つ。レタス、たこさんウインナー、卵焼きと色のバランスも良く中身が詰められていた。
その横に、コンビニの炒飯弁当が並ぶ。
「澪、試験対策はどう?」
「まあまあかな。悪くはないけど」
「なに、分かんないところでもあった?」
「あんまり集中できないの。誰かのせいで」
横に椅子を置いた朱里はプラスチックのスプーンを口へ運び、まるで他人事のような唸り声を上げる。その反応を予測していた澪はツッコミの一つも入れずに卵焼きを箸でつまんだ。
用意周到な澪はとうの昔に試験範囲を一周さらっていたが、応用問題を含めた細かい部分まではまだ手が届いていない。本来ならば、前日には参考書の全ての問題を終え、今は残った死角を潰す予定のはずだった。
計画を立てた頃の澪が想定できなかった、予想外の存在。その人が今まさに大きな欠伸を浮かべた。昼食中も張り詰めていた澪と違って気楽に首を掻いている。
「朱里ちゃんは、勉強どんな感じなの」
「全然やってないよ」
「そういうのいいから」
「や、本当だって。強いて言うなら教科書と参考書の解答を一周したくらい」
「うわぁ……天才っていいなぁ」
すこし湿気たレタスを噛みながら、澪は肩を落とした。頭の中にはチェック欄の埋まっていない計画表が貼り付いている。
「それじゃあ、今日は終わったらすぐ帰るかな。澪と遊べないならつまんないし」
「うん、夏休み入ったら……あ、もしかしたら夏休みも……」
「大丈夫、余裕ある時に声をかけてくれれば――そうだ、ちょっと待ってて」
朱里は炒飯弁当の残りを机にのせたまま立ち上がると、思いつきに任せたように廊下へ抜けていく。その様子を見た澪はたこさんウインナーの足を臼歯でばらしたあと、特に意味も無く窓の外の海を眺めた。いつになく緊張感に満ちた教室とうってかわり、水面はいつも通り呑気に白く揺れている。
遠くを行く船に目の焦点が合った頃、走って戻ってきた朱里が澪の机の上に何かをカタリと乗せる。音に誘導されて見てみると、それは――
「プリン? 購買行ってきたの?」
「そうそう。試験勉強で頭を使う澪に私からプレゼント」
「わ、無理しなくていいのに。お金あんまりないんでしょ」
「いやぁ、まぁ、なんとかしてるから」
ちいさな弁当箱の中を空にした澪はフタをした後、朱里から貰ったプリンを開けてみる。口を塞いでいたラベルがぺろんとめくれると、その裏に「末吉」の文字がペンで書いてある。にしてもどこかで見たことのある筆跡だ。
「なにこれ」
「澪は末吉だったんだ。私は、ほら見て、大吉」
朱里の手元にあるもう一つのプリンを覗くと、ラベルの裏には景気の良い字で「大吉」と書かれている。周りにはギザギザで強調するような囲い線もあった。これと比べてしまうと澪の「末吉」はなんとも慎ましく地味で目立たずどこか寂しい。
「これ書いたの朱里ちゃんでしょ。ダメだよ、食べ物で遊んじゃ……!」
「や、正確には書いた後にラベルをのり付けして……待ってよ、そんなに怒らなくていいじゃん、今日の澪は朝からずっとつまんない顔してるよ」
「試験前だから仕方ないでしょ。朱里ちゃんの方が緊張感ないの」
「そっか。それじゃあ、今日はさっさと帰った方が良いかな」
ぽつりと零した朱里は残っていた炒飯とプリンを一気にかっ込んだ後、椅子を自分の席に戻すと荷物をまとめ始める。そして、三分も経たない間に教室を出ると廊下から澪に軽く手を振った。
「んじゃ、またね」
唖然としている内に、彼女は消えていってしまった。
いまいち理解できない様子で澪は首を捻る。末吉、と書かれたプリンのラベルを四つに折り、空になったカップと一緒にゴミ箱へ放った。クラスメイトから「船場さんと喧嘩したの?」と聞かれても「そういうのじゃないよ」と言葉を濁した。
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