第2話
1
外殻に接続された闘技施設、“ノヴァの器”。すり鉢状になった内部には一般客と騎士団関係者が別れて席に着いており、空になったリングを見詰め騎士とその対戦者を今か今かと待っていた。
そして遂にそのときが訪れる。閉ざされていた落とし格子が持ち上がり、その向こうより戦斧を持った重装騎士が一組ずつ姿を見せた。全身を白銀の甲冑で包んだ彼らもまた名うての騎士である。
だが主役は彼らが警護し、監視する存在である。
「ふむ……綺麗になったものだ」
両手の指の合間に四つ、合計八つものクレープを挟み込んだアダムは客席入り口から出てすぐの通路に立って独り言ちた。
彼が見るのはつい先程も会ったリオンではない。入場した彼と相対する騎士である。まだ数も少なく珍しい女性の騎士。その名もシャイナ。
そしてリオンに上がるリオンもまた眼前にその姿を捉える。
清水のように透き通った白銀の髪、褐色の肌、凛とした表情に勝ち気な目付き。それら全てをリオンはよく知っていた。
「やっと尻尾、掴まえたぜ」
「ふん……」
「おしゃべり、キライだったっけ?」
ガシャリ――物々しく、そして重々しい音がリオンの軽口を遮った。可動域を阻害しないため最低限の装甲で包まれたシャイナの両腕、その両手に握り締められている彼女の身の丈ほどもある二振りの大剣が刃を向ける音だった。
「大迫力だな。そーいや腕相撲じゃ負け無しだったよな」
仏頂面で対うシャイナに笑みを返すリオン。両者の背後で重装騎士がそれぞれの入場口を封鎖した。
リオンはそれを見て小さな笑声をこぼし、左手の親指で鼻を擦った。彼の全身をぴりりとした電流の様なものが奔り、肌が粟立つ。それが闘志を刺激する。
「でもな、オレもあれから強くなったんだぜ。何度も何度も死にかけて、よーやくここに来ることが出来たんだ」
客席では昇華体と呼ばれる翅持つ少女たちが観客を護るための防壁を張り巡らせる。
二人は中央へと向けて歩み出しながら、そしてリオンは一人、シャイナへと語りかけ続けた。
やがて一足一刀の間合いにまで詰まったとき、歩みは止まり、リオンを冷たく見下すシャイナに彼は不敵に笑いながら告げた。
「お前を
刹那、緊張と静寂をつんざく衝突音が鳴り響き、二人の間合いが離れた。一瞬の出来事であった。シャイナが振るった双刃をリオンは担いだ大斧の一薙ぎで払い除けたのだ。
「約束したもんな! まさか忘れちまったか!?」
神速の刃が連続してリオンを襲う。少女の身には余るはずの大剣二振りがまるで木の枝のような軽々しさで踊っていた。
しかしリオンも軽口など叩きながらその刃をたった一振りの大斧で凌いでいた。
そして互いに渾身の一振りが間合いでぶつかり合い、激突音と共に三つの刃が弾かれた。二人の間合いも再び圏外へと離れる。
この攻防もまた一瞬。観客たちは呼吸すら忘れ、そしてようやくこのひとときに我に返り、彼らは大歓声を上げるのだった。
「口の減らないヤツ……」
「まぁな、なんかしっくりくるぜ。そーゆー風に言われると」
「今さらなのよ……今さら……!」
「あン?」
リオンが半身を引いた。そんな彼の眼前を橙色の刃が一閃しすぐ足元の砂を深く抉る。
それが殺気の込められた本気の一撃だとリオンは思ったし、彼やシャイナの背後に待機していた重装騎士も踏み込もうとしているから、リオンの予感は間違いではない。
選抜大会に出場する騎士は参加者に対して寛容でなければならい。その心は穏やかかつ健やかであり、決して余裕を残ってはならない。何故ならば騎士とは人々の剣であり盾、規範、そして希望でなければならないからである。
故にシャイナの癇癪は決して認められるものではなく、このままであればリオンの“一応”の勝利となる。
「イイね、そうこなくっちゃあよ……」
だからこそ、リオンのその手は動き出した重装騎士を制する。今日この場に自分が居るのは力を示す為だからだ。
本人が望む以上は重装騎士たちも野暮なことはしない。ただしその視線は次は無いと語る。リオンは笑みを浮かべたまま頷き、そして冷ややかな視線を向けるシャイナを見た。
「今のヤベー感じは如何にもシャイナって感じでグッと来たぜ」
「なんの、つもり……?」
「言ったろ、約束を果たしに来たって。その為にはお前に見せなきゃいけねえだろ」
癖で左目を閉ざしたリオンは改めて肩に大斧を担ぎ直しながら、左手の人差し指をシャイナへと突き付け言葉の続きを紡いだ。
「オレの実力……もう昔のオレじゃねえってとこをさあっ!!」
リオンの足元の砂が爆ぜた。直後に両者の間合いが詰まり、振り下ろされた大斧はシャイナの太刀筋に勝るとも劣らずの速度であった。
まるで獣の悲鳴のような鋭い音が歓声を引き裂き、巻き上がった砂煙の中でシャイナは目を見張る。
辛うじてリオンの突撃に意識が間に合い、両方の大剣を用いて唐竹割りの一撃を逸らすことでシャイナは自らの両断を免れたのだが、そのときに感じた怖気は確かだった。
追撃は来ない。シャイナがいなし、砂の中へとめり込んだ大斧を引きずり出してリオンは間近で彼女の顔を見詰めて言った。その表情、声にもはや笑みは無かった。
「
「ぐっ……!」
「オレたちの
シャイナが動くとリオンも動き、踊り出した刃たちが激しくぶつかり合い、剣戟は火花の乱れ咲きで人々を魅せる。
得物の巨大さとは裏腹に、蝶のような軽やかさで華麗な連撃を放つシャイナ。
対するリオンの豪快でひたすらに真っ直ぐな重撃は、しかしリオン自身の繊細な動きで以て虚実入り交じるシャイナの数多の刃合間を縫い確実に彼女を狙う。
だが真っ直ぐ過ぎるリオンの重撃は快速のシャイナを捉える切ることが出来ず、けれど彼女の連撃もまた彼の薄皮を裂くばかりで致命傷を追わせるに至らない。
強い――シャイナはリオンを見て考えを改める。何故に自らの刃が彼を仕留められないのか。それは彼のいずれもが必殺の重撃がそうさせているからだと気付いたからだった。
強ぇ――リオンもまたシャイナの自在に舞い飛ぶ姿を見て思う。自らを仕留める為に必要な太刀筋が通るべき軌跡を敢えて作り出し、シャイナにそこを斬らせることで彼女の動きを見切り迎撃、返り討ちにするのを狙えども彼女はそれを読んで必ず避けてしまう。
しかもちゃっかり浅手とはいえ傷を与え消耗までさせる手癖の悪さ。リオンの頬が勝手に綻んだ。
「そーゆーとこは変わってねえな! 嬉しくなるぜっ」
「っ……黙れェッ!!」
リオンの大振りの一薙ぎを鋭く跳び退ることで躱したシャイナは、すかさず両手の大剣の柄尻をそれぞれ連結させた。
それに連動して刀身も変形し始め、双剣は瞬く間に大弓へと姿を一変。それを自慢とする膂力で以て右腕一本で支えることはおろかあまつさえ持ち上げ構え、そしてシャイナの右目が碧から赤色へと変ずる。
その様子を見た重装騎士が被った兜の機能である無線通信にて客席に配置されている昇華体たちへ防壁の増強を命じた。客らもシャイナのただならぬ雰囲気を察したのかざわめき始めていた。
「……来いよ、シャイナ。受け止めてやる、その全力全開!」
リオン側の重装騎士が彼に退避を促すが、彼はそれに応じない。力尽くでもと歩み寄ろうとする騎士に彼は振り返り横顔を見せると笑い掛けた。それは信頼を求めると言うよりは任せろと言うかのような手前勝手な笑みであったが、騎士は何故かそれを信じてみようと思えた。
引き下がる騎士を彼の相方である重装騎士が咎めるが、それでも彼が再び動き出すことはなかった。シャイナが咆える。
「リオンッ、あんたは田舎に引っ込んでればいいの! 今さらわたしの前にそんな……そんな顔して立たないでよ!!」
――再生の大樹、結実する生命。虹を抱く翅、奇跡の音色。
恐れる鉄鋼、凪の湖で眠る乙女。暗き森、厚き雲。
我が前に敵は無し、無人の荒野をひた走る――
シャイナの心が謳う。それは決意の詩だった。
そしてその詩を切っ掛けとして、彼女の赤い瞳から同じ色の光が溢れ出した。それだけではない。彼女の背中、右側より前翅と後翅が出現し、あたかも
彼女は左手に真紅の光を灯し、矢をつがえるように大弓へと触れる。光の弦が上下の切っ先から奔り、シャイナは引き絞った。
「……荒涼をもたらせ――デイモス・スタンピード!!」
放たれたのは真紅の光芒。
砂を融解させながらリオンへと突き進む灼熱は本来、巨大の“
それを知る騎士たちは表情を歪め、何も知らぬ観客たちは無知故に眼前の危険にも嬉々とした声を上げた。そしてそれはリオンもまた同じだった。
自らに向けられた敵意と、致命の一撃。
避けられないものではなかったが、リオンの足は決してその場を動くことはなく、彼の動向を皆が期待し見守った。
「ド派手だな! けどそーこなくちゃ。オレ“たち”も行くぜっ」
蛇の舌のようにちらつく炎の中、そこに立ったリオンの姿がシャイナよろしく変貌を遂げていることに皆が気付く。
しかしその姿は彼女とは異なっていた。変色した瞳も、背中の翅も無い。けれど彼の左腕には白い装甲が装着されており、頭部には二本の小さな角が天に向かい伸びていた。
僅かほんの
翼と長い尻尾を除けば小型犬程度の小さな竜であるが、それが甲高い咆哮を上げた刹那、光を放ち左手を掲げたリオンの全身を包み込む。
光はやがて彼の頭部と左腕に集約し、シャイナの攻撃と接触すると相殺する形で互いに四散。そうして窮地を脱したリオンは現在の姿へと
その姿、とりわけ左腕の装甲と頭部の角を認識してシャイナの顔が紅潮した。
「それは里の至宝、
「応っ、これこそは――」
――
「伊達や酔狂で
「くっ、けど所詮は
必殺の一撃を凌がれてもシャイナの戦意は萎えはしなかった。彼女は今のリオンに近接戦闘を挑むのは危ういと考え
「けどオレは変わらねえ、積極あるのみだっ」
第一波を大斧による一薙ぎで打ち払い、第二波へと向けてリオンは恐れず突っ込んで行く。その際、彼の口元を竜の顎を模した頬当てが覆い、装甲で包まれた左腕で地面を殴り付けることで彼は砲弾の如き速度を文字通りに叩き出す。
「そんでお前にオレは勝つ! 勝って……」
これは足さえ動けば成立する戦技であり、例えば宙空にあっても行使することが可能なので、リオンは迫る光の
そして無事に着地を果たした彼はその足で地面を蹴り、壁際まで下がったシャイナへと向けてさらなる躍進。光の矢の第三波に向けてリオンが差し向けた左手から碧い光で形成された竜の頭部が出現し、鏃を纏めて噛み砕き飲み込む。
「しっかり避けろよおっ」
「くっ、この……!」
言いながらリオンが振り上げた大斧がシャイナの脳天を目掛けて落下した。刃の輝きが彗星の如く尾を引き、直下のシャイナの赤眼がそれを見上げていた。
決して遅れることの無い絶対死! 本気の一撃だ。正気であればこれに恐怖しない者はいないはずである。だがシャイナは恐怖など微塵も懐いていなかった。彼女の胸に込み上げているのはむしろ恐怖とは真逆の安堵感。しかしそれは彼女が狂っているからではない。リオンという男を知っているからだった。
「ボクが知る限りリオンという奴は世界一、不器用だ。なんせ、ああやって闘いでしか気持ちを表すことが出来ないんだからね」
明け透けな物言いも全ては不器用故だと、アダムは掴まえた昇華体へとリオンのことを語って聞かせた。
「口では本気を伝えられないから、だから刃や拳に込めるしか出来ないんだ、あの大馬鹿ものは」
けれど一度相対してみれば分かる、リオンはああやって人の孤独を癒すのだと。
「ヤツと闘うものはその時既に孤独から開放されるのさ」
アダムの目に鮮やかな花が咲く。火花という鮮烈な花だ。
合体していたものを分離させ、大弓から再び二振りの大剣へと得物の形態を戻したシャイナがリオンの一振りを受け止めたのである。躱すことは容易であった筈である。
しかし彼の本気を躱してしまうことを、彼女が
「どうして……っ」
「何処へ行ったってお前はお前ってことだ、シャイナ!」
「リオン……! わたしはっ」
「お前の本気、見せろよっ」
「わたしはっ、わたしはもう……あんたの知ってるわたしじゃ、ないんだってばあっ!!」
だがそれまで。シャイナの咆哮と同時に彼女の右目の赤が更に強まり、膂力が高まった。そしてリオンの大斧を容易くも弾き返し、彼の胸を彼女の兎張による前蹴りが襲う。
リオンの胸板から衝撃が背中へと突き抜けた。シャイナの兎張の威力は絶大で、リオンは血と共に溜め込んでいた酸素を全て吐き出してしまい呼吸を奪われる。
常人ならばこれで参ったする痛手である。しかしリオンもシャイナ同様に常人の括りには既にない。苦痛を押し殺し、闘志がその身体を支配して動かす。
吹き飛ばされたリオンは受け身からすぐさま立ち上がる。そんな彼へと、シャイナは大弓を構え狙いを定めていた。
「デイモス・スタンピード――!!」
「――
そして再び放たれた破壊の赤い光芒がリオンに迫る。先程は
しかしリオンが血反吐を吐きながら雄叫びを上げ、突き出した左腕に現象した竜の顎が放ったのはシャイナのものとは真逆に、清浄さを表す蒼白い光芒であった。
馬鹿な――二つの
降り頻る
シャイナは二度にも及び自らの最強を凌がれた事実に呆然とし、彼女の最強を凌いだリオンはしかし息も絶え絶え。
禁じられた私闘を静観する騎士たちやアダムは察していた。次で決着がつくと。
「……行くぜ」
じりりと二人の踵が砂を踏み締めた。
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